【はじめに】
この記事では、「中田敦彦のYouTube大学『西洋哲学史』編」を、Wikipediaの説明文でざっくり振り返っていきたいと思います。私的メモですが、動画をご覧になったことのない方はぜひ本編及び書籍を、そして過去にご覧になったことのある方は振り返りにぜひお役立て下さい。
【西洋哲学史①】時代の常識を疑え!
哲学(てつがく、フィロソフィー英: philosophy)とは、原義的には「愛知」を意味する学問分野、または活動である。現代英語のフィロソフィー(philosophy)は「哲学」・「哲学専攻コース」・「哲学説」・「人生[世界]観」・「達観」・「あきらめ」などを意味する。
「愛知としての哲学」は知識欲に根ざす根源的活動の一つだが、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し、哲学は主に美学・倫理学・認識論という三つで形作られるようになった。哲学に従事する人物は哲学者(フィロソファー 英: philosopher)と呼ばれる。
哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
動画内では『哲学』の原義が「愛知(知を愛する)」であることが触れられました。
概要
現代では以下のように、文脈によって様々な意味をもつ多義語である[要出典]。1.(近代以前の用法)知的探究活動全般・学問全般を指す。したがって、学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれた。
「哲学」は英語で「フィロソフィー」といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」に由来する。直訳すれば「知を愛する」「愛知の学」という意味である。「哲学」という日本語は、明治時代の学者西周がフィロソフィーに対してあてた訳語である。したがって、「フィロソフィー」というのは単に「愛知の学」という意味であり、それだけではまだ何を研究する学問であるかは示されていない。この語では内容が規定されていないのである。
( 同上 )
動画①で触れられていた「常識に疑問を持つ」部分に関しては下の懐疑主義あたりが近いでしょうか?
懐疑主義(かいぎしゅぎ、英語: skepticism)とは、基本的原理・認識に対して、その普遍妥当性、客観性ないし蓋然性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義である。懐疑論(かいぎろん)とも呼ばれる。これに対して、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする立場を独断主義(独: Dogmatismus)ないし独断論という。
懐疑主義ないし懐疑論は、古代から近世にかけて、真の認識をもたらさない、あるいは無神論へとつながる破壊的な思想として論難されることが多かった。これは、懐疑主義が懐疑の結果、普遍妥当性および客観性ないし蓋然性ある新たな原理・認識が得られなかった場合、判断停止に陥って不可知論と結びつき、伝統的形而上学の保持する神や存在の確かさをも疑うようになったからである。しかし近代以降は、自然科学の発展の思想的エネルギー源となったこともあり、肯定的に語られることが多い。
経験的な証拠が欠如している主張の真実性、正確性、普遍妥当性を疑う認識論上の立場、および科学的・日常的な姿勢は科学的懐疑主義と呼ばれる。
懐疑主義
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①ソクラテス(BC470頃~BC399)
西洋哲学の基礎を築いた人物の1人として、特に、西洋道徳哲学(倫理学)の伝統における最初期の道徳哲学(倫理学)者の1人として認識されている。謎めいた人物であり、ソクラテス自身は一切の著述を行わなかったため、弟子の主に彼の死後に執筆を行った古代の作者たち、特に彼の弟子のプラトンとクセノフォンの著作を通して知られている。
ソクラテス
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無知の知
無知
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを自覚している点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。
また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。なお、日本では「無知の知」と言われる事もあるが、ソクラテスは「無知の知」を主張していない。
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②プラトン(BC427~BC347)
プラトン(プラトーン)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。
概説
プラトン
プラトンは、師ソクラテスから問答法(弁証法)と、(「無知の知」や「行き詰まり」(アポリア)を経ながら)正義・徳・善を理知的かつ執拗に追求していく哲学者(愛知者)としての主知主義的な姿勢を学び、国家公共に携わる政治家を目指していたが、三十人政権やその後の民主派政権の惨状を目の当たりにして、現実政治に関わるのを避け、ソクラテス死後の30代からは、対話篇を執筆しつつ、哲学の追求と政治との統合を模索していくようになる。
この頃既に、哲学者による国家統治構想(哲人王思想)や、その同志獲得・養成の構想(後のアカデメイアの学園)は温められていた。
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イデア論は、プラトンが説いたイデアに関する学説のこと。 本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚する対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない、とする。
イデア論
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③アリストテレス(BC384~BC322)
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。
アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。
著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。
アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。
アリストテレス
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自然学(第二哲学)
プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)が、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。形而上学(第一哲学)
アリストテレスの師プラトンは、感覚界を超越したイデアが個物から離れて実在するというイデア論を唱えたが、アリストテレスはイデア論を批判して、個物に内在するエイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。倫理学
理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、
- 恐怖と平然に関しては勇敢、
- 快楽と苦痛に関しては節制、
- 財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、
- 名誉に関しては矜持、
- 怒りに関しては温和、
- 交際に関しては親愛と真実と機知
である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。
( 同上 )
【西洋哲学史②】神から人へ キリスト教と西洋哲学
④聖アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)
聖アウレリウス・アウグスティヌスは、ローマ帝国(西ローマ帝国)時代のカトリック教会の司教であり、神学者、哲学者、説教者。ラテン教父の一人。
テオドシウス1世がキリスト教を国教として公認した時期に活動した。正統信仰の確立に貢献した教父であり、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもつ。
