日本馬が勝った「ドバイ」のレースをまとめて振り返ってみた

【はじめに】
この記事では、日本馬が「ドバイ」のレース/重賞を制した事例をレースごとに振り返っていきます。

各レースでどの馬が勝ったという事実を個別に覚えている競馬ファンは居ても、どの馬がいつ勝って、日本調教馬がこれまでに何勝しているのかを把握できている人は決して多くないと思います。
なので今回は「勝ち馬」に極力絞り、日本馬のドバイ遠征の勝利を今一度味わって行きたく思います。

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ちなみに、日本馬がまだドバイワールドカップを1勝しかしていなかった2022年に書いた記事をこちらにリンク貼っておきますが、2023年で状況が一変したことも「海外競馬」というカテゴリーで紹介をしていくつもりですので、ぜひお楽しみ下さい。

スーパーサタデー ほか 前哨戦

平成時代までは、ドバイワールドカップ(3月下旬)の前哨戦として中東に向かう場合、日本陣営は、「スーパーサタデー」と呼ばれる3月上旬の土曜日に行われる前哨戦群を中心に遠征していました。

スーパーサタデーの前の「ドバイワールドカップカーニバル」の諸競走も含めてみても、日本馬が優勝できたのは1例しかなく、入着こそあれど勝ちきれていない点は注目すべきかも知れません。その唯一の例というのが、

です。前年に6戦連続連対でブエナビスタとの死闘を演じ、秋華賞で初重賞制覇。その勢いで、ジャパンCでも3着と善戦していた【レッドディザイア】が、海外遠征初挑戦で初優勝を果たしたのがオールウェザー時代のメイダン競馬場でした。なお、ウオッカは鼻出血もあり8着と敗れています。

言い方を変えると、この他のレースは以下のとおり、日本馬の挑戦機会が少ないとはいえ、勝ちきれていないのです。

開催時期レース名初挑戦挑戦最先着
2月上旬UAE1000ギニー20091回2着:アースリヴィング
2月後半UAEオークス20092回2着:アースリヴィング
バランシーンS20091回9着:ブラックエンブレム
CBDパーソナルローン20131回9着:ファリダット
3月上旬アルバスタキヤ20071回2着:ビクトリーテツニー
マハーブアルシマール20073回5着:アグネスジェダイ
ジェベルハッタ20091回5着:ウオッカ

上のように、日本馬がそもそも挑戦する機会が少ないのもあるのですが、2000年代に2着に入ったことがあった一方、ウオッカが5着に敗れるなどグレードの割に苦戦していた歴史が浮き彫りになります。

ドバイワールドカップナイト

ドバイワールドカップミーティング(Dubai World Cup meeting)とは、毎年3月下旬の土曜日にアラブ首長国連邦ドバイにあるメイダン競馬場で開かれる国際招待競走の開催日、および同日に行われる重賞の総称である。

ドバイワールドカップナイト(Dubai World Cup Night)と呼ばれることが多い。

ドバイワールドカップミーティング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

まず、全体感を示すために、ドバイワールドカップナイトに開催される各重賞の日本馬の最先着を先にまとめておきたいと思います。

競走名競走格施行コース初挑戦挑戦最先着
ドバイカハイラクラシックG1 PAダ2000m -0回(純血アラブ馬の競走)
ゴドルフィンマイルG2ダ1600m200012回1着:2回
ドバイゴールドカップG2芝3200m20123回1着:ステイフーリッシュ
UAEダービーG2ダ1900m200614回1着:3回
アルクォズスプリントG1芝1200m20123回9着:ラウダシオン
ドバイゴールデンシャヒーンG1ダ1200m200213回2着:3回
ドバイターフG1芝1800m200114回1着:6回
ドバイシーマクラシックG1芝2410m200017回1着:5回
ドバイワールドカップG1ダ2000m199624回1着:2回

以上のように、1200mなど短距離で行われる2つの現G1は勝てていません。もちろん、アルクォズスプリントに関しては同じ週に高松宮記念が開催されることは考慮しなければなりませんが、2023年にレモンポップが大敗するなど日本馬が13回挑戦していて勝てていない「ドバイゴールデンシャヒーン」などのように、相対的にみて短距離で苦戦していることは窺えます。

ではここから、日本馬が優勝した事例を振り返っていきます。

2勝:ダ1600m・ゴドルフィンマイル

1994年に、キーンランドマイルの名称でナド・アルシバ競馬場のダート1600メートルの競走として創設され、2001年に国際G3、2002年に国際G2に昇格。1996年にナドアルシバマイル、2000年にゴドルフィンマイルに改称。2010年にメイダン競馬場に移行しオールウェザー1600メートルに変更されたが、2015年からは再びダート1600メートルで行われている。

