競馬歳時記【5月2週】「新潟大賞典」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は、「新潟大賞典」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

概要
1967年から1977年まで、福島競馬場で「福島大賞典」が行われていたが、1978年に福島競馬場の馬場改修工事が行われた際、新潟競馬場で「新潟ステークス(第12回福島大賞典)」として行われたのを機に廃止され、1979年に5歳(現4歳)以上の馬による重賞として創設された。

新潟大賞典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1960年代:前身「福島大賞典」が秋に創設

初回は、1967年(昭和42年)に開催されます。開催は11月12日で、現3歳馬の出走が大半でした。芝2000mのハンデ重賞で、人気を集めたのは条件戦を勝って福島のオープンクラスを敗れるクラスの馬が中心というレベル感でした。(まさに今でいうGIIIな「ローカル重賞」な感覚。)

5歳時に天皇賞秋を制するメジロタイヨウが1番人気で7着、翌年に牡馬混合の古馬重賞を2連勝する牝馬のダーリングヒメが2着で、勝ったのはスズハヤテでした。

1969年の第3回からは一時期「別定」戦となり、その斤量から、ハクセツ、メジロアサマ、ハクセンショウ、マツセダン、ルピナス、ダーリングヒメといった重賞級の馬が半数近くを占めました。

1970年代:春開催となり、「新潟大賞典」に引継ぎ

1972年の開催には、前年の桜花賞馬【ナスノカオリ】が牝馬ながら58kgを背負って出走し2着となることもありましたが、やはり大半の勝ち馬は「ローカル大将」といった感じで、同年からハンデ戦に戻ります。そして、夏や秋に開催されてきた「福島大賞典」は、タクマオーは史上初の連覇を達成した1973年から徐々に「春」開催へと移行していきます。

1967年から年1回施行されたが、1978年新潟競馬場で代替競走を施行したのを最後に廃止され、翌1979年に新設された新潟大賞典に競走機能を引き継いだ。

福島大賞典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そんな1979年の第1回(前身から数えると13回目)の「新潟大賞典」は、13頭立てのブービー人気だったチェリーリュウ(52.5kgで700万下を勝って以来、9か月連対なし)が4歳牡馬ながら50kgという極めて軽い斤量で激走し優勝。万馬券も飛び出す大波乱となりました。
※ちなみにこの時の最下位は後に天皇賞秋で逃げ切り勝ちを収めるプリテイキャストだったりします。

1980年代:GIIIに格付け、距離が2200mに延長

1980年代に入ると、1着もしくは2着争いが接戦となるハンデ戦らしい結果が続き、1984年にはグレード制が施行され、GIIIに格付けされます。この年、同レースとしては珍しく、重賞3勝馬のトウショウゴッドが58.5kgを背負って出走していたりもします。(既に勢いなく5着と敗れていますが。)

そして、この1984年からは距離が2200mに延長され、1994年まで続きました。(但し、福島代替開催時は距離設定の関係で2000m戦として施行)。

1990年代:メジロパーマーがグランプリ春秋制覇へ

1990年代は、距離が2000mに短縮された以外は大きな開催条件の変化はありません。しかしこの時期を象徴する逃げ馬が、このレースを大きく注目させました。

このレースをステップに宝塚記念を、そして有馬記念を制する事となったのが1992年のメジロパーマーです。

その前年には、500万下条件戦から札幌記念を制した後に、障害転戦を経て平地に戻ると、1年ぶりの重賞制覇となったのがこの「新潟大賞典」の舞台でした。

メジロパーマー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宝塚記念は9番人気ながら23.1倍、有馬記念もブービー人気ながら49.4倍と大波乱ではなかったのですが、その刺客っぷりと予想外の逃げっぷりは鮮烈な印象を残しています。

2000年代:サイレントハンター、3年ぶり2勝目

現5歳時に3連勝で初重賞制覇を果たした「サイレントハンター」。現6歳の「産経大阪杯」から数えて約2年ぶりの重賞制覇となったのが、3年ぶりの挑戦となった「新潟大賞典」でした。


サイレントハンター (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久々の57kgで出走できたサイレントハンターは、福島開催だった同レースを1分59秒5の好タイムで制し、オースミブライトの猛追をクビ差しのぎ切りました。

左回りとなった2002年以降では、宝塚記念の優勝から1年後のダンツフレームが復活優勝を遂げたり、2007年のブライトトゥモローが1分57秒7、2009年のシンゲンが1分56秒9という(当時としては)驚異的なタイムで勝利を収めたことも印象深いです。

2010~20年代:サンレイポケットがレーティング押し上げ

ハンデ戦ということで参考程度にご覧頂ければと思いますが、2016年以降のレースレーティングは以下のとおりです。一応の目安は「GIII:105、GII:110」となります。

レースR勝ち馬
2016109.50(57.0kg)パッションダンス
2017107.25(55.0kg)サンデーウィザード
2018108.75(56.5kg)スズカデヴィアス
2019111.00(54.0kg)メールドグラース
2020104.00(54.0kg)トーセンスーリヤ
2021112.50(55.0kg)サンレイポケット
2022

令和に入ってから、振り幅が大きく、54kgの馬が複勝圏内を独占した2020年は104.00ですが、2019年は111ポンド、2021年に関しては秋に同じ左回りのGIで連続4着と好走したサンレイポケットが勝ったこともあって112.50という高評価となっています。

しかし、ローカルのハンデGIIIとしては、決して低いレーティングでなく、平均を取ると、「110」に近い値となっていることも興味深いです。数少ない「左回り」の重賞ということで巧拙も顕著である事なども一因かも知れません。

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