生涯
アウグスティヌスはキリスト教徒の母モニカ(聖人)と異教徒の父パトリキウスの子として、354年に北アフリカのタガステ(現在、アルジェリアのスーク・アフラース)に生まれた。キリスト教に回心する前は、一時期(373年–382年)、善悪二元論のマニ教を信奉していたが、キケロの『ホルテンシウス』を読み哲学に関心をもち、マニ教と距離をおくようになる。その後ネオプラトニズム(新プラトン主義)を知り、ますますマニ教に幻滅を感じた。
アウグスティヌス
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⑤デカルト(1596~1650年)
ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596年3月31日 – 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。
概要
考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。
ルネ・デカルト
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⑥カント(1724~1804年)
イマヌエル・カントは、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。
定言命法
イマヌエル・カント
他のあらゆる倫理学の原則は「~ならば、~せよ」という仮言命法であるのに対して、カントの定言命法は「~ならば」という条件が無い『無条件の行為』を要求する。
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⑦ヘーゲル(1770~1831年)
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、ドイツの哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。
ヘーゲル
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【西洋哲学史③】現代社会をどう生きるか?幸福とは何か
⑧キルケゴール(1813~1855年)
セーレン・オービュ・キェルケゴールは、デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、ないしはその先駆けと評価されている。
キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。
キェルケゴールの哲学
キェルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念としての人間ではなく、彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神による救済の可能性のみが信じられるとした。
セーレン・キェルケゴール
これは従来のキリスト教の、信じることによって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的であった。
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⑨ニーチェ(1844~1900年)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。
思想
ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やアルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
ニーチェ
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「神は死んだ」(かみはしんだ、独: Gott ist tot, 英: God is dead)または「神の死」(かみのし、英: the Death of God)とは、宗教批判と虚無主義(ニヒリズム)を意味する哲学者フリードリヒ・ニーチェの用語であり、一種の科学的精神(啓蒙的・実証的・合理的精神)であると言われる。ニーチェは「神々の死」とも述べている。近代化・産業化・科学化の中で、ニーチェは宗教的・哲学的観念の滅亡を宣言した。言い換えれば彼は、近代的な「個人」に基づいて世界観を脱神話化した。
ニーチェの批判は、医療科学・自然科学や生物学から大きく影響を受けたと考えられている。ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた。神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである。ここでニーチェは、「超人」とは地上的・身体的な人間であると述べている。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘だとしている。
神は死んだ
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ルサンチマン(仏: ressentiment)は、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。
フリードリヒ・ニーチェはキリスト教の起源をユダヤ人の支配者ローマ人に対するルサンチマンであるとし、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ価値評価にあるとした。「貧しき者こそ幸いなり」「現世では苦しめられている弱者こそ来世では天国に行き、現世での強者は地獄に落ちる」といった弱いことを肯定・欲望否定・現実の生を楽しまないことを「善い」とするキリスト教の原罪の価値観・考え方、禁欲主義、現世否定主義につながっていったキリスト教的道徳はルサンチマンの産物と主張した。実際に憎悪やねたみが、キリスト教をつくり上げてしまう程の創造的な力に変換された歴史がある。
ルサンチマン
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哲学的分野で言う超人(ちょうじん、ドイツ語:Übermensch、英語:overman, superman, super-human)とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した概念の一つであり、そのような新しいあり方を体現する人類の呼称である(その、漢字文化圏における表記)。
ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、生活の保証、平安、快適、安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。
超人
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⑩バタイユ(1897~1962年)
ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897年9月10日 – 1962年7月8日)は、フランスの哲学者、思想家、作家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。
「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。発表方法も批評や論文・評論、対談集から詩・小説・哲学書まで様々な形態をとる。
バタイユ
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⑪アーレント(1906~1975年)
ハンナ・アーレント(アレントとも、Hannah Arendt、1906年10月14日 – 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家である。
ドイツ系ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツからアメリカ合衆国に亡命した。のちに教鞭をふるい、主に政治哲学の分野で活躍し、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。
ハンナ・アーレント
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