【はじめに】
この記事では、日本調教馬が中東を経て遠征することも増えてきた「アメリカクラシック三冠」競走について、ウィキペディアなどを引用して、主に競馬初心者の方向けにまとめていきたいと思います。
アメリカの三冠レースって何だっけ。ケンタッキーダービーだっけ? あと……
って方におさらいして頂くところから早速見ていきたいと思います。
三冠レースはこの3つ!
アメリカクラシック三冠(Triple Crown of Thoroughbred Racing)は、アメリカ合衆国のサラブレッド平地競馬の競走のうち、5月から6月にかけて開催される以下の3歳限定競走のこと、またはその全てを制覇することを指すものである。
アメリカクラシック三冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本語版ウィキペディアが少し見づらかったので、勝手に私が「表」にしました。こちらです。
№ | レース名 | 競馬場 | 距離 |
---|---|---|---|
1冠目 | ケンタッキーダービー | チャーチルダウンズ | ダート10f ≒2012m |
2冠目 | プリークネスS | ピムリコ | ダート9.5f ≒1911m |
3冠目 | ベルモントS | ベルモントパーク | ダート12f ≒2414m |
これら3つのレースを制した馬が「アメリカクラシック三冠馬」となります。後述しますが全部で13頭いて、達成する馬が連続して誕生する時期と、全く達成馬が出ない時期に分かれています。
アメリカ競馬三冠の各競走はベルモントステークスが1867年、プリークネスステークスが1873年、ケンタッキーダービーは1875年に創設された競走である。しかしクラシック三冠の概念は創設当初からあったわけではなく、サーバートンが史上初めてこの3競走を制した当時はその3競走をひと括りにして「三冠」と呼ばれることはなかった。
( 同上 )
初代三冠馬とされるサーバートンが達成したのが1919年で、今「三冠」と見做されているレースが揃ってから半世紀弱の期間があいています。『これが三冠レースだ!』と整理され、定着するまでに時間が掛かるのは“競馬の歴史の長い国”あるあるです。イギリスなんかもそうでした。
アメリカと日本の違い はこれ!
アメリカクラシック三冠の特徴について、ウィキペディアでは以下のとおりまとめられています。
アメリカ競馬のクラシック三冠は、イギリスクラシック三冠よりも、フランス式のそれに似ている。3戦の間隔が短く、例年5月1週目の土曜に開催されるケンタッキーダービーより始まり2週後のプリークネスステークスが第2戦、その3週後のベルモントステークスが最終戦となる。また、いずれも牡馬・牝馬・せん馬の出走が可能である。ただし牝馬にはこれとは別にケンタッキーオークス、およびニューヨーク牝馬三冠(トリプルティアラ)路線が存在するため、牝馬がこの路線上に出走することはあまり多くない。
( 同上 )
ただ、これもダラダラと分かりづらいので、もう少し身近な「日本のクラシック三冠」と比較します。
ここらへんの概念は、多くの国に共通しているところです。逆にいえば違うところが結構あるのが日米の三冠路線の特徴でもあります。簡単に表にしました。こちらで見ていきましょう。
《 アメリカと日本の三冠路線での違い 》
項目 | 日本 | アメリカ |
---|---|---|
騸馬の出走権利 | 出走不可 | 出走可能 |
芝・ダートの別 | 芝コース | ダートコース |
ダービーの開催順 | 2戦目 | 1戦目 |
開催時期 | 4~10月 | 5~6月 |
距離の幅 | 2000~3000m | 1911~2414m |
ここらへんが特に大きな違いとして取り上げられることの多いポイントです。まず決定的に違うのは、「芝」か「ダート」かです。どちらも「その国におけるメインの馬場」で開催されていることに変わりはないのですが、海外競馬の初学者がまず驚くのがそこかも知れませんね。
また、日本では「日本ダービー」が2戦目として行われますが、アメリカでは「ケンタッキーダービー」が第1戦(初戦)として行われるのも特徴です。そして、日本では路線が進むごとに距離が伸びていき、最終的には3000mという長距離レースをこなさないといけませんが、アメリカの三冠は、(約)2000→1900→2400mという分布であり、日本の牝馬三冠よりも距離の差は短くなっています。
加えて、開催時期も、日本やイギリスでは春から秋にかけて約半年間続きますが、アメリカでは1か月ほどで三冠すべての日程を終えます。例えば2021年ですと「5/1 → 5/15 → 6/5」と僅か5週間です。
以上をまとめると、日本の感覚でいうと、「皐月賞 → NHKマイルC → 日本ダービー」が最も近いのかも知れないなと思いました。春先の調子が良ければ達成可能な反面、レース間隔がタイトですし、日本の三冠馬とは求められる適性が異なってきそうです。
三冠レースと日本調教馬の挑戦
1戦目:ケンタッキーダービー
ケンタッキーダービー(Kentucky Derby)はアメリカクラシック三冠の第1冠として、ケンタッキー州ルイビルにあるチャーチルダウンズ競馬場で行われる競馬の競走である。
アメリカ合衆国の競馬における3歳牡馬の最大目標でアメリカの数ある競走としても最高峰のイベントとされ、ブリーダーズカップなどを凌ぐ視聴率や観客動員数を保っている。競馬界のみならずスポーツイベントとしてもアメリカ国内で非常に知名度が高いもので、競走時間から「スポーツの中で最も偉大な2分間」(The Most Exciting Two Minutes in Sports)などと形容される。また優勝馬にはバラのレイが掛けられることから、「ラン・フォー・ザ・ローゼス(Run for the roses)」の通称も持つ。
ケンタッキーダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ここまで絶賛される競馬レースも珍しい気がします(^^ 「ケンタッキーダービー」の格式は日本ダービーを遥かに上回り、国民的な行事としては世界中のダービーの中でもトップクラスな気がします。
☆【ケンタッキーダービー】ルメール日本移籍で叶った「最も偉大な2分間」クラウンプライドと挑戦|日刊スポーツ(2022/05/05)
https://www.nikkansports.com/keiba/news/202205050000160.html
あのルメール騎手も、2022年に「クラウンプライド」と初挑戦するにあたって、興奮していると語り、アメリカのアイコニック(象徴的な)レースだと憧れを語っています。
観戦の際にも伝統があり、出走馬の本馬場入場の際にはミント・ジュレップ(Mint Julep)を飲みルイビル大学のマーチングバンドの演奏のもとケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)を観客全員で歌うのが習わしとなっている。
ケンタッキーダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本では、「東京優駿(日本ダービー)」の時に、テレビ・ラジオの中継などでも「国歌斉唱」が話題になりますが、それと似てか、歌にのせて開催の喜びを表すこととなっています。ルメール騎手も、歌詞を覚えないとと語っておられましたが(^^
歴史
ケンタッキーダービーの創設は1875年で、当時のチャーチルダウンズ競馬場運営者のメリウェザー・ルイス・クラークによってイギリスのダービーステークスやフランスのパリ大賞典を模範として創設された。第1回は15頭立てで行われ1万人の観客が駆け付けたという。創設当時は本場のダービーステークスと同じく1マイル1/2(約2414メートル)で行われており、後の1896年に現在と同じ1マイル1/4に改定された。
アメリカ合衆国では戦争や賭博に対する禁止措置などから開催中止に追い込まれた競走がよく存在するが、ケンタッキーダービーは現在まで一度も中断されたことのない数少ない競走である。また、分割競走なども行われたことがない。
20世紀初頭からの関係者の尽力により1930年当時にはすでに大きな権威とされるようになり、ギャラントフォックスに対する「三冠」の称号とともにケンタッキーダービーの権威は高く定義づけられるものとなった。
ケンタッキーダービー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 1933年:騎手同士が掴みあいをしながらゴールする珍事(ファイティング・フィニッシュ)
- 1968年:1位入線をしたダンサーズイメージが競走後の尿検査で当時の禁止薬物が検出され失格
- 1971年:ベネズエラ調教馬のキャノネロが優勝
- 1973年:セクレタリアトが1分59秒2/5のレースレコードを樹立
- 2000年:関口房朗の所有馬・フサイチペガサス(Fusaichi Pegasus)が1番人気で勝利
- 2019年:1位入線をしたマキシマムセキュリティが他馬の進路を妨害したとして17着に降着
- 2020年:新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、5月2日の開催から9月5日に延期
- 2021年:1位入線をしたメディーナスピリットから競走後の尿検査により禁止薬物が検出・失格
日本調教馬の成績:最高6着(2019年・マスターフェンサー、2023年・デルマソトガケ)
日本調教馬の日本国外への遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本では、きさらぎ賞を制したスキーキャプテンが挑戦するも14着と大敗。その後、交流重賞や中東への遠征が本格化した2010年代後半に遠征が復活。ラニが9着、マスターフェンサーが6着と好走して、2022年にはクラウンプライドが、2023年にはデルマソトガケがUAEダービーを制して挑戦します。
ちなみに上述したとおり、【フサイチペガサス】が2000年にケンタッキーダービーを1番人気で制したことは、当時の日本競馬に大きな衝撃を与えました。
2戦目:プリークネスステークス
プリークネスステークス(Preakness Stakes)はアメリカクラシック三冠の第2冠として、メリーランド州ボルティモアにあるピムリコ競馬場のダート1マイル3/16(9ハロン1/2・約1911メートル)で行われる競馬の競走である。
概要(抜粋)
多くの場合はケンタッキーダービーを経由してこの競走に出走してくるが三冠競走の中ではもっとも距離が短いこともあり、ケンタッキーダービーに出走しなかったマイル路線組が登録することも多い。競走の創設はケンタッキーダービーよりも2年早い1873年で、競走名は1870年にピムリコ競馬場がオープンされた時に行われたディナーパーティーステークスの優勝馬・プリークネスを記念して当時のメリーランド州知事オーデン・ボウイによって命名されたものである。
プリークネスステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本調教馬の成績:最高5着(2016年・ラニ)
