成り立ちが複雑なG1レースについて(前身・回次の分析&パターン分け)

【はじめに】
2025年のJRAのレーシングカレンダーを見ると、「宝塚記念」の開催時期が繰り上がるなど前年度からの変更が幾つもありました。特に国際的な格付けを意識した組み換えが求められる昨今、レース名称の変更や開催時期の入れ替えなどが複雑怪奇となってきており、新参古参を問わず脳内混乱しがちです。

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そこでこのシリーズでは、レースの回次について実情に即して整理していきたく思います。今回の記事では、基本となる「G1」について歴史を振り返っていきます。結構歴の長い競馬ファンでも知らない様な古い時代のものも反映させていますので、ぜひ最後までお楽しみ下さい。

(↑)G1以外の重賞については、上の記事も合わせてお読み下さい。

回次を引き継いでいるが、実質別レース

「高松宮記念」(1996年~)

ご存知の方も多いかと思いますが、「高松宮記念」が『電撃の6ハロン』となったのは1990年代のことであり、それまでハイセイコートウショウボーイオグリキャップなどが勝ち馬に名を連ねる中距離重賞でした。
頻繁に条件が変わってきた一方で「回次」は引き継がれていますが、実質的には『NHKマイルC』より劇的な条件変更であることも鑑み、G1昇格の年を『1回目』としてみると以下のとおりです。

実質回レース名備考
1967~19707→2月中京大賞典中京砂2000実質前身
01~141971~19846月高松宮杯中京芝2000
15~161985~1986G2
17~251987~19957月
1~226~271996~19975月G1中京芝1200
3~428~291998~1999高松宮記念
5~ 30~ 2000~3月

一方、翌週あたりに行われる「大阪杯」については、格付けが変わってレースの立ち位置が大きく変わりましたが、開催場・時期・距離などに変更はないため、このカテゴリーには含んでいません。

「エリザベス女王杯」(1996年~)

牝馬路線は説明が難しいので後述しますが、先に簡単に説明できる「エリザベス女王杯」について簡単にまとめておきます。

通算回レース名備考
01~061970~197511月ビクトリアC京都2400旧4歳限定
01~081976~1983エリザベス女王杯
09~201984~1995G1
01~21~ 1996~京都2200古馬開放

「エリザベス女王杯」と名乗るようになった1976年より前にも6回「ビクトリアC」という同質の競走がありました。他方、1996年に古馬牝馬に開放された所で、実質的には「秋華賞」に従来のエリザベス女王杯は役目を譲り、新設されたと見る方が実態に近いと思います。

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ダンスパートナーが勝った1996年を第1回と見なすと、スタニングローズが復活した2024年の第49回は29回相当となります。

「チャンピオンズC」(2014年~)

ひょっとすると令和に競馬ファンになった方はご存知ないかも知れませんが、「ジャパンC」ダート版がかつてはありました。その名も「ジャパンCダート」です。……と、当時をご存知の方には当たり前ですが、全く前身企画の存在が抹消されてしまっている感じがするので、ここで触れておきます。

実質回レース名備考
01~082000~200711月ジャパンCダートG1東京D21001.3億円
09~142008~201312月阪神D1800 〃
01~15~ 2014~チャンピオンズC中京D1800約1億円

開催場によって性格が異なる印象が強いかと思います。当初は、ジャパンCの前日(土曜日)に2日連続G1として開催され、距離も東京ダート2100mとフェブラリーSとも差別化が図られ、外国馬も遠征して来ていました。
2008年に翌週・阪神開催となると外国馬の皆無が決定的となり、実質的に国際(招待)競走としての役目を終えた感がありましたが、競走名や賞金面で決別が見られたのは2014年。
開催場こそ左回りの中京に移した点は評価できなくはないですが、一旦賞金が大台の1億円を割り込んだうえに、そもそもコース形態に不平等さが囁かれていて、外国馬も滅多にやってこないという点で、「もはや別物」感は否めません。

「阪神JF」(1991年~)

