【はじめに】
この記事では、2022年に運用が始まった「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が平成以前からあったら、どのぐらいの頻度で発表されていたかをシミュレーションしていきます。
「北海道・三陸沖後発地震注意情報」について
2011年の東日本大震災を受けて地震学の研究が進んだ結果、東日本大震災に隣接する領域を中心とした「日本海溝」沿いや、全国的にみても『ひずみ』がたまり続けているにも関わらず数百年間、超巨大地震が起きていない「千島海溝」沿いで、巨大地震のリスクが高まっていることが明らかとなってきました。
地震予知は出来ないものの、顕著そうな「前駆現象」が認められた際に発表される「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が始まったのは2022年12月のことでした。情報の基本情報については上の記事に、纏めてありますので詳しく知りたい方はどうぞ。
そして、今回シミュレーションするにあたっては、気象庁のホームページにあった以下の基準をベースとします。モーメントマグニチュードの値については、気象庁のものとUSGS(アメリカ地質調査所)のデータを総合的に判断することとします。
細かいところは各自お調べいただければと思いますが、あくまでも平成から令和に移行するような時期に運用が開始された情報であるため過去の蓄積が不足しています。当然ですが、的中事例などあるはずもありません。そこで、気象庁の「震度データベース検索」などを駆使して、この情報が100年以上も前から運用されていた場合、どんな実績が想定されるのかシミュレーションしていこうと考えました。
※とはいえ、あくまでも素人個人の得られる範囲ですし、科学的根拠のあるものでもありません。加えて、過去のデータが今度も続くとは限らない点はあらかじめご了承ください。
シミュレーションを作る思いについては、類似情報である「南海トラフ地震臨時情報」の記事もご参照ください。(↓)
大正・昭和(戦前)時代:20年弱で10回程度
まずは大正時代以降(実質的には昭和に入ってから)の期間を見ていきます。厳密に上の地図の範囲でみると、以下の10例となりました。対象期間内の目立った地震に、1933年の昭和三陸地震や、1936年の宮城県沖地震が挙げられます。
- 1928/05/27 Mw7.3 岩手県沖
- 1931/03/09 Mw7.9 三陸沖
- 1933/03/03 Mw8.4 昭和三陸地震
- 1935/09/11 Mw7.5 色丹島沖
- 1935/10/13 Mw7.1 岩手県沖
- 1935/10/18 Mw7.2 三陸沖
- 1936/11/03 Mw7.3 宮城県沖地震
- 1939/10/11 Mw7.4 岩手県沖
- 1943/06/12 Mw7.3 青森県東方沖
- 1945/02/10 Mw7.2 青森県東方沖
振り返ってみると、情報が出される間隔は最長でも3年半であり、活発な地震活動に合わせて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が十年のうちに何度も出されていただろうことが想定されます。
このうち、1935年10月にはUSGS調べで大地震が2度連続しており、一応は最初の『的中例』と言えるような結果となっています。もちろんどちらも陸地から離れている上、震度も中程度でしたから、世間が求める的中とは違うかも知れませんが参考程度に押さえておきたい事例です。
昭和(中期)時代:約10年で1~6回程度
1945年から1957年までの10年強では、1952年の十勝沖地震を唯一の例として「北海道・三陸沖後発地震注意情報」にピッタリと合致するような地震はなかったようです。但し、その周辺領域(択捉島沖など)では地震活動が見られました。
対して、1958年の択捉島沖の巨大地震を含めると、その後の8年程度の中で毎年のように情報が発表されるような活発な時期となっていたことが窺えます。1968年の十勝沖地震に向かっていく時期です。
- 1952/03/04 Mw8.1 十勝沖地震
- 1958/11/07 Mw8.3 択捉島沖地震
- 1960/03/21 Mw8.0 三陸沖
- 1960/03/23 Mw7.0 岩手県沖
- 1961/08/12 Mw7.0 釧路沖
- 1962/04/23 Mw7.1 広尾沖地震
- 1964/06/23 Mw7.1 根室沖
1960年にはUSGSの調べによると、日本海溝沿いで大地震が起き、2日後にMw7.0の地震が起きていたとされています。1935年以来四半世紀ぶりの事例です。
(参考)1963年の「択捉島南東沖地震」
