【私的メモ】世界の中の日本競馬のレーシングカレンダー(と現状に対する愚痴)

【はじめに】
この記事では、「世界の中の日本競馬のレーシングカレンダー」と題して幾つか表をお見せしていき、世界を股にかけるクラスの馬の陣営の目線を疑似体験していきたいと思います。

通年(1~12月)

早速、その表をご覧いただきましょう。ローマ数字はグレード青はJRA重賞で、茶色はダートです。

国内のG2は、平均レーティングが115以上だったり定量・別定など一線級がステップに選ぶ可能性があるものを中心に残し、海外レースは日本馬が遠征することが想定されるうち幾つかをピックアップしています。

こうしてみると、時期によってレースの有無/多寡が極端になっていて、うまく連携が取れていないのではないかと感じてしまう部分が幾つか見られます。

少なくとも日本国内では、春と秋の年2回競馬が開催されていた戦前の名残がまだまだ残っているのかも知れませんね……。

春前半(1~4月)

今や日本的には「中東遠征」のシーズンとなっている春前半をまとめてみました。欧州の平地は完全にオフシーズンで、アメリカでは1月に「ペガサスワールドカップ(ターフ)」がありますが、賞金が大幅に減額されて鳴り物入りだった当初の影は見られなくなってしまいました。

上の表からは見えることが幾つかあります。例えば、

  • 賞金的にも、馬場的にも日本馬不利とはいえ、ドバイWCデーに行われる芝1200m「アルクォズスプリント」と同週に「高松宮記念」が開催されるのはもったいない気がする。
  • 建前としては「ダート」に載せましたが、令和の時代は芝馬も「サウジC」に挑戦して、可能性があることは注目に値する。ただ、サウジCで好走した馬を含めた日本の芝の馬が、砂質の若干違う「ドバイワールドC」で惨敗したのを見るにつけ、元来が「芝」の馬は、調子に乗ってドバイワールドCに挑戦するのではなく、ターフやシーマクラシックに挑戦するべきな印象。
  • ドバイに抽選漏れした馬などの受け皿として「大阪杯」や「川崎記念(2024年度以降)」を4月上旬に設定することが理解できなくはないが、将来的にメンバーが『1軍』と『2軍』になりそうな悪寒。川崎記念は1月下旬に戻し、ウシュバテソーロのローテを踏襲すべき。今なら間に合う。
  • そして、「フェブラリーS」は全てにおいて中途半端な立ち位置となっており、早急に見直しを図らないと、今の立ち位置を維持できなくなる恐れがある。21世紀初頭と時代が変わっていることをJRAは認識すべきで、レース名がネックになるなら改称すれば良いと思うのです。

などなど。ちなみに個人的には、こうしてみると(実際に海外勢が挑戦するかは別にして)今のままの形態であるならば「東京競馬場の開幕週」に『ジャパンC』を移設、フェブラリーSかチャンピオンズCを『ジャパンCダート』に復活してはどうかと考えます。(サウジや)ドバイに繋がるアジアシリーズの創設を図る訳です。

春後半(4~7月)

ドバイで中東が一区切りし、ヨーロッパで本格的な平地のシーズンを迎える春後半から初夏までを下の表にまとめてあります。

一時期の流行りだった香港遠征はトーンが落ち着きましたが、「高松宮記念」、「大阪杯」、「川崎記念」、「天皇賞(春)」といった古馬のG1は押し並べて『全面的な見直し』を迫られる時期が来ているのではないかと感じます。

かつてはメンバーが手薄な年も多かった「宝塚記念」が、サウジCの創設によって俄に活気づいて復権の兆しを見せている令和時代にあって、機能的にレーシングカレンダーが組めていない様に感じるのは私だけでしょうか……。

初秋(7~9月)

現代にあっては「凱旋門賞」と「スプリンターズS」に至る印象の『夏競馬』ですが、欧州の充実ぶりとは対照的に、日本はまさに超一流馬にはオフシーズンといった印象を受けます。

一方で、凱旋門賞を本気で目指す陣営が、国内で使えるまともなレースがない(札幌記念は本番が2400mということを考えると芝も相対的に軽く、適した前哨戦とは思えない)ことは見過ごせない事実だと感じています。

むしろ「中東遠征」→(短期休養)→「宝塚記念で再始動」→「渡欧して欧州の芝の適性を図る(フォワ賞までで合わなければ戦略的撤退)」→レースで調整しつつ涼しい欧州で調子を整え本番、凱旋門賞へというローテーションが組めれば、面白そうではないでしょうか。

晩秋(10~12月)

本当に主要なレースしか並べていないつもりなのですが、気づけばこれほどまでに世界的なレースが集中をしてしまっています。日本馬ですら香港遠征が当たり前になっている昨今、まして外国馬があえて日本の高速馬場の「ジャパンC」に出走することは期待できないでしょう。

今の「天皇賞(秋)」→「ジャパンC」→「有馬記念」の1か月置きのローテーションが組まれたのはおよそ1981年=昭和時代です。

その数年後には「ブリーダーズカップ」がアメリカで創設され、香港国際競走が欧州勢などにも注目されるようになり、ジャパンCのタイムが高速になると共に海外勢の好走が珍しくなっていきます。

昭和時代と令和時代で内外の環境も馬の使う間隔・ローテーションも変わっているのに、海外の目玉レースも多い秋シーズンに目玉ともいえる現・古馬三冠を固め打ちしてしまうことが、果たして現代においても最良なのかは見直す時期に来ているのではないでしょうか。

それはダート路線にも言えそうで、本家「ブリーダーズカップ」と日本競馬が模倣した「JBC」を同じ週に開催している現状は、『地方競馬の国際化』を目指す中でいつか見直す必要が出てくると予想しています。

ダートのG1/Jpn1路線を見ても、「JBCクラシック」→「チャンピオンズC(中京開催なのに外国馬は全く挑戦してこない)」→「東京大賞典」が古馬三冠のように居並んでいますが、ダート馬でもこれらを3戦する馬が激減していることを思えば、秋競馬に3戦揃えること自体が時代遅れとなってきているのかも知れないでしょう。

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