【はじめに】
この記事では、大相撲の戦後の歴史で過去に4回あった「11勝4敗での幕内最高優勝」について、ウィキペディアの記述をベースに纏めていきます。
直近では、令和5年9月場所(2023年秋場所)で「熱海富士」を「貴景勝」がやぶった事例が該当する「11勝4敗での幕内最高優勝」ですが、数えるぐらいしか実例がないほどの混戦、乱戦とも言えるのです。皆さんは全ての例を言えますか? 貴方の記憶に残っている場所はありますか? ぜひ最後まで、お楽しみ下さい。
20世紀:2例(昭和1例、平成1例)
1例目:前05・栃東 昭和47年1月場所(1972年 初)
双葉山の時代を除くと15日制が定着したのが戦後1949年のこと。それから年6場所も定着し、初めて「11勝4敗」で幕内最高優勝が決まったのが昭和47年1月場所でした。
1972年の相撲
- 1月9日 – 1月場所初日。北の湖が18歳7ヶ月の史上最年少で入幕。初日から北の富士対琴櫻の横綱・大関戦が組まれ、従来の慣行を打ち破る取組が組まれた。
- 1月16日 – 1月場所8日目の横綱・北の富士対貴ノ花戦で北の富士の右手が先についたとして、25代木村庄之助は貴ノ花に軍配を上げる。しかし、物言いがつき「かばい手」か「つき手」か論争となる。協議の結果軍配差し違えで北の富士の勝ちとなり、25代木村庄之助は謹慎処分に。
- 1月23日 – 1月場所は栃東が優勝。11勝4敗の優勝は15日制になってからは最低の成績となった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1横綱4大関3関脇3小結と番付はそれなりに豪華だったものの、一人横綱だった北の富士関が途中休場をし「7勝7敗1休」の負け越し相当となる苦しい展開に。
1972年1月場所(地位は西前頭5枚目)では11勝4敗という15日制初の11勝での成績で幕内最高優勝を果たしたが、千秋楽、大関・清國との一番に負ければ8人の5敗力士による優勝決定戦になるところであった。
栃東知頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
具体的には、下という最終結果になりましたが、千秋楽の結びの一番で「栃東(10勝4敗) 対 清國(9勝5敗)」で栃東が敗れていれば、ウィキペディアにあるように8人で10勝5敗の決定戦となる可能性もありました。
- 11勝4敗:西前05・栃東
- 10勝5敗:大関・琴櫻、関脇・長谷川、新小結・輪島
前03・福の花、前08・吉王山、前10・若二瀬
全体的に人数が少なく(幕内35名)、更に早く休場する力士もいた一方、皆勤力士はそれなりの好成績を収めていたことから、団子状態での優勝争いになったのだと思います。
2例目:大関・武蔵丸 平成8年11月場所(1996年 九州)
時代は再びほぼ四半世紀を経て、初代の息子である栃東が新入幕となった平成8年の九州場所。貴乃花が4連覇で15回目の優勝を果たした秋場所から2ヶ月。貴乃花が休場したことで先場所の全勝優勝から一転し、大混戦の場所となりました。
三役以上の成績を番付と共に纏めると以下のとおりとなります。
東方 | 成績 | 番付 | 西方 | 成績 |
---|---|---|---|---|
貴乃花 | 全休 | 横綱 | 曙 | 11勝4敗 |
若乃花 | 11勝4敗 | 大関 | 武蔵丸 | 11勝4敗 |
貴ノ浪 | 11勝4敗 | 大関 | ||
貴闘力 | 6勝9敗 | 関脇 | 魁皇 | 11勝4敗 |
関脇 | 琴錦 | 8勝7敗 | ||
旭豊 | 5勝10敗 | 小結 | 武双山 | 8勝7敗 |
結果的に、横綱大関で出場した4人全員が11勝4敗で並び、更に後に長寿大関となる魁皇が、関脇から11勝4敗として加わるというなんとも豪華な5人による優勝決定戦となったのです。当時の千秋楽の割を振り返ると、
- 結び前:「貴ノ浪(10勝4敗)対 武蔵丸(11勝3敗)」
- 結 び:「若乃花(11勝3敗)対 曙 (10勝4敗)」
と、大関横綱戦はいずれも3敗力士が敗れ、4敗力士が追いついたことで、5人が並ぶ奇跡的な結果となったのです。これは11勝4敗単独だった1例目とは大きく異なる点といえるでしょう。
5人による優勝決定戦は、それこそ動画サイトで検索すれば全て出てくるかも知れませんが、この記事でも簡単にテキストで触れておきます。
- 横綱・曙が「◯(シード)」となって、「若乃花 対 武蔵丸」、「貴ノ浪 対 魁皇」が準決勝のような形で対戦。