第13回2006年3月25日ユートピア牡6橋口弘次郎1着
第28回2022年3月26日バスラットレオン牡4矢作芳人1着

ユートピアは日本時代に交流G1を4勝しており、この激走を受けてゴドルフィンへの移籍が決定しました。そして、2022年には【バスラットレオン】は初海外かつ2度目のダートということで海外ではブービー人気だったようですが、16年ぶりに優勝を遂げました。2023年に連覇は果たせませんでしたが、それでも平成30年以降2桁着順が続いていた「ゴドルフィンマイル」で再び1桁着順を取れる馬が増えてきたことは喜ばしいことです。

1勝:芝3200m・ドバイゴールドカップ

2009年に創設された競走で、当初の競走名は「DRCゴールドカップ」だった。2011年にG3に格付けされ、2014年にはG2に格上げされた。2012年からは現在の競走名となり、ドバイミーティング内で開催されている。

ドバイゴールドカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年にはブルームが勝つなど日本馬との接点が増えてきた印象のある「ドバイGC」ですが、ステイフーリッシュがまさかの優勝を果たすまで、日本馬には馴染みの薄いレースでした。

第13回2022年3月26日ステイフーリッシュ牡7矢作芳人1着

マカニビスティーやネオブラックダイヤが大敗を喫していますが、本来であれば、「天皇賞(春)」とうまく連動できればWin-Winになりそうに思うのですが、今はそうなっていません。

3勝:ダ1900m・UAEダービー

これまで日本の3歳馬にとって全く活躍の舞台がなかったものの、この中東路線への挑戦が普及をしたことによって、文字通り世界が広がりました。

2000年にナド・アルシバ競馬場のダート1800メートルの競走として創設。2010年にメイダン競馬場のオールウェザー1900メートルに移行したのち、2015年からはダート1900メートルで施行されている。創設の翌年2001年に国際G3となり、2002年には国際G2に昇格。2016年にラニが優勝し、日本調教馬の同競走初制覇を達成した。

日本調教馬の日本国外への遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2006年にクロフネ産駒のフラムドパシオンがヒヤシンスSを制した勢いでUAEダービーに3着となったのを皮切りに、平成20年代には何度も挑戦。それが結実したのが2016年のラニでした。アメリカ三冠路線にも挑戦した同馬によって、日本のダート界も侮れないと気づけたのです。

第17回2016年3月26日ラニ牡3松永幹夫1着
第22回2022年3月26日クラウンプライド牡3新谷功一1着
第23回2023年3月25日デルマソトガケ牡3音無秀孝1着

2022・2023年と日本馬が優勝し、2023年に至っては1~4着までを独占する結果となりました。これはある意味で日本陣営にとっても衝撃的だったと思われます。ホープフルS(芝G1)を14番人気で制したドゥラエレーデがUAEダービーで2着に入ったのも含めて、良い意味で迷うレースとなっています。

6勝:芝1800m・ドバイターフ

1996年にドバイデューティーフリーの名でナド・アルシバ競馬場のダート2000メートルの競走として創設され、1999年に国際G3、2001年に国際G2、2002年に国際G1に昇格、2015年に名称がドバイターフへ変更された。2000年からは芝1800メートル、2002年からは芝1777メートルで行われ、2010年からはメイダン競馬場の芝1800メートルで行われている。

日本調教馬はこれまで6勝しており、ドバイワールドカップデーの中でも日本馬の活躍が目立つレースである。

( 同上 )

格好良く「日本馬の活躍が目立つ」などと書かれていますが、むしろダートで活躍できない2010年代にあって、日本馬のプライドを保ち続けたレースといえる可能性すらあります。

第12回2007年3月31日アドマイヤムーン牡4松田博資1着
第19回2014年3月29日ジャスタウェイ牡5須貝尚介1着
第21回2016年3月26日リアルスティール牡4矢作芳人1着
第22回2017年3月25日ヴィブロス牝4友道康夫1着
第24回2019年3月30日アーモンドアイ牝4国枝栄1着
第26回2022年3月26日パンサラッサ牡5矢作芳人1着

宝塚記念→ジャパンCと制したアドマイヤムーンを皮切りに、世界最高レーティングを獲得したジャスタウェイ、善戦馬だったリアルスティール、同レース3年連続連対のヴィブロス、最強女王となったアーモンドアイ、そして1着同着となったパンサラッサ

アーモンドアイは別かも知れませんが、国内での実績から海外で飛躍し、そこから国内外でG1を一気に勝ち負けする頻度の上がる馬が多い、日本馬にとっても出世レースな印象があるドバイターフです。

昔からの人には、ドバイデューティーフリーだとか、1777mという変わった距離設定であるとかが印象的かも知れませんが、それだけ日本の中距離のレベルの高さを維持できていることの証にも思えます。

5勝:芝2410m・ドバイシーマクラシック

1998年にドバイターフクラシックの名で、ナド・アルシバ競馬場の芝2400メートルの競走として創設され、2000年に国際G2、2002年に国際G1に昇格、2000年にドバイシーマクラシックに改称。2010年からはメイダン競馬場の芝2410メートルで行われている。

