【はじめに】
この記事では「プレバト!!」で夏の定番の兼題でもある、アイスクリーム・氷菓・かき氷などを詠んだ俳句を振り返っていき、夏の季語としてどんな氷菓子が歳時記に掲載されているのかを見ていきます。
「氷」/「かき氷」系
前提として、俳句歳時記で「氷(こおり)」と引くと、冬の地理の季語としての「氷」が出てきます。 ですが、電気冷蔵庫などを使って製氷するのが当たり前になった現代人にとっては、夏に「氷」と来れば、夏の季語『氷室(ひむろ)』を連想するまでもなく、人工的に作られた「氷」を思うでしょう。
俳句歳時記の時代感が近代的であると共に、ゆったりと動いているため、特に若い世代の方には半ば、前時代に映るかも知れないですが、「氷」が今よりも貴重だった時代からの流れを汲んで、ここからの記事をお楽しみいただければと思います。
【注意】「氷水(こおりみず)」は「かき氷」のこと!?
いざ俳句歳時記を開いてみて、いきなり壁にぶち当たります。下の記事(↓)にも書いたのですが、「氷水」という季語の解説を読むと、どうも「かき氷」のことのようなのです。
このほか、例えば手元の『角川俳句大歳時記』では、主たる季語として「氷水」が挙げられ、その傍題の一つ目が「夏氷(なつごおり)」、そしてその次に「かき氷」と来ているのです。「夏氷」は上で述べた冬の地理の季語「氷」と区別するために作られたものだと理解できますが、普通「氷水」と聞いたらやはり「氷を入れて冷やした真水」のことだと考えてしまいそうです。
ちなみに、広辞苑では「①氷のかけらを入れて冷たくした水」、「②欠氷に同じ。<季:夏>」と書かれ明確に分類していました。
では仕切り直して「氷水」のプレバト!! 俳句を振り返ろうとすると更に壁にぶち当たってしまいます。上の記事にも書いたのですが、
- 『決戦の熱冷めやらぬ氷水』/土屋太鳳
- 『氷水に匙直立すライスカレー』/梅沢富美男’
の様に、夏井先生が一定の評価をした俳句では、どう考えても「①氷のかけらを入れて冷たくした水」としか読めないのです。夏井先生は番組の編成上、本来の季語の意味ではない方を許容したのかも知れませんが、もっとシビアな場だと句座の先生からご指摘を賜ってしまうかも知れません。どうぞお気をつけて。
「かき氷」
では、本当の意味で仕切り直して、「かき氷」と素直に詠まれた俳句を続けて紹介していきましょう。なお、作者名の右に「’」がついているものはいずれも夏井先生の添削後です。
- 『合宿の思い出にがしかき氷』/長嶋一茂’
- 『路地裏の記憶かき氷は甘し』/徳光和夫’
- 『かき氷思ひ出に色加へたり』/岩永徹也’
- 『かき氷密かに崩す銀河の夜』/千賀健永’
長嶋さんと徳光さんの句はかなり実体験に近いものであり、岩永さんと千賀さんの俳句は名人・特待生らしく技巧的になっている印象です。
千賀さんの句を補足すると、「銀河」も秋の天文の季語(天の川のこと)ではあるのですが、ここでは不問とします。身近にある「かき氷」という実物の季語が生きています。
ちなみに、広辞苑などには載っている古い言い回しとして、中田喜子さんはこんなオシャレな季語を使ったオシャレな俳句を披露しています。
- 『削氷の音や光れる波に消ゆ』/中田喜子’
「かき氷」と意味は同じなのに、「氷室」などの「ひ」を使った「けずりひ」という大和言葉な響きを使うだけで、音も光も波も高尚なものに思えてくるから不思議ですね。現代の喧騒から離れられる気がしてしまいます(←単純)。
その他の「かき氷」な季語
なお、上でも取り上げた『角川俳句大歳時記』には、かき氷の後に多種多様な傍題が載っていました。
「氷店」や「氷旗」は現代でも見かけるタイミングがあるかも知れませんし、「甘露水」といったフレーズも高級な和風なお店で見かけるかも知れません。そして、「氷小豆」、「氷苺」、「氷金時」、「氷レモン」、「氷宇治」、「みぞれ」といったものも季語として示されていました。
じゃあ、「氷メロン」や「ブルーハワイ」、「台湾かき氷」みたいなものを季語として認めるか否かで紛糾しそうなので、ここも読者にゆだねて次へと行こうと思います。
「白玉」(氷白玉、白玉ぜんざい)
そして、近代に入って作句例が目立ってきた「白玉」というのも、オシャレな夏の食べ物として歳時記に載っていました。
かき氷もシロップをかけただけでなく様々なものがトッピングされるようになって久しいですが、滑稽みを取り入れて、亡くなる2年前の炎帝戦で自身唯一「予選1位通過」を果たした作品がこちらです。
- 『氷壁崩落白玉を掘り出す』/三遊亭円楽
実際の地理としての「氷壁」ではなく、「氷白玉」を見立てた些か大袈裟な作品ですが、掘り出すものが「白玉」だというところも面白みがあります。
「氷菓」・「氷菓子」系
