もし「南海トラフ地震臨時情報」が戦前からあったらのシミュレーションをしてみた

【はじめに】
この記事では、2010年代に運用が始まった「南海トラフ地震臨時情報」が仮に戦前からあったら、どのぐらいの頻度で発表されていたかをシミュレーションしていきます。

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「南海トラフ地震臨時情報」について

東日本大震災を経験するまでは「東海地震に関連する情報」として運用され、2010年代後半に全面的な見直しが行われた「南海トラフ地震に関連する情報」。

気象庁ホームページの「南海トラフ地震に関連する情報の種類と発表条件」のページによると、南海トラフ地震臨時情報の情報発表条件は以下の2つとされています。

  • 南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、その現象が南海トラフ沿いの大規模な地震と関連するかどうか調査を開始した場合、または調査を継続している場合
  • 観測された異常な現象の調査結果を発表する場合
(出典)気象庁ホーム > 知識・解説 > 南海トラフ地震について > 南海トラフ地震に関連する情報の種類と発表条件

要するに、異常な現象が観測されたことを受けて臨時に発表される情報という位置づけです。なので、あくまでも『起きるとは限らない』訳ですし、反対に『臨時情報が出ていない時に巨大地震が起きない訳でもない』点は、繰り返し周知する必要があるかと思います。

具体的な条件についても、上述のページから画像引用します。(↓)

(出典)同上

細かいところは各自お調べいただければと思いますが、あくまでも平成から令和に移行するような時期に運用が開始された情報であるため過去の蓄積が不足しています。当然ですが、的中事例などあるはずもありません。そこで、気象庁の「震度データベース検索」などを駆使して、この情報が100年以上も前から運用されていた場合、どんな実績が想定されるのかシミュレーションしていこうと考えました。

※とはいえ、あくまでも素人個人の得られる範囲ですし、科学的根拠のあるものでもありません。加えて、過去のデータが今度も続くとは限らない点はあらかじめご了承ください。

過去シミュレーション:巨大地震警戒(Mw8.0以上)

厳密な定義のある言葉ではないものの、「巨大地震」というと、気象庁含め一般にM8以上を指します。そして、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)」の情報については、


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南海トラフ地震に関連する情報

『モーメントマグニチュード8.0以上の地震が発生したと評価』した場合に発表されるとされています。そこで、気象庁とUSGS(アメリカ地質調査所)をもとに過去の事例をできる限り復元してみました。

大正時代以前の歴史地震

この情報が導入されるにあたって大きくフィーチャーされたのが今から2回前にあたる「安政」の2日連続の事例です。「安政東海地震」が旧暦11月4日の午前中に起きると、それから32時間ほど後にあたる旧暦11月5日の夕方に「安政南海地震」が起きました。歴史上で唯一、この「巨大地震警戒」の情報が短期に的中した事例となります。

もちろん、記録に不確かな部分が多いことや、宝永地震など「連動型地震」が起きてしまえば後続地震も何もありません。他方、宝永地震の翌日には現在の静岡県富士宮市付近で誘発地震が起きたと伝わりますし、更にその後には富士山の「宝永大噴火」が起きています。情報にピッタリと当てはまらなくても、普段の数百倍以上の確率で大きな地象現象が起きやすくなっているでしょうから警戒が必要です。

1941年11月19日 ● Mw8.0 日向灘

気象庁によると、マグニチュード(Mj)7.2、最大震度5(強震)とされる「日向灘」の地震は、太平洋戦争勃発の前月に当たる1941年11月に起きました。
「日向灘」は特に20世紀までは大きめな地震が多く、これもそのうちの一つとされていますが、1941年のものは、1931年のMw7.9をも上回り近年では最大級だった可能性があります。USGS(アメリカ地質調査所)によると、Mw8.0・深さ35kmという最新値で登録されています。

当時はもちろん、気象庁も今のような精緻な分析が出来なかったばかりか、モーメントマグニチュードという概念自体が存在せず、仮に存在していたとしても日米の緊張の中でしたらから、このMw8.0という推定値を気象庁が採用したとは思えません。しかし仮に現在の観測網が整備された中で全く同じ地震が起き、Mw8.0というアメリカの情報に接していた場合は、『巨大地震警戒』の情報が出されていたかも知れません。

1944年12月07日 ● Mw8.2 昭和東南海地震

上記地震から3年後の1944年12月7日、Mj7.9・震度6(烈震)の「昭和東南海地震」が起きました。最大震度4~5クラスの中規模地震が頻発した後、翌1945年1月には本震を上回る犠牲者が出たともされる「三河地震」(Mj6.8・震度5)が起きています。
但しこの時も1~2週間程度のうちには連動する巨大地震は起きなかったため「●」評価としました。