今や2歳牝馬限定G1があることが当たり前となっていますが、実際には平成の最初期にはありませんでした。長らく東西2歳G1級競走がそれぞれ牡馬も交えてチャンピオンを決めていた歴史が長い訳で、1991年の牝馬限定戦となってからを数えることとします。

実質回レース名備考
01~111949~195912月阪神3歳S阪神1200
12~131960~1961阪神1400
14~351962~1983阪神1600
36~421984~1990G1
01~1043~521991~2000阪神3歳牝馬S牝馬限定
11~ 53~ 2001~阪神JF

ニシノフラワー が優勝した43回を初回とすると、阪神JFと改名した2歳馬タムロチェリーが制した53回は11回に相当し、リバティアイランドが制した2022年は32回相当となります。

回次を引き継いでいないが、実質前身レースを含むと

「NHKマイルC」+「NHK杯」

本来は、3歳馬にマイル路線の大目標を設けることを目的に1996年に創設された「NHKマイルC」は、クラシックが外国産馬に開放されるまで『マル外ダービー』という位置づけとなり、非常にハイレベルでした。
建付けとしては『新設』だったため1996年を第1回としていますが、似た感じの『高松宮記念』は上述の通り回次を継続しているのに、基準が一見すると揃っていないように感じるので、今回は逆を取って『NHK杯』時代を連結することにします。

通算回レース名備考
01~171953~19695月NHK盃東京芝2000ダービートライアル
18~311970~1983NHK杯
32~431984~1995G2
44~ 11996~NHKマイルCG1東京芝1600(新設)

エルコンドルパサー が勝った第2回のNHKマイルCが、通算では45回となり、ジャンタルマンタル の勝った2024年は、第29回が第72回となります。NHKがテレビでの競馬中継を始める年にスタートした伝統の「NHK」を冠する重賞の歴史は、これだけ長いんだということを再認識させられました。

「宝塚記念」+「宝塚杯(旧阪神記念)」

春のグランプリレースとして八大競走に準ずる立ち位置だった昭和時代。G1に格付けされてからは説明するまでもない「春の総決算」となりました。2025年からは時期が早まり、夏競馬に差し掛かる前となることも画期的です。
しかし、後に「阪急杯」に接続される『宝塚杯』というレースがあったこと、そして「旧阪神記念」と名付けられたさらなる前身レースが戦前からあったことはご存知ない方が多いと思います。

通算回レース名備考
01~311934~1956年2→1回阪神記念中長距離
32~341957~19596~7月宝塚杯
(旧阪神記念)
阪神2200後の
「阪急杯」
35011960宝塚記念阪神1800
36~3902~061961~1965阪神2000
40~4107~081966~1967阪神2200
42~5709~241968~19836月上旬
58~6925~361984~1995G1
70~8337~401996~19997月
84~10841~652000~20246月下旬
109~  66~ 2025~6月中旬

山野浩一氏による調査をお借りして接続すると「阪神記念」は春秋通じて31回確認され、これらを仮に全て合算すると「宝塚記念」の回次がなんと3桁に達することは興味深いですね。

「有馬記念」+「中山特別」

年の瀬を飾るレースの世間的に見ての代表格はやはり「有馬記念」でしょう。しかし、中山グランプリの前にも幾つか、その年を締めくくる時期の重賞というのがありました。それは、クモハタ記念かも知れませんし、戦前にも開催時期を締めくくるレースはありましたが、ここでは距離も条件も近そうな、「中山特別」というレースを挙げます。

通算回レース名備考
01~0901~0919xx~195512月中山特別中山2400
10011956中山グランプリ中山2600
11~1902~101957~1965有馬記念
20~3711~281966~1983中山2500
38~ 29~ 1984~G1

1954年より前はちゃんと伝わらずで、いわゆる回次だけが伝わる「中山特別」ですが、開催時期的にはどう考えても『前身』としていたことが窺える条件ぶりです。
レガレイラ が復活した第69回有馬記念の回次に加えることは現実的ではないかも分かりませんが、仮に合算すると「第78回」となります。これは戦後競馬の開催年次とほぼ合致する値です。