- 武蔵丸と貴ノ浪という2大関が勝って、横綱・曙を含めた3人による「巴戦」を実施
- 巴戦1戦目は「武蔵丸 対 曙」で大関・武蔵丸がハワイ対決を制し、
- 巴戦2戦目は「貴ノ浪 対 武蔵丸」で武蔵丸が連勝し、5人では最少の4番で優勝者決定。
- 全勝優勝を果たした1994年名古屋場所以来2年半ぶり2回目の優勝を果たしました。
21世紀:2例(平成1例、令和1例)
3例目:横綱・日馬富士 平成29年9月場所(2017年 秋)
この場所は初日から白鵬、稀勢の里、鶴竜の3横綱が休場という、昭和以降初となる異例の状態で始まる。その結果事実上の一人横綱となった日馬富士だったが、3日目の琴奨菊戦において、立ち合い不成立と勘違いしたことで一方的に寄り切られて黒星を喫すると、そこから4日目北勝富士戦、5日目阿武咲戦と立て続けに敗れ、まさかの3日連続金星配給となってしまった上に、序盤で黒星が先行してしまった。
一方大関陣は、角番の照ノ富士が初日から元気のない相撲が続き、ついに6日目から休場になってしまう。さらに大関2場所目の髙安も2日目に玉鷲に敗れた際に右ひざを負傷し、3日目から休場。その結果、3横綱2大関が休場するというまさかの事態となってしまった。
6日目に阿武咲が敗れたことで早くも全勝が消えると、この場所角番だった豪栄道が初日の黒星以降安定した相撲で白星を積み重ね、優勝争いを牽引していく。11日目には唯一1差で追っていた千代大龍が敗れたことで、4日間を残して2差をつけてのトップに立つ。翌12日目には松鳳山に土俵際で叩き込まれて2敗に後退するも、3敗だった平幕の3人が全員敗れたため、引き続き2差を保つが、序盤の3連敗で早々と脱落したかと思われた横綱・日馬富士を含む10人もの力士が2差の4敗で後を追うという状況になり、優勝争いは一転、混戦模様を呈してきた。
大相撲平成29年9月場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
といった状況になり、13日目の段階で優勝争いはほぼ「日馬富士」と「豪栄道」に絞られます。そして「豪栄道(11勝3敗)対 日馬富士(10勝4敗)」で、横綱が『寄り切り』で意地を見せ、この場所を皆勤した2人が結果的に11勝4敗となって1対1の優勝決定戦となります。
優勝決定戦でも再び、日馬富士が豪栄道を『寄り切り』にやぶり、星の差を最大3つ付けられた横綱・日馬富士は、7場所ぶり9回目の優勝。豪栄道は前年秋場所の全勝優勝に次ぐ連覇を目指しましたが、最後に力尽き、7勝8敗のカド番からの2年連続の優勝は果たせませんでした。
4例目:大関・貴景勝 令和5年9月場所(2023年 秋)
令和に入って横綱大関陣が圧倒的な強さを見せられず、平幕優勝が急増する中で、12勝3敗で優勝が決する場面が明らかに増えてきます。2022年1月から2023年7月までで14勝1敗での優勝は1回のみ。3場所続けて12勝3敗で決する事態が2回生じている中、2023年9月場所ついに11勝4敗という結末を迎えることとなります。
静岡県勢の初優勝、大正時代以来の「十両 → 幕内」での連続優勝、年6場所制 序ノ口からでの最速優勝、21歳での年少優勝などが後半戦で期待を集めた「熱海富士」。中盤戦を終えた段階で、後続に星の差2つをつけますが、終盤に上位戦が組まれると星の差が縮まります(詳細は下記の通り)。
10日目終了時点では、熱海富士が1敗で後続と2差をつけ単独トップ。
しかし12日目・13日目と熱海富士が連敗。13日目は取組前の時点で3敗の貴景勝と2敗の熱海富士の直接対決があり、貴景勝が勝って貴景勝と熱海富士が3敗で並ぶ展開に。
14日目、熱海富士は3敗を守ったのに対し、貴景勝は豊昇龍に敗れ4敗に後退。14日目の取組終了後、4敗は貴景勝・大栄翔・髙安・北青鵬の4人となった。
千秋楽、熱海富士が勝てば優勝だったが、敗れて4敗に後退。他の4敗勢は全員これより三役の揃い踏みの後に登場。
大相撲令和5年9月場所
展開次第では3人以上による優勝決定戦の可能性もあったが、北青鵬は豊昇龍に敗れ、貴景勝-大栄翔の直接対決は貴景勝が勝ち、結びでは髙安が霧島に敗れ、貴景勝と熱海富士の優勝決定戦となった。そこでも貴景勝が熱海富士を破り、貴景勝の逆転優勝となった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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