ウィキペディアで学ぶ「フランス共和国(第五共和政)大統領」(Président de la République)

【はじめに】
この記事では、日本語版ウィキペディアで「フランス共和国の大統領」について学んでいきます。

フランス共和国大統領について

共和国大統領(フランス語: Président de la République)はフランスの大統領で国家元首。

また歴史的経緯からフランスの大統領は隣国であるアンドラ公国の国家元首である共同公をウルヘル司教とともに務める。

共和国大統領 (フランス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
( 同上 )

公邸
共和国大統領の住居と執務室を兼ねる公邸は、パリ8区のフォーブール・サントノレ通りにあるエリゼ宮殿である。

( 同上 )

フランスの大統領(要約)

共和政時代のフランスの国家元首について、「大統領」と訳されない者を含めて年代順に一覧する。

フランスの大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なお、肩書きは時代により異なり、以下の通りである。【日本語訳のみを抽出し、表にしてみます。】

体制(時期)肩書き(和訳)
フランス第一共和政
(1792~1804)
国民公会議長
総裁政府総裁
第一統領
フランス第二共和政
(1848~1852)
臨時政府主席
行政権委員会議長
フランス国主席
共和国大統領
フランス第三共和政
(1870~1940)
国防政府主席
共和国行政長官
共和国大統領
ヴィシー政権
(1940~1944)
国家主席
フランス共和国臨時政府
(1944~1947)
フランス共和国臨時政府主席
(大統領、首相とも訳される)
臨時政府議長
フランス第四共和政
(1947~1959)
共和国大統領

第五共和政での大統領一覧

フランス大統領選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
氏名在任期間
18シャルル・ド・ゴール1959~1969
19ジョルジュ・ポンピドゥー1969~1974
20ヴァレリー・ジスカールデスタン1974~1981
21フランソワ・ミッテラン1981~1995
22ジャック・シラク1995~2007
23ニコラ・サルコジ2007~2012
24フランソワ・オランド2012~2017
25エマニュエル・マクロン2017~

(18代)シャルル・ド・ゴール

シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール(フランス語: Charles André Joseph Marie de Gaulle、1890年11月22日 – 1970年11月9日)は、フランスの政治家、軍人。同国第18代大統領(在任:1959年1月8日 – 1969年4月28日)。

1940年5月のナチスの侵攻によって本国が失陥した後、イギリスのロンドンにてロレーヌ十字の自由フランスを樹立してレジスタンスと共闘した。臨時政府で最初の首相となり、1959年1月に第五共和政で最初の大統領に就任した。任期中はアルジェリアの独立の承認・フランスの核武装・NATOからの脱退などを実現した。

シャルル・ド・ゴール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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(19代)ジョルジュ・ポンピドゥー

ジョルジュ・ジャン・レイモン・ポンピドゥー(フランス語:Georges Jean Raymond Pompidou、1911年7月5日 – 1974年4月2日)は、フランスの政治家。シャルル・ド・ゴール政権で第2代フランス首相、第19代フランス大統領を務めた。

ド・ゴールの後継者として登場しつつも、「連続と開放」を掲げていくつかの点で軌道修正を図った。例えば、外交面においてはイギリスのEC加盟を支持する姿勢を取り、イギリスは1973年にEC加盟を実現させた。同年に起こった石油危機への対応に追われる中、ポンピドゥーは大統領在任中の1974年、白血病で死去した。

ポンピドゥーは歴代のフランス大統領の中でもとりわけ現代芸術に関して造詣が深く、パリ4区(セーヌ川右岸)にある総合文化施設であるポンピドゥー・センターの設立に尽力した。

ジョルジュ・ポンピドゥー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(20代)ジスカール・デスタン

ヴァレリー・マリー・ルネ・ジョルジュ・ジスカールデスタン(フランス語: Valéry Marie René Georges Giscard d’Estaing、1926年2月2日 – 2020年12月2日)は、フランスの政治家。1974年5月から1981年5月まで同国の大統領を務めた。ジスカールまたはVGEとも呼ばれる。なお本項目では基本的に「ヴァレリー」と呼称する。

在任中は離婚・避妊・中絶などの社会問題に対してリベラルな態度を示し、国と大統領職の近代化を試みてTGVのような広範囲なインフラプロジェクトを立ち上げ、フランスの主要なエネルギー源としての原子力発電への依存度を高めた。1973年10月のエネルギー危機後の景気後退により、人気は低迷して第二次世界大戦後の「栄光の三十年間」の終わりを告げることになった。

ヴァレリー・ジスカール・デスタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(21代)フランソワ・ミッテラン