そして、今よりもカタカナ語を俳句に持ち込むのに抵抗のあった時代に重宝されたのが「氷菓」という3音です。音数の節約にこだわる近年の傾向とも相俟って、種類を限定する必要がない場合によく見かける単語となりました。
現代日本において「氷菓」と言った場合と比べて、俳句の世界でのそれの指し示す範囲は広い印象があり、少なくとも後述する『アイスクリーム』系も全般を指せますし、傍題的な『氷菓子』も含めれば、冷たいものを相当網羅している印象となります。
スーパーやコンビニで売っているようなガリガリした既製品だけにとどまらないという前提のもと、「氷菓」の俳句をまず見ていきましょう。
- 『毒々しと思ふ氷菓も人も吾も』/森口瑤子’
- 『青い氷菓を海に翳す放課後』/千賀健永
- 『氷菓ぎっしりアンディウォーホルの色彩』/北山宏光’
駄菓子の延長のようなビビッドカラーな氷菓に関して詠んだイメージの上の句たちは、それこそ「アンディー・ウォーホルの色彩」と北山さんが形容したように、現代における夏らしさの象徴的なところがあるかも知れません。千賀さんの句は、私なら「ガリガリ君」を想像しましたね。
そして、少し毛色の違う句をまとめて取り上げたく思います。(↓)
- 『子の舐める氷菓肘から滴れり』/藤本敏史
- 『リハ帰りのプラットホーム氷菓子』/朝日奈央
- 『髪結待つ客へ氷菓を出す母よ』/IKKO
フジモン名人の句は恐らく「アイスクリーム」系ではないかと思います。また、朝日奈央さんの句も、カップのアイスかも知れませんが、個人的には自販機の「セブンティーンアイス」かなとか想像を膨らませました。そして、IKKOさんの句に関しては更に幅が広く、時代も含めて様々な想像ができる点で、面白いなぁと感じました。貴方はどんな氷菓を出すと思いますか?
ちなみに、『葉桜やグラスに融氷のかすか』/北山宏光’ のように、「氷」単体では夏の季語とならないものの、複合的に夏の季感を出すことで17音の俳句を補強するパターンも考えられますので、ぜひ色々と挑戦してみてください!
「アイスクリーム」系
最後に「アイスクリーム」系を紹介していきたく思います。まずもって注意すべき点として、俳句では「アイス」のみでは「アイスクリーム」のことを指しきれないと見る向きが強いんだそうです。
アイスキャンデー、アイスクリーム、アイス最中など季語として幾つか掲載されている俳句歳時記を見ても「アイス」単体では傍題としても掲載していません。「アイス○○は他にもあるから」というのが暫定的な説明としてよく用いられますが、音数的に「氷菓」と同じ3音だからといって安易に使うと、句座で細かいところでお小言をいただいてしまうかも知れません(再)。
これに関して、「アイスクリーム」や「ソフトクリーム」などとはっきり言わないと×とする先生もいらっしゃいますし、「アイス」で通じるからOKとする先生もいらっしゃいますし、「アイス」単体では△だけど、周囲にアイスクリーム系のことだと分かる言葉で補えていれば可とする先生などがいます。
夏井先生は最後のタイプだと思えるような説明を何度かしていますし、添削例でも以下のようなものがありますので、早速みていきましょう。
- 『八月十五日アイス溶け続け』/立川志らく
- 『パラソルが派手でババヘラアイス婆』/梅沢富美男’
- 『朝の牧場仕込むアイスのバニラの香』/千賀健永’
一番下の千賀さんの句が非常に素直な『アイスクリーム』の俳句だと思います。いわゆるコーンにぐるぐると白いアイスクリームが巻かれてそれを食す。そんな牧場のアイスの売店の準備であることが明らかなので、これは『アイスクリーム』の句として私も大好きです。
現代にあって、巻いたアイスクリームを提供する場もあったりしますが、例えば「ハーゲンダッツ」のカップなどに代表されるように、配達が容易な商品が増えてきているのも事実でしょう。前述した「セブンティーンアイス」や、専門のショップのある「サーティーワンアイスクリーム」も巻かずに球体や四角く固まったものを食べています。
下に示す「アイス」は、コンビニや車内販売などで提供される既製品のアイスクリーム(氷菓)だと思われますが、いずれも夏らしさを覚える作品です。
- 『座席五度倒しアイスの蓋剥がす』/皆藤愛子
- 『甥っ子が仕舞うアイスの当たり棒』/篠田麻里子’
- 『風呂上がりばあばとれにとアイスの実』/高城れに’
ももクロの高城れにさんの句(の添削後)で『れに』という一人称を添削したことにも驚きましたが、「アイスの実」という商品名をそのまま季語として詠み込んできたことも評価に値すると思いました。
安易に商品名を季語に置き換えるのは多くの場合好かれないでしょうが、チャレンジとして非常に面白い化学反応が期待できることもあるので、皆さん試してみて下さい!
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