ウィキペディアで学ぶ「セントサイモン=ヘロド系」説

【はじめに】
この記事では、2010年代に発表され、国内でも一部で大きな衝撃をもって受け止められた競馬の血統に関する新説について、日本語版ウィキペディアを通じて学んでいきたいと思います。

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タイトルに要約しましたが、「セントサイモン」という19~20世紀を席巻したサラブレッドの血統表が実態と異なり、「ダーレーアラビアン→エクリプス」系という定説を覆す遺伝子的な証拠が発見され、実は「バイアリーターク → ヘロド」系だったのではないかというものです。

競馬中級者以上なら「三大始祖」という概念を日本で耳にしたことがあるかと思いますが、そんな世界的な常識を根底から覆す新説についてウィキペディアの平易な表現で見ていくと共に、最後には2つの説の血統表を即席で作っていますので、そちらも簡単に触れていきたいと思います。内容は基本的には中級者以下向けですし、私も素人なのでざっくり抑えていきたいと思います。それでは参りましょう!

(↓)2023年8月、新たに起稿した記事です。「セントサイモンの悲劇」を現代日本と比較してます。

三大始祖:ダーレーアラビアン

(1700頃~1730)ダーレーアラビアン

2017年に発表された家畜馬に対する大規模なY染色体ハプロタイプの系統解析によれば、ダーレーアラビアンはターク種であったと考えられている。子孫のY染色体から再建されたY染色体のSNPの比較では、バイアリータークとは1塩基、ゴドルフィンアラビアンとは2塩基しか違いが無く、3頭は近い関係にある。この3頭から更に父系を遡った始祖は、おおよそ300-450年前に生きていた1頭のターク種の牡馬であったと推定されている。

また、スタンダードブレッドフライングチルダーズ系や米温血種のヤングマースク系は、ダーレーアラビアン系のSNPを持つ一方で、ホエールボーン系に発生しているインデルを持たない。父系に関しては、これらの馬の血統がほぼ正しいことが確かめられた。

一方、血統書上ダーレーアラビアンの父系子孫とされるサラブレッドパーシモン系やセルフランセの支配系統であるオレンジピール系では、全頭でバイアリーターク系のY染色体ハプロタイプが検出された。その最近共通祖先であるセントサイモンは、実際にはダーレーアラビアンの父系子孫ではなく別の始祖であるバイアリータークの子孫である可能性が極めて高いことが明らかとなった。

(1714~1741年)フライングチルターズ

なお、Y染色体の系統解析により、これらの馬の父系子孫はY染色体MSYに共通のSNPを持っていることが判明している。これは、フライングチルダーズからマンブリノIIの何れかの段階で新たに獲得したと考えられ、少なくともマンブリノIIが生まれた1806年以降の父系血統が正しいことを立証する。

また、ダーレーアラビアン系特有のSNPを保有する一方、エクリプスからホエールボーンのいずれかで発生したインデルを持たない。これらの結果は、残されている血統書と矛盾しない。

中興の祖:エクリプス系

(1764~1789年)エクリプス

なお、父はマースクではなくシェイクスピアだという説もある。タタソールの記録帳には、デニス・オケリーの厩務員の証言として、1763年のスピレッタにはマースクに交配される前にシェイクスピアとも交配されたという記述がある。エクリプスの特徴もシェイクスピアに似ているという。

しかしこれはあくまで仮説であり、公式にはエクリプスの父はマースクである。もっとも、シェイクスピアの父親はホブゴブリンであり、その父の父はマースクと同じくダーレーアラビアンに遡るため仮にこちらが本当だとしても父系自体に大きな変更はない。

後世への影響
だが、ヘロド系が優勢だったのは1830年頃までで、19世紀中盤以降ハイフライヤー系が衰退・滅亡するヘロド系に対し、ストックウェルニューミンスターセントサイモン等大種牡馬を連発したエクリプス系が勢力を伸ばした。これ以後現在に至るまでエクリプス系優位が続いている。現在エクリプス系は主にポテイトーズとキングファーガスの2頭にさかのぼることができる(子孫についての詳細はエクリプス系を参照のこと)。

遺伝子
また、同一系統対立遺伝子の遡及系統解析によると、エクリプスの遺伝子を多く持つ個体は競走能力が低い傾向がみられ、特に現役期間が短い傾向が顕著であった(他に出走率や獲得賞金も低い傾向がみられる)。現役期間の短さについて、この研究はエクリプスの祖父が患っていた肺出血について言及している。