上記を複合すべき複雑な成り立ちのレースたち

ここまで2パターンを見てきましたが、それらが更に複雑に入り組んでいる(あるいは私が更に複雑にしてしまうかも知れませんが)G1レースのグループが幾つかあるので共に見ていきましょう。

2歳G1路線(「阪神3歳S」の扱い)

はじめに2歳牡馬路線を取り上げます。ホープフルSが昇格して、再び「東西に牡馬出走可能なG1」が復活しましたが、一旦、JRA公式の形で取り上げることとします。

(1)公式の前身レースの流れ

現・朝日杯FS補足現・阪神JF補足現・ホープフルS補足
1949朝日盃3歳S中山1100阪神3歳S阪神1200
1959中山1200
1960阪神1400
1962中山1600阪神1600
1970朝日杯3歳S
1984ラジオたんぱ杯
3歳牝馬S
阪神1600
1991阪神3歳牝馬Sラジオたんぱ杯3歳S阪神2000
2001朝日杯FS阪神JFラジオたんぱ杯2歳S
2006ラジオNIKKEI杯2歳S
2014阪神1600ホープフルS(G2)中山2000
2017ホープフルS(G1)

赤文字が牝馬限定戦で、緑文字が牡馬も出走可能なレースです。回次については、現阪神の2つのG1は1949年を起点としており、現ホープフルSについては、ラジオたんぱ杯の系譜を回次として引き継いでいます。2024年であれば、東西G1が第76回となり、ホープフルSは41回となりました。

(2)年末 × 東西 × 牡馬出走可能なG1

牝馬限定戦を一旦外して考える際に、「年末に開催される牡馬出走可能なG1級競走」と絞ると、以下のような形が浮かび上がってきます。

東(中山)距離西(阪神)距離
194901 朝日盃3歳S短距離01 阪神3歳S短距離
197022 朝日杯3歳S16001600
1991(G1級なし)
200153 朝日杯FS
2014(G1級なし)43 朝日杯FS
201767 ホープフルS2000

実は、現在の阪神マイルの朝日杯FSというのは、阪神JFの前身という扱いになる「阪神3歳S」と条件は全く同じとなるのです。もちろんレース名は伝統ある「朝日杯」を引き継いでいるのですが、実際にはそのライバル的な立ち位置だった関西のレースに換骨奪胎(? 違うか。)といった状況なのです。

現実的かは別にして、阪神3歳Sの回次を阪神移設後の朝日杯FSが引き継ぐと2024年は第53回となり、また、中山で開催される牡馬も出走可能なG1と捉えると、「ホープフルS」は、距離が伸びた朝日杯FSという見方も出来ます。こちらに旧朝日杯の回次を引き継がせるとまた見え方が変わってきそうです。

また、細かくは省略しますが、(G1級なし)と表示した期間についても、(1)で示したあたりの目ぼしい重賞の回次を継ぎ足せば、牡馬出走可能な両レースが1949年以降一度も途切れることなく続いているという(強引な)見方ができるかも知れません。

(3)やっぱり「ホープフルS」は、オープン特別時代を足したい

とはいえ、ホープフルSの回次を考える際に、実際には同名・同距離・同時期に開催されていたオープン特別競走が前身であることは間違いないでしょう。

中山競馬場では1988年から2013年まで、2歳(旧3歳)オープンの特別競走として同名の競走が行われていた。ただし、JRAではこれを前身としていない。

ホープフルステークス (中央競馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

要するにこういうことです(↓)。ポイントとなる年のみを抜粋してあります。

実質回施行日格付競馬場距離優勝馬
第1回1988年12月25日OP中山2000mワンダーナルビー
第5回1992年12月27日OP中山2000mウイニングチケット
第26回2013年12月22日OP中山2000mエアアンセム
第27回2014年12月28日G2中山2000mシャイニングレイ
第30回2017年12月28日G1中山2000mタイムフライヤー
第37回2024年12月28日G1中山2000mクロワデュノール