(出典)内閣府ホーム > 内閣府の政策 > 防災情報のページ > 防災対策制度 > 地震・津波対策 > 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震対策> 北海道・三陸沖後発地震注意情報の解説ページ 【リーフレット(PDF形式:1.97MB)】
また、上の表には厳密には当てはまらないのですが、上記の内閣府・気象庁のリーフレットにも載っている1963年の「択捉島南東沖地震」の事例は、前駆活動がはっきりとあった好例とされています。
USGS(アメリカ地質調査所)によると、Mw7.0の地震があった18時間後にMw8.5(Mj8.1)という巨大地震が起きています。仮に、1個目のMw7.0の地震の段階で「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が出されていれば『完全的中』事例となったでしょうが、この択捉島は地図の枠の外になるため、恐らく実際には情報が出されなかったと思われます。
昭和(後期)時代:余震という形で該当3例程度
昭和40年代は千島海溝で巨大地震が相次ぎ、その余震活動という形で1週間程度の間にM7以上の地震が続く事例が3回ありました。1968年の十勝沖地震、1969年の色丹島沖地震、1973年の根室半島沖の地震です。
- 1968/01/29 Mw7.4 色丹島沖
- 1968/05/16 Mw8.2 十勝沖地震
→ 68/05/16 Mw7.9 青森県東方沖(10時間後) - 1968/06/12 Mw7.0 三陸沖
- 1969/08/12 Mw8.2 色丹島沖地震
→ 69/08/14 Mw7.1 〃 - 1971/08/02 Mw7.1 十勝沖
- 1973/06/17 Mw7.7 根室半島沖地震
→ 73/06/24 Mw7.1 〃 - 1978/06/12 Mw7.7 宮城県沖地震
- 1980/02/23 Mw7.0 色丹島沖
本来想定されるのは、最初の地震よりも大きな地震(巨大地震)が起きる事例ですが、これらはいずれも巨大地震の後に一回り小さい余震として大地震が起きた事例です。こういったものを『的中』に含めるかで情報の印象はかなり異なってくると想定されます。
こちらも1980年代には頻度が極端に落ちるなど、千島・日本海溝沿いの活動が活発か否かで情報の出る頻度が「数年に1度」なのか「十数年に1度」なのかが変わってくる点は注意が必要そうです。
平成・令和時代:
まずは平成年間の前半。この頃は千島海溝沿いで大地震が頻発していましたが、1週間程度以内で余震活動として見られた3例が注目に値するかと思います。
- 1989/11/02 Mw7.4 三陸沖
- 1993/01/15 Mw7.5 釧路沖地震
- 1994/10/04 Mw8.3 北海道東方沖地震
→ 94/10/09 Mw7.3 〃 - 1994/12/28 Mw7.8 三陸はるか沖地震
→ 95/01/07 Mw7.0 岩手県沖 - 2003/05/26 Mw7.0 三陸南地震
- 2003/09/26 Mw8.2 十勝沖地震(04:50)
→ 03/09/26 Mw7.4 〃 (06:08) - 2004/11/29 Mw7.0 釧路沖
特に2003年の十勝沖地震では、約1時間後に起きた地震でも浦河で2回目の震度6弱を観測するなど、通常であれば本震と思えるような大規模だったことを思うと、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の発表が間に合っていたかは微妙ですが、間に合っていれば一定の効果はあったでしょう。
そして、先の内閣府・気象庁のリーフレットにもありますが、2011年3月9日に起きた三陸沖の大地震が、2日後の「東北地方太平洋沖地震」の前駆活動だったことは広く知られています。
- 2011/03/09 Mw7.3 三陸沖
- 2011/03/11 Mw9.0 東北地方太平洋沖地震
→ 11/03/11 Mw7.9 茨城県沖 ほか多数
→ 11/03/11 Mw7.7 三陸沖 - 2012/12/07 Mw7.3 三陸沖
- 2021/03/20 Mw7.0 岩手県沖
これは『完全な的中』事例であり、仮に発表されていれば非常に効果的だったと思われます。対して、これまで見てきたとおり、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の『的中』率は決して高くないことを理解したうえで、適切に対応することが求められることを再確認していただければと思います。
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