フランソワ・モリス・アドリヤン・マリー・ミッテラン(フランス語: François Maurice Adrien Marie Mitterrand、1916年10月26日 – 1996年1月8日)は、フランスの政治家。同国第21代大統領(在任:1981年5月10日 – 1995年5月17日)、アンドラ共同大公。国民議会議員、司法大臣、内務大臣などを歴任した。

共産党との連立でピエール・モーロワ内閣を成立させ、有給休暇の拡大・法定労働時間の削減・ラジオおよびテレビの自由化・大学入試の廃止・死刑制度の公式廃止を行うとともに私企業の国有化・社会保障費の拡大をはじめとする社会主義的政策を取った。このためギー・ド・ロチルドとベルナール・アルノーら多くの企業家たちがフランスを出国する事態となった。

しかし翌1982年にはインフレの進行と失業者の増加に直面した(ミッテラン・ショック)。賃金を凍結して公共支出を削減するなど緊縮財政を取り、さらに首相もローラン・ファビウスに替えた。普仏戦争の賠償金シンジケートが抑えきれなくなり、自由主義的政策に転回することになり、1984年には共産党が連立から離脱した。

フランソワ・ミッテラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(22代)ジャック・シラク

ジャック・ルネ・シラク(フランス語:Jacques René Chirac、Fr-Jacques_Chirac.ogg Jacques René Chirac、1932年11月29日 – 2019年9月26日)は、フランスの政治家。ヴァレリー・ジスカール・デスタン政権及び第1次コアビタシオンでのフランソワ・ミッテラン政権で第6・10代フランス首相、第22代フランス大統領及びアンドラ共同大公を歴任した。

当選直後に包括的核実験禁止条約の締結を控えて核兵力の確認と誇示のため、南太平洋のムルロア環礁で数度の核実験を強行し、「駆け込み実験」だと世界的な非難を浴びた。
これにより、同年のイグノーベル平和賞を受賞した。同時に地下核実験を行った中華人民共和国と両国の関係強化に努めた(後述のようにシラクはド・ゴールを敬愛しており、ド・ゴールは冷戦下の西側で最も早く中国と国交を樹立するなど親中の姿勢で知られる)。

親日派
ジャック・シラクは親日家(知日派)として知られており、日本文化に対する造詣も深い。幼少期にパリの東洋美術館、ギメ美術館を観覧し東洋美術に関心を持ったのが日本への関心の始まりである。【……相撲好き(好角家)としても知られた】

ジャック・シラク
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(23代)ニコラ・サルコジ

ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ(フランス語:Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa、1955年1月28日 – )は、フランスの元政治家。第23代フランス大統領、アンドラ共同大公(Co-Prince of Andorra)を務めた。

在任中は2007年から2008年にかけての金融危機(景気後退、欧州債務危機)、南オセチア紛争(サルコジが停戦交渉した)、アラブの春(特にチュニジア、リビア、シリア)に直面した。フランスの大学改革(2007年)、年金改革(2010年)を主導した。

日本
親日家として知られていたシラクとは異なり、サルコジの日本文化に対しての嫌悪感が窺える発言は多い。

ニコラ・サルコジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(24代)フランソワ・オランド

フランソワ・ジェラール・ジョルジュ・ニコラ・オランド(フランス語: François Gérard Georges Nicolas Hollande、1954年8月12日 – )は、フランスの政治家。第24代フランス大統領、アンドラ共同大公を務めた。

フランソワ・オランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(25代)エマニュエル・マクロン

エマニュエル・ジャン=ミシェル・フレデリック・マクロン(フランス語: Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron、1977年12月21日 – )は、フランスの政治家。同国第25代大統領(在任:2017年5月14日 – )、アンドラ共同公。大統領府副事務総長、経済・産業・デジタル大臣を歴任した。

財務監査官の上級公務員として働いた後、ロスチャイルドグループの金融持株会社・ロスチャイルド&カンパニー傘下の銀行であるロスチャイルド銀行)の投資顧問業務に就いた。

2012年5月、フランソワ・オランドによって副事務総長に任命された。2014年8月にビジネスライクな改革を推進した第2次マニュエル・ヴァルス内閣において経済・産業・デジタル大臣に任命された。2016年8月に翌年の大統領選挙に立候補するため、大臣職を辞任した。2006年から2009年にかけて社会党に属した後、マクロンは中道の政治団体「En Marche!(アン・マルシュ!)」を結成する。

2017年5月7日に決選投票で66.1パーセントの投票を獲得し、国民連合のマリーヌ・ル・ペンに勝利した。マクロンは39歳という歴史上で最も若いフランス大統領となり、首相にエドゥアール・シャルル・フィリップを任命した。

エマニュエル・マクロン
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