格付けをJRA独自に決められなくなったため仕方ないのですが、オープン特別だった「ホープフルS」の回次が引き継がれないということについて、今から10年ほど前に違和感を覚えたのをありありと思い出しました。

天皇賞(春・秋)と帝室御賞典以外の前身レース

「天皇賞」の前身企画として真っ先に取り上げられるのは、戦前に続いた『帝室御賞典』です。その名のとおり、本意としては皇室から下賜品(銀盃など → 木楯)を受けられる点を最大の特徴としていたレースが現在まで連綿と続いています。

ただ、それでは面白くない(?)ので、少し目線を変えてみようと思います。

(1)「天皇賞(秋)」+「ダービー卿CT」(!?)

すっかり秋の中距離路線のチャンピオンを決めるレースとして豪華メンバーが揃うようになった「天皇賞(秋)」ですが、1983年に従来の3200mから2000mに短縮された時の賛否はかなりのものがあったとされています。
これを上でみた「高松宮杯」の短距離化と同様に見なすならば、実質的には回次を分割してもおかしくないレベルの変革だったとは思うのです。仮にミスターシービーが復活した第90回(1983年)を初回と置くならば、ドウデュースが復活した2024年は42回となります。

そしてむしろ、「東京の秋開催(10~11月)に行われる中距離重賞」という特徴で抽出すると、実は、現代の競馬ファンには全く結びつかないようなあのレースの存在が浮かび上がってきます。ジャパンCが創設される前年まで11月の東京芝1800mで行われていたダービー卿CT」です。春、中山、芝1600mと今は接点が全くないダービー卿CTも、創設当初は秋・東京・1800m戦だったのです。

旧4歳馬が「クモハタ記念」を選んだように、3200m → 2500mと中長距離路線が王道だった秋開催において、生粋の中距離馬は無理を承知で八大競走に臨んでも結果が残せませんでした。
レースレベルが全く違うので、「ダービー卿CT」を積極的に選んだかといえば違いますが、距離適性を重視した場合、上で見てきたような無理やりな合算をしようと思えば、実は「ダービー卿CT」的な重賞を八大競走格に押し上げたという斬新(?)な見方もできるかも知れないなと思った訳です。

(2)「天皇賞(春)」+「連合二哩」

さて少し独自色が強まりすぎた感があるので、王道路線に戻りましょう。「天皇賞(春)」というか、3200mで開催される伝統の天皇賞の歴史です。
3桁回となっている天皇賞の第1回は、JRAが1937年の秋開催に指定しています。年2回開催を唯一、現在でも続けているため、年数の約2倍となるのです。この1937年の秋、帝室御賞典は『日本競馬会』主導のもと再編され、(各競馬倶楽部がそれぞれ開催してきたところ)年2回開催、東京・阪神の開催に限定されることとなりました。

更にいうと、年2回に統一化される前の「帝室御賞典」はむしろ統一感もなくバラバラで、唯一、皇室から下賜品が贈られるという点だけを共通項としていたのではないかと思うほどです。
むしろ19世紀に始まった「帝室御賞典」は3200mなどという長距離戦ではなく、1800~2000mなどの今でいう中距離路線だったのです。そうした意味では、(1)の「ダービー卿CT」よりも時代を飛んで戦前の帝室御賞典(池上・目黒の1600~2000m戦)の方が実態に近いかも知れません。

むしろ、今でいう天皇賞に近いレースというのが、「連合二哩(れんごう2マイル)」競走です。ウィキペディアには以下のようなわかりやすい要約がなされていますが、このレースこそ現実的には最強馬決定戦的な要素があったと思うのです。

日本各地の競馬倶楽部のチャンピオンだけが一生に1回だけ出走できるという点で後に創設される東京優駿大競走(現・東京優駿(日本ダービー))の前身であり、春秋1回ずつ3200m(当時)で行なわれる「日本一の名馬決定戦」という点で後の天皇賞(1937年(昭和12年)秋以降の帝室御賞典)の前身である。