(1807~1831年)ホエールボーン

本馬はメールライン(サイアーライン)上では現在に繋がるタッチストンバードキャッチャー、現在では滅びているものの一時発展したウェイバリーやディフェンス系等の分岐点に当る。エクリプス系の内、セントサイモン系を除く全てのサラブレッドの父系祖先ということになる。

本馬はY染色体に突然変異(YE3領域に1塩基の欠失)を持っていたと考えられており、子孫はY染色体ハプログループ3に属する。すなわちゲノム解析により本馬の子孫を鑑別可能である。

件(くだん)のセントサイモン系

(1881~1908年)セントサイモン

セントサイモンあるいはサンシモン (St. Simon) は、19世紀末に活躍したイギリス競走馬である。以後のサラブレッドに絶大な影響を残したで、史上もっとも偉大なサラブレッド種牡馬と言われることもある。異名は「煮えたぎる蒸気機関車」 (Blooming steam-engine) 。

1886年から種牡馬となった。セントサイモンは種牡馬として空前の成功を収め、牡馬牝馬で1頭ずつの三冠馬を産出し、クラシックを全勝した年(1900年)すらあった。その血統はイギリスに留まらず世界中に拡散し、サラブレッドの血統に多大な影響を残した。27歳の時に心臓麻痺で死亡するが、その後半世紀を待たずにセントサイモンの血を持たないサラブレッドはほぼ姿を消した。現在、セントサイモンの血を持たないサラブレッドは存在しないと言われている。

直系子孫の急激な拡大
セントサイモンの種牡馬成績は20歳に達した1901年頃を境に下降線を辿り始める。1902年に息子パーシモンがセプター等の活躍によりリーディングサイアーになるとセントサイモンは2位に落ち、二度とリーディングを取ることはなかった。しかしセントサイモンに代わって産駒が種牡馬として活躍する様になり、パーシモンの他にもセントフラスキン、デスモンド等数多の後継種牡馬が登場した。イギリスでは1888年 – 1913年の26年間にガロピン系だけで19回種牡馬リーディング1位を取っている。クラシックは1901年にガロピンとセントサイモンの直系子孫で4勝、1902年にも直孫で独占し、1912年の種牡馬リーディングでは首位パーシモンを筆頭としてデスモンド、セントフラスキン、チョーサーウィリアムザサードの5頭が7位までにひしめいた。この頃イギリス国内で行われる重賞勝ち馬の半分までをセントサイモン系が占めるまでになったという。「セントサイモン系でなければサラブレッドではない」という言葉も使われた。

セントサイモンの悲劇
しかし、この繁栄は長くは続かず1910年代半ばには衰退を始めた。1908年から1914年にかけ有力な種牡馬が相次いで死亡、その上残った種牡馬も輸出されたり失敗したりで活躍馬を出せなくなり、牡馬のクラシックホースは1914年のエプソムダービー優勝馬ダーバーが最後となる。
この結果、イギリス国内でセントサイモン系は急速に数を減らし、1930年ごろまでには親系統に当たるガロピン系を巻き込んで姿を消した。また、オーストラリア、南アメリカに広がっていたセントサイモン系も同様に滅亡した。隆盛を極めたセントサイモンの父系があまりに短期間のうちに消滅してしまったために、日本では「セントサイモンの悲劇」と呼ばれている。
このような結果に終わった理由として、ある種牡馬の血が交配可能な牝馬の大半に行き渡ると、その種牡馬の系統に属する種牡馬は近親交配を避けるために満足な交配機会を得られず、その結果急に勢力を減じると理論づけられることがある。

血統背景
父ガロピン……詳細についてはガロピンを参照。父系エクリプス系の中でも傍流のキングファーガスハンブルトニアン の流れをくんでいる。この系統はセントサイモンの登場と同時期にガリアード やサンドリッジ なども種牡馬として成功し隆盛を極めた。なお、2017年になって、この父系の正確性に疑惑が生じている。

遺伝子
2017年のウィーン獣医科大学を中心とした研究グループの報告によると、本馬の子孫であるパーシモン系やオレンジピール系のY染色体MSYにダーレーアラビアン系であれば本来存在するはずのSNPが無く、セントサイモンは実際にはバイアリータークの父系子孫である可能性が極めて高いことが明らかとなった。