( 同上 )

昭和からの発想からして、日本馬が一番取ってカッコよく見えたのは恐らくこの「ドバイシーマクラシック」でしょう。2001年に国内で重賞を勝てていなかったステイゴールドが、まさかの優勝(当時はG2で、翌年からG1に昇格)したことは衝撃をもって伝えられました。

第4回2001年3月24日ステイゴールド牡7池江泰郎1着
第9回2006年3月25日ハーツクライ牡5橋口弘次郎1着
第17回2014年3月29日ジェンティルドンナ牝5石坂正1着
第24回2022年3月26日シャフリヤール牡4藤原英昭1着
第25回2023年3月25日イクイノックス牡4木村哲也1着

少なくとも「大阪杯」がG1に昇格するまで、秋三冠を戦ってきた中長距離路線の古馬は、距離の長い「天皇賞(春)」に挑むか、短い「安田記念」他を戦うか、G2などを渡り歩いて「宝塚記念」まで調子を維持するかといった形を取ってきました。しかし、ジャパンCなどを戦う陣営にとって、非常に障壁少なく戦える舞台が「ドバイシーマクラシック」だったのだろうと思います。

そうした結果、宝塚記念やジャパンCに挑むような陣営(20世紀なら天皇賞(春)に挑んでいた陣営)がこのレースに複数頭送り出すようになり、非常に豪華なメンバーが日本から遠征するようになったのです。まさに「日本総大将」といった感じで、結果はともかく、中心的に応援されてきました。

今やすっかりジャパンCに遠征する機会の減った欧州馬たちと、日本ともヨーロッパとも違う芝の舞台で戦えるという意味で、香港と同じく真の国際競走の舞台に挑む格好となって、2007~2021年の間で日本馬は1勝しかできず惜敗が続いていましたが、

2022・23年と日本の総大将とも言える存在(シャフリヤール → イクイノックス)が強いレースで勝ったことで、芝のクラシックディスタンスでの強さを再認識できたことは有難い結果といえるでしょう。

2勝:ダ2000m・ドバイワールドカップ

( 同上 )

2010年代の終わり頃に、中距離路線で「ペガサスワールドカップ」や「サウジカップ」などと当時の感覚での「超高額賞金」のレースが創設されましたが、それまでの約20年間は「ドバイワールドカップ」が世界最高賞金のレースとして君臨していました。

ジャパンCがその地位を目指していたことなどからも明らかなように(凱旋門賞は例外として)やはり賞金の多いレースは海外のG1の中でも別格だという信仰が日本に根強く、第1回から日本馬は何十頭も「ドバイワールドカップ」制覇を夢見て挑戦してきました。

第16回2011年3月26日ヴィクトワールピサ牡4角居勝彦1着
第27回2023年3月25日ウシュバテソーロ牡6高木登1着

ナド・アルシバ競馬場のダート時代には全く勝てなかった日本馬が、2011年の東日本大震災の半月後に行われた第16回ドバイワールドカップでワンツーフィニッシュを決めたことは日本競馬の印象的な1ページですが、それもオールウェザーでの開催であり、日本馬にとって「ダート海外G1」の制覇は長らく果たされぬ夢でした。

時代が平成から令和に移ると、少しずつ各国の代表的なダートのG1でも勝てる事例が訪れ始め、米BC諸競走やサウジカップの制覇も果たされ、そういった流れの中でダート開催初優勝を目指した2023年のドバイワールドカップには日本馬が過半を占める8頭が参戦しました(俗に、ドバイで行われるジャパンカップダートだなどという例え話もSNS上を賑わせました)

ただ、日本馬が5着以内に3頭入った2023年でも、サウジカップで5着までのうち4頭入った日本馬でも明暗はくっきりと分かれ、パンサラッサは10着と大敗しました。そして、11着のジオグリフ以下は、実に10着とも大差が付き、その適性があまりにも残酷に出されてしまいました。

(画像引用)Racing Post より9着以下部分を画像にて引用

[] で表示された分数が勝ち馬との着差なのですが、10着のパンサラッサは21馬身半差、11着のジオグリフが32馬身近くで、更にサウジカップで善戦したカフェファラオは勝ち馬から58馬身近く、最下位のジュンライトボルトに至っては約82馬身差です。

無策にというと失礼ですが、何となくで挑んでもハイリスク・ノーリターンであることがはっきりとしてしまったのが2023年のドバイワールドカップだったことが明らかとなりました。賞金の高さ・期待値だけでなく、その馬の適性や馬生を考えなければ不幸な結果になりうることは抑えておきたいところですし、こういった結果を今一度改めて冷静に捉えることが必要だと感じました。

果たして、次回はどのレースでどういった馬が栄誉に輝くのか、期待していきましょう。最後までご覧いただきありがとうございました。

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