優勝内国産馬連合競走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天皇賞(春)は3桁回数を数えるとはいえ、あくまでも1937年以降のみです。更に遡って連結すると、果たしてどうなるのでしょうか。

合算回レース名
第1回1924年10月11日各内国産馬連合競走鳴尾2マイル
第16回1932年1月8日農林省賞典競走鳴尾3200m
第27回1937年4月18日
第28回1937年11月24日
1937年12月3日
農林省賞典競走
帝室御賞典
鳴尾3200m
東京2600m
第29回1938年5月15日帝室御賞典阪神2700m
第41回1944年5月28日京都3200m
第42回1947年5月11日平和賞
第196回2024年4月28日天皇賞(春)

これもつなげ方が色々とありますが、関西(鳴尾競馬場)で行われてきた「連合二哩」を単純連結するだけでも、実はまもなく「200回」相当となるのです。仮に『帝室御賞典』を真面目に連結すれば、200回を有に超えることとなり、単純期間でいえば2030年で150年となることも申し添えておきます。

3歳牝馬路線を昭和初頭まで引き伸ばすと?

現在は「3歳牝馬路線」というと、桜花賞 → オークス → 秋華賞です。ゲーム発でのトリプルティアラなどといった別称も出てきていますが、秋華賞が新設されたのはおよそ30年前です。

通算回レース名備考
01~0601~061970~197511月ビクトリアC京都2400
07~1301~081976~1983エリザベス女王杯
14~2509~201984~1995G1
26~ 01~ 1996~10月秋華賞京都2000

もともと1970年に牝馬限定戦だけで3冠を作ろうとなったのを起点とすれば、エリザベス女王杯(3歳限定の時代)と秋華賞を足し合わせ、2025年で55周年、第56回となる計算です。

また、「優駿牝馬(オークス)」は現3歳牝馬の頂点を決めるレースとして、日本ダービーと同じ舞台で前の週に行われるのが定番となっていますが、実は昭和20年代以前には、阪神開催であったり、秋開催であったりと、今とは全く条件が異なるレースだった時期もあります。

実質回レース名備考
01~ 193811月阪神優駿牝馬阪神2700
02~051939~194310月阪神2450
06~121946~195210~11月優駿牝馬八大東京2400
01~3113~431953~19835月
32~7244~841984~2024G1

現在のダービー前週に開催されるレースとしての「オークス」になってからも70回以上の歴史となる訳ですが、開催時期や立ち位置が大きく変わっていない「桜花賞」を加えると以下のようになります。

春(1冠目)初夏(2冠目)秋(3冠目)備考
1928~37牝馬連合牝馬連合生涯1度のみ
1938~52桜花賞(東京優駿)優駿牝馬
1953~69優駿牝馬(菊花賞)
1970~75ビクトリアC
1976~95エリザベス女王杯
1996~  秋華賞

緑色が牡・牝出走可能な競走です。クラシック競走が整備された1930年代から1960年代まで、牝馬が三冠を達成するには必ず牡馬を相手にするレースを勝たなければなりませんでした。
また「優駿牝馬(オークス)」は前述のとおり秋から春に大きな時期変更がありましたが、実質的には別レースと言って良いほどに性質が変わっている点は留意すべきでしょう。

そして、あまり顧みられることはありませんが、牡馬にとっての最大の目標が帝室御賞典と連合二哩だった昭和の初頭、京都競馬場に設けられた通称「牝馬連合」は春秋の牝馬限定での3200m戦。定例的に牝馬限定の競走が行われることは画期的でした。

3歳牝馬路線を語る上でここまで遡ってみると、牝馬連合創設から数えて2028年に100周年を迎えることとなることも、この記事を最後までお読みいただいた方は頭の片隅に置いておいて頂ければと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました。

(↑)G1以外の重賞については、上の記事も合わせてお読み下さい。

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