(1919~1940?)オレンジピール

なお、本馬の父ジュドランジュはセントサイモン産駒セントフラスキンの末裔。セントフラスキンは一時イギリスで首位種牡馬にもなったが、この時期発生していたセントサイモンの悲劇などが要因となり衰退、今日父系は本馬によってのみ継承されている。一方母はリレッタという馬で、母の父はフランスの名馬アジャックスである。

(1803年)ホワイトロック

ホワイトロックは、19世紀初頭のイギリス競走馬種牡馬。競走成績も種牡馬成績も振るわず一介の二流馬に終わったが、産駒のブラックロックを通じ、2011年現在でも父系子孫が現存している。

ウィリアム・ガーフォースによる生産。馬名の由来は尻尾に白い毛が混じっていたことから名付けられた。競走馬としては1809-1810年の2年間走ったが、大きなレースや著名な馬に勝つことはなかった。ドルイドによれば「頭部は大きく不細工で、太った前脚を持った、うるさい種類の馬であった」という。種牡馬としても低調に終わり、気性の悪さで有名なブラックロックが唯一の活躍馬である。

ホワイトロックの父に関する疑惑
2017年になってセントサイモン系のY染色体ハプロタイプヘロド系と一致することが指摘された。
セントサイモンの父系には2ヶ所疑惑があり、そのうちの1つとして、セントサイモンの6代前にあたるホワイトロックの父はハンブルトニアンではなく、実際にはデルピニ(ハイフライヤー産駒)が正しいというものがある。これが事実だとするとホワイトロックおよびその子孫はエクリプス系ではなくヘロド系ということになる。

(1774~1793年)ハイフライヤー

セントサイモン系のY染色体に関する疑惑
2017年になってセントサイモン系のY染色体ハプロタイプヘロド系と一致することが指摘され、サラブレッドのハイフライヤー系がまだ滅んでいない可能性が浮上した。セントサイモンの父系には2ヶ所疑惑があり、そのうちの1つとして、セントサイモンの6代前のホワイトロックの父はハンブルトニアンではなく、実際にはデルピニが正しいというものがある。デルピニの父はハイフライヤーである。

2つの説で血統表を作ってみた

【説①】ホワイトロックの3代父がヘロド

父:ハンブルトニアンの場合、ダーレーアラビアン > エクリプス系に該当
仮にこれが父:デルピニ(祖父:ハイフライヤー)だと、ヘロドの3×3かつブランクの3×4となり、父系はバイアリーターク系となる。

仮に上の表を信じていたら、ヘロド(バイアリーターク)の血が思ったより濃くなったり、エクリプスの血が思った薄かったなどの想定外が発生していたかも知れません。そして何より「三大始祖」やエクリプス系などと語られてきた血統の基本が根底から覆ることとなりかねません。

【説②】セントサイモンの祖父がディライト

一般的には「Galopin」の父はVedette。父系は基本的に「ダーレーアラビアン」に繋がるとされてきた。
これが仮に「Galopin」の父がDelightだっただけでも、父系が「ヘロド > バイアリーターク」系となる大変革。

そして多くの競馬ファンに指摘されるとおり、19世紀中頃の強豪馬である「ザフライングダッチマン」のクロスが、父・ガロピンの代で「3×2」と極めて濃くなり、その産駒にあたる「セントサイモン」からみても「4×3(俗に言う奇跡の血量)」となります。

更に、バイアリータークやヘロドの血のプール量が血統表から見えるより多いという疑問にも答える物となりますし、日本で『セントサイモンの悲劇』と呼ばれる時期とも合いやすくなる様にも感じます。

憶測でしかないものの、セントサイモン系の急速な発達と衰退や、キツすぎる性格の真相が少し見えてくるかのように思えます。ひょっとしたら、エクリプス系を離そうとヘロド系をアテたことが結果的に「ヘロド系」の血を実態として集めすぎ、飽和してしまった可能性も見えてきますよね。

ひょっとしたら、日本でいう令和の時代、人類だけでなく馬の遺伝子の研究が進むことによって、更に新たな歴史的な発見や異説が誕生していくかも知れません。本来の意味とは異なるかも知れませんが、「血のドラマ」や「ミステリー」に心躍ることとなるかも知れませんね。信じるか信じないかは(ry

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