競馬歳時記【5月5週】「葵ステークス」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は「葵ステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

created by Rinker
¥44,000 (2024/12/14 06:12:25時点 楽天市場調べ-詳細)

葵ステークス(あおいステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GIII)である。

競走名にある「」とはアオイ科の植物の総称のことであり、また家紋のひとつで、フタバアオイの葉を図案化したものである。賀茂神社の神紋に由来し、徳川氏の葵巴の紋などが有名である。同神社で5月15日に行われる葵祭は、石清水祭春日祭とともに三勅祭のひとつに数えられる。

葵ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

前々身:条件戦(一時オープン)時代

ここからは、「netkeiba」さんのデータベースなどを参考に、日本語版ウィキペディアでは完全になかったこととされている「前々身」時代から振り返っていきたいと思います。

1950~60年代:京都5月の「葵賞」として開催(5年中断)

調べられる限り、少なくとも1959年(昭和34年)には、5月に京都競馬場で「葵賞」というレースが行われていたようです。初回は古馬の100万下条件戦、そして2回目の1960年は現3歳オープン特別となり、その後は条件戦とオープン特別を行ったり来たりしつつも、現3歳限定競走として定着します。

距離は昭和30年代は1800m戦で行われることが多く、その後は2000m戦として定着していきました。

この時期の出走馬にあまり活躍馬は正直いないのですが、敗れた中だと、例えば1960年に5頭立ての4着だった【ヘリオス】は、オープン戦を2連勝(しかもどちらも2秒差以上の大圧勝)を遂げていた中での出走でしたが、56kgという斤量にも泣かされました。(この年と翌年にかけて、最良スプリンターを受賞しています)

1970年代:5年ぶり復活 → 2000mの条件戦として定着

1965年と1967~1970年は開催されず、1971年に5年ぶりに復活した「葵賞」は、1800mのオープン特別として開催されます。

そして、更に1年の休止を挟んで、1973年からは条件戦・2000m戦での「葵賞」が定着することとなり、5月中旬の定番競走となっていきます。まさにレース名の元ネタである「葵祭」が開催される時期ともピッタリ合っていた時期です。

しかしこの時期に開催される条件戦ということで、クラシック路線には縁遠いクラスの馬が中心に出走していたこともあり、活躍馬はやはり輩出できていませんでした。

前身:短距離オープン特別時代

1984年までは条件クラスの競走であり、1988年までは葵賞(あおいしょう)として施行されていた。

( 同上 )

ウィキペディア的にはサラッとしか書かれていない「条件戦」時代ですが、中断期間を含めて四半世紀の歴史があったことを忘れてはなりません。それが故に、「葵賞」というレース名のオープン特別が、昭和60年代に入って施行されることとなった訳ですから。

1980年代:1400mのオープン特別に昇格

1983年までは2000m、1984年には2400m戦となった条件戦時代の「葵賞」から一転、1985年には、開催時期・レース名は変わらずに、施行条件が大幅リニューアルされます。「京都1400m、5月中旬のオープン特別」となったのです。「オープン特別」としての開催は14年ぶりで、今までも最も距離の短い開催となります。

そして、「葵ステークス」と名称変更された1989年、初めてのGIホースが誕生します。新馬→条件戦を含めて3連勝としていた【オサイチジョージ】です。翌年の「宝塚記念」を、オグリキャップを下して優勝しています。

1990年代:ダイタクヘリオスが優勝、距離は1200mに

オサイチジョージの翌1990年、こちらは後に名スプリンターとなる【ダイタクヘリオス】がこのレースを制しています。同じ京都競馬場で開催される「マイルチャンピオンシップ」を連覇する偉業を達成しますが、同馬より30年近く前に【ヘリオス】という馬が敗れていた歴史もあるから不思議なものです。

その後、勝ち馬ではないのですが、1996年に3着となった【タニノシスター】は、後にウオッカの母親として知られることとなりました。そしてこの年から「1200m」に更に距離短縮されています。

2000年代:1400m再延長

1200mだった2001年には【カルストンライトオ】が優勝。勝ちタイムは1分7秒4と、凄まじい速さでした。その翌年からは距離が1400mに再延長されています。この時期の勝ち馬としては、2007年に制した【カノヤザクラ】などは、後にアイビスサマーダッシュ連覇を含む重賞3勝を記録しています。

ただし、開催時期が「NHKマイルC」と近いですし、距離も200mしか違わないため、重賞クラスの馬が積極的に選ぶレースという印象ではありませんでした。

2010年代:距離再短縮、ロードカナロア輩出、重賞昇格

2010年になると距離が1200mに再短縮され、「NHKマイルC」とは実質的に別路線となります。そうした中で誕生したのが、後に世界の覇王となる【ロードカナロア】です。

そして、2018年、初開催から約60年の歴史をもって初めて「重賞」に昇格が決まります。

初回を制したのは牝馬ゴールドクイーン。その後も牝馬優勢の時代が続きます。2019年を制した【ディアンドル】は、未勝利戦から数えて5連勝でこのレースを制し、5歳時には福島牝馬SでGIIIを勝っています。

2020年代:悲願のGIII昇格

重賞昇格から3年、2021年は直近年のレースレーティングが未達でグレード昇格ならなかったものの、2022年に晴れて「GIII」への昇格が承認されます。

  • 2021年 – 日本グレード格付け管理委員会の承認を得次第、GIII競走として格付けされる予定であった。しかし、承認を得ることが出来なかった[注 2]ため、引き続き重賞として施行される。
  • 2022年 – 日本グレード格付け管理委員会の承認を得たため、GIII競走として格付けされる。

その一方で、2018年は1着9番人気・2着6番人気・4着13番人気だったことを始めとして、2019年は2着が13番人気、2020年は2着が11番人気、2021年は優勝したレイハリアが13番人気と2桁人気の馬も激走しています。

レイハリアとヨカヨカによるスピードある牝馬同士の対戦をハナ差制したレイハリアが、続くキーンランドCを制し、ヨカヨカも現役引退までに北九州記念を制したことで、レースレーティングが上がり、何とか「GIII」昇格の条件を満たしたというのが実態です。

レースR勝ち馬備考
2018107.75ゴールドクイーン
2019107.00ディアンドル
2020104.50ビアンフェ
2021107.50レイハリア2着:ヨカヨカ
2022

レースレーティングの一つの目安に「GIII:105」というものがあります。2020年は【ビアンフェ】が勝つも、年内にグレード競走で好走できなかった上に、2歳秋で重賞を制した勝ち負けした馬が他に出なかったことも影響して、レースレーティングが104.50と目安を割り込んでしまっていました。

しかしその他の年は、107ポンド台と、3歳春(なおかつレートが低く出がちな)スプリント戦としてはまずまずの値を平均して保っている印象です。

せっかく時間をかけて「GIII」に昇格した「葵S」ですが、やはりレースレベルの高い水準での維持は、楽な道のりではないかと思います。サマースプリントシリーズなどとの関係性も見据えつつ、さらなる飛躍に期待したい「葵S」と、その出走馬たちです。ダービー前の運試し、皆さんのご武運をお祈り。

コメント

タイトルとURLをコピーしました