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1946年12月21日 ● Mw8.4 昭和南海地震

昭和東南海地震から2年を経て、戦後日本を襲ったのが「昭和南海地震」でした。気象庁の観測では、気象官署では最大震度5(強震)でしたが、委任観測所では震度6(烈震)を広く記録していました。地震の規模がMj8.0・Mw8.4という大規模であったことを物語っています。

ただこの地震では、直後に周囲に大地震を誘発せず、M7級の地震が周辺で起きたのは1年以上経ってから(1948年4月の和歌山県南方沖Mj7.0や、同年6月の福井地震)だったことを思うと、『巨大地震警戒』が示す、下の図の行動が『ずばり的中』する事例が決して多くないことは、あらかじめ情報リテラシーという意味でも理解しておくべきかと思います。


(出典)内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  防災情報のページ > 防災対策制度 > 南海トラフ地震対策 > 南海トラフ地震臨時情報が発表されたら!

反対に、『巨大地震警戒』の情報の対象期間を、数週間でなく『数年スパン(例えば5年)』などとすると昭和以降3例中2例が的中(日向灘→3年後→昭和東南海地震→2年後→昭和南海地震)していることを思えば、(数年間緊張感を維持するのは楽ではないですが)5年程度というのが妥当な警戒期間なのかも知れません。

過去シミュレーション:巨大地震注意(Mw7.0以上)

『巨大地震注意』の情報は、Mw7.0以上の地震で発表されるとのことで、上記の『警戒』を除くと昭和以降では5例(6回)、『警戒』を含むと8例(9回)となります。

このうち直後に大地震が起きた事例としては、2004年の三重県南東沖地震が挙げられますが、いわゆる気象庁が情報を設定したもののようなストレートに『的中』となる事例は少なそうです。

1931年11月02日 ● Mw7.9 日向灘

上記の1941年の「日向灘」の10年前にあたる1931年、気象庁マグニチュード7.1(USGS調べのMwでは7.9)となる地震が起きています。
前年に北伊豆地震(Mj7.3・Mw6.9)、2年後に昭和三陸地震が起きた狭間で注目度は高くありませんが、Mw7.9が本当であるならば南海トラフ沿いではかなりの規模となりますし、リアルにこの値が出たら気象庁も『警戒』の情報すら検討しなければならなくなるような規模感です。

1948年04月18日 ● Mw7.4 和歌山県南方沖

昭和南海地震の約1年半後に起きた最大級の余震です。和歌山県南方沖を震源とし、潮岬の真南でほぼ本震の北側に位置していますから、仮にここでMw7.4の地震があれば更に巨大地震が起きるのではないかと警戒感が高まるのは想像に固くありません。今ならSNSが大騒ぎになっているでしょう。

この地震の翌々月1948年6月15日には、紀伊水道(ほとんど和歌山県中南部)でMj6.7で起きましたが、やはりここでも1~2週間を過ぎてからも大きめの地震が起きることに留意すべきでしょう。

1961年02月27日 ● Mw7.5 日向灘

宮崎・日南・都城で震度5を観測するMj7.0の地震。モーメントマグニチュードでは7.5となっています。この時も半年弱後の7月に種子島南東沖でMw7.0の地震が起きるなど、中期的な対応が求められるような状況が想定されます。

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1968年04月01日 ● Mw7.5 日向灘

気象庁マグニチュードでもMj7.5とされ、気象庁マグニチュードでは昭和以降最大級とされる1968年の地震では、インフラ被害や津波の高さが他の事例よりも一回り高かったことが知られています。

また、この後も「日向灘」では何回か、該当しそうで微妙に合致しない事例がありましたので、リストだけ掲載しておきます。


日向灘地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2004年09月05日 △ Mw7.3 三重県南東沖(19:07)

実際に1週間程度以内に同規模以上の地震が起きたほぼ唯一の例といって良いのが、2004年に起きた「三重県南東沖」の地震ではないかと思います。

午後7時過ぎに起きて、最大震度5弱を観測。津波注意報が出されるなど、当初はこれが本震だと思われるような規模の地震でした。SNSのある現代であれば、南海トラフ巨大地震の前兆などとして、きっと大混乱に陥っていたのではないかと思うような不気味な地震でした。

2004年09月05日 ● Mw7.4 三重県南東沖(23:57)

そんな9月5日の1回目の地震で津波注意報が解除され、日付の変わる直前(23時57分)。再び最大震度5弱の揺れが近畿地方を襲います。1回目の地震より若干規模が大きく、津波警報が発表されるなどこちらの方が目立った活動となりました。