日本馬初挑戦となった「ラニ」は、Sloppyな不良馬場を最後方から追走し、最後は足を伸ばして5着に入りました。また、UAEダービー6着からの挑戦となった2021年「フランスゴデイナ」も、10頭立ての最低人気だったことを思えば、(日本でいう1勝クラス馬ですし)7着と健闘しています。
3戦目:ベルモントステークス
ベルモントステークス(Belmont Stakes)はアメリカクラシック三冠の3冠目として、ニューヨーク州にあるベルモントパーク競馬場のダート1マイル1/2(12ハロン・約2414メートル)で行われる競馬の競走である。
アメリカンジョッキークラブの初代総帥であり、第1回が開催されたジェロームパーク競馬場の創設にも関わったオーガスト・ベルモントからこの競走名が付けられた。例年6月の第1土曜日、プリークネスステークスの3週間後に行われる。
距離については何度か変更されているが、1926年から現在の12ハロンに固定され三冠競走で最長距離であり、「テスト・オブ・チャンピオン」という異名がある。大半の出走馬にとって初の長距離戦であり、セクレタリアトの31馬身差をはじめ大差で決着することも少なくない。
ベルモントステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 1871年 本馬場入場を導入。北米では初の事例。
- 1905年 開催地をベルモントパーク競馬場に変更。
- 1926年 現行の距離1マイル1/2に変更。
- 1973年 Secretariatが2分24秒0の世界レコードで優勝。
- 1990年 Go and Goが海外調教馬として唯一の優勝。【※ヨーロッパ調教馬】
- 2016年 ラニが日本調教馬として初参戦(3着)。
- 2019年 マスターフェンサーが史上2頭目の日本調教馬、史上初の日本産馬として参戦(5着)。
- 2020年 新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週延期して無観客開催となり、距離も1マイル1/8に変更。
特に、海外競馬のレースを見たことのないという方は、【セクレタリアト】のベルモントSを一度ご覧になることをオススメします。今なお破られない世界レコードで、31馬身差の衝撃が分かるはずです。
日本調教馬の成績:最高3着(2016年・ラニ)
日本馬では、新馬戦を2.3秒差の大差勝ちを果たした【カジノドライヴ】が、ピーターパンSを勝利してベルモントSへの出走を目指すも、大事を取って出走取消をしました。
それ以来8年ぶりで日本馬初出走となった【ラニ】は、クラシック三冠最終戦にして初めて力を発揮し、3着(しかも勝ち馬から約1馬身半差の惜敗)という堂々たる成績を残しています。
6月11日に行われた第3戦のベルモントステークスでも前2戦と同じように最後方を追走したラニは向正面から進出を開始。直線で外から猛追したが前には届かず、惜しくも勝ち馬と約1馬身半差の3着に終わった。日本調教馬でアメリカクラシック三冠の全てに出走したのは史上初である。なお、このときのラニのアメリカ挑戦に対する日本からの注目を受け、2017年より日本国内の競走もケンタッキーダービー出走への選定レースとすることが発表された。
ラニ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
37年間誕生しなかったアメリカクラシック三冠馬
最後に、「アメリカクラシック三冠」を達成した13頭の名馬について簡単に触れておきましょう。
- 1919年 – サーバートンが3競走を初めて制覇する。後に三冠馬として追号される。
- 1930年 – ギャラントフォックスが3競走を制覇、「三冠」の称号が初めて登場する。
- 1935年 – オマハが三冠を達成。初の親子三冠馬となる。
- 1937年 – ウォーアドミラルが三冠を達成。
- 1941年 – ワーラウェイが三冠を達成。
- 1943年 – カウントフリートが三冠を達成。
- 1946年 – アソールトが三冠を達成。
- 1948年 – サイテーションが三冠を達成。
- 1973年 – セクレタリアトが25年ぶりに三冠を達成。
- 1977年 – シアトルスルーが三冠を達成。アメリカ史上初の無敗での三冠。
- 1978年 – アファームドが三冠を達成。初の2年連続輩出。全競走とも2着はアリダー。
- 2015年 – アメリカンファラオが37年ぶりに(アメリカ史上最長間隔)三冠を達成。
- 2018年 – ジャスティファイが三冠を達成。シアトルスルー以来2頭目の無敗での達成。
日本語版ウィキペディアの「アメリカクラシック三冠」から年表部分をそのまま引用しましたが、時期をみると、サイテーションからセクレタリアトまでが25年、アファームドからアメリカンファラオまでで37年の間隔があいています。(日本でも昭和の時代は20年近く間隔があいていましたが)2010年代後半に2頭誕生した三冠馬が、2020年代にも続けて誕生するのか注目が集まります。
上は、2020年に、コロナ禍で「ケンタッキーダービー」が延期された代わりに開催された「バーチャルケンタッキーダービー」というオフィシャルな試み。それを紹介した私の「note」の記事です。この中で、13頭の米三冠馬を細かく紹介しているので、興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
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