今で言う「南海トラフ巨大地震」の東南海の領域内という、戦後以降しばらく起きていなかったエリアで1・2回と大規模な地震が起きたことは先行きが不透明な中で大きな不安をもたらすと思われます。そういった中で、『巨大地震注意』の情報が出たときに、冷静な対応が取れるかは注視しなければならないでしょう。

その他「調査中」とされそうな事例

その他、モーメントマグニチュードでは7未満であるものの、気象庁マグニチュードが6.8以上となっている地震は、『調査中』となる可能性があると見てここで列挙しておきます。

  • 1923年09月01日 △ Mj7.9 関東大震災の一連の活動
  • 1929年05月22日 ● Mj6.9 日向灘地震
  • 1930年11月26日 ● Mj7.3 北伊豆地震
  • 1938年01月12日 ● Mj6.8 和歌山県南方沖
  • 1945年01月13日 ● Mj6.8 三河地震
  • 1974年05月09日 ● Mj6.9 伊豆半島沖地震

上を見ると案外ペースとしては多い時期があったように見受けられますね。

【当初のまとめ】頻度も的中率も高くないが、長めのスパンで

ここまで見てきたとおり、そんな頻繁に出されるものではなくて、昭和の前半なら「数年に1回程度」であり、平成以降では数十年に1~2回といったスパンまで落ち着いています。

また昭和以降での的中率に関しても、情報が発表されてから半月程度で『巨大地震』が起こったことは一応なく、M7以上の大地震までハードルを下げても数える程度しかありません。頻度も的中率も、情報の名前から受けるほど『切迫』した訳ではないと言えるかも知れません。

但し、1941 → 44 → 46年とMw8クラスの地震が連発した事例などを見る限り、『数年スパン』では、案外情報として有効かも知れないなと感じる側面もありました。(超)巨大地震の起きる時期には波があることは経験則的にも知られた話しであり、氷河期ほど長くはないですが、地震の活発な時期というのがあるとすれば、それは数日や数週間ではなく、少なくとも数年単位で身構える必要があるのだと思います。

「天災は忘れたころにやってくる」であるとか「地震は日本全国どこで起きるか分からない」とか「地震がいつ起きても良いように備えを」といったフレーズはよく耳にしますが、その緊張感をずっと維持し続けることは困難です。

南海トラフ巨大地震が、宝永のように大規模に連動するのか、安政のように数日単位で連動するのか、昭和のように数年単位で連動するのか、あるいは歴史に残らなかった想定外の挙動を取るのかは神のみぞ知る世界かも知れません。しかし、注意・警戒を長く持ち続ける重要性を再認識しました。

「Mj6.8(Mw7.0)以上」という基準や、「1~2週間」といった警戒期間の目安などといったものは、科学的な根拠を持ったものというより、社会的な制約との妥協の産物であると考えます。すなわち「M6.7以下ならば前駆現象ではない【とは言い切れない】」とか「警戒を解いた後に巨大地震が襲ってくる可能性【が無いとは言えない】」訳ですから。そこまで今の科学では分かりません。

SNSほど過敏に無根拠に恐れる必要はないでしょうが、仮に初めてこの情報が出されたらパニックに陥るでしょう。そして仮に実際に大きな地震が起こらなければ、情報は軽視されていき、そういった空気の中で巨大地震が発生する可能性もはらんでいます。
それでも、数年単位で求められる巨大地震への緊張感を持続できるよう、過去のデータをもとに今度を注視していきたいと思いを新たにしました。

令和時代の実例:巨大地震注意(Mw7.0以上)

以上のように記事を書いたのが2024年の昭和の日でした。それから3か月半後の2024年8月8日に日向灘で起きた地震により、運用開始後初めて「南海トラフ地震臨時情報」が発表されました。ここからは実例を振り返っていきます。

2024年08月08日 ? Mw7.0 日向灘

周期的なように大地震が発生してきた「日向灘」で21世紀で初めて起きた大地震。午後4時43分、最大震度6弱を観測し、津波注意報が出されると共に、午後5時を過ぎたところで「南海トラフ地震臨時情報(調査中)」の情報が発表され、検討会が午後5時30分から開かれることがメディアで報じられました。当初は(想定されたとおり)『初めて聞いた』という声が、SNS上で大きく必要以上の困惑の声も聞かれました。

午後7時15分、モーメントマグニチュードが7.0であったことから「巨大地震注意」の情報を発表することが公表され、テレビ各局が番組を中断してこの情報の説明を行いました。初めての情報発表に手探りな部分もある中、丁寧でわかりやすい説明を心がけたほか、根拠とした数値的なデータなども具体的に説明していました。

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