【はじめに】
この記事では、日本語版ウィキペディアを引用して、「尋常小学唱歌」についてまとめていきます。
尋常小学唱歌(じんじょうしょうがくしょうか)は1911年5月8日から1914年6月18日にかけて文部省が編纂した尋常小学校用の唱歌 (教科)の教科書。先に編纂された『尋常小学読本唱歌』を引き継いだものである。第一学年用から第六学年用までの全6冊。1学年ごとの収録曲は20曲。全120曲。
尋常小学唱歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下略 )
概要
『尋常小学読本唱歌』に並行する形で、文部省が東京音楽学校に編纂を依頼し、下記の委員によって構成された編纂委員会において合議により作詞、作曲された。このため、著作権は文部省が所有し、個々の曲の作者は伏せられた。のちに個々の作詞・作曲者が判明したとされる曲があるものの、多くは根拠が弱い。これは、作詞、作曲を示す自筆原稿がほとんど発見されていないことによる。
歌詞については、文部省が歌詞を一般から公募し、入選した作品を編纂委員会で検討した経緯がある。修正の過程を示す資料が残され、芳賀矢一、上田萬年ら国定国語読本の編纂にかかわった文学者の校閲が細かく行われた。しかし歌詞の原案を誰が作成したかは明らかでない。
作曲過程に至っては、原作の特定自体が相当困難である。したがって、個人的な著作作品にならぬよう、編纂の段階で念入りな計画がされていたと判断される。合議制の作品集であると同時に文部省の買取原稿の形をとったということからも、尋常小学唱歌に採用された曲のほぼ全てについて、個人の著作物とすることは難しい。
現在の音楽教科書と違い、教科書全体が1つのコンセプトのもとに編纂された。最初に学年ごとの題目が決められ、それを1年間の児童の発達、言語習得と季節の推移に合わせて楽曲が作られ、配列された。このため国語読本の韻文教材に言葉の程度があわせられた。
そして『尋常小学読本唱歌』所収の27曲を全て取り込み、新たに尋常小学唱歌のために作詞、作曲されたものが収録されることになった。したがって既存の曲や外国の曲は収録されていない。これらの事情について、編纂委員であった南能衛、島崎赤太郎が編纂過程を紹介した文章が残されており、そこからわずかではあるが編纂の過程を知ることができる。
収録曲一覧
収録された曲の題材には自然、修身、歴史、産業などがあり、他の教科との連絡が意図されていた。
調については、大部分が長調で、短調のものは第四学年以降に少数見られるだけであり、また日本音階のものは「かぞへ歌」1曲のみである。また、拍子については、大部分が2拍子・4拍子で、これも3拍子や6/8拍子のものは第五学年以降に少数見られるだけである。
以下、各学年の20曲のうち、日本語版ウィキペディアに単独の記事があるものをピックアップします。(なお、単独の記事は立っているものの、内容が薄いものは意図的に除外した)
第一学年
- 鳩 …… 別名『ハトポッポ』
♪ ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ。 - 人形
大阪に本社を置く人形商として知られるモリシゲが1970年代に関西地区限定でCMソングとして、替え歌の『モリシゲ人形のうた』を作っており、こちらの歌詞のほうが印象に残っている人もいる。 - かたつむり
♪ でんでん虫々 かたつむり、お前の頭は どこにある。角だせ槍だせ 頭だせ。 - 桃太郎
♪ 桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた 黍団子 一つわたしに 下さいな
第二学年
- 二宮金次郎
二宮尊徳の人生をたたえる歌であるが、戦後は二宮の人生が必ずしも模範とされなくなったことから、次第に歌われなくなった。 - 富士山
♪ あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く 富士は日本一の山 - 紅葉
高野辰之作詞、岡野貞一作曲の唱歌である。作詞者の高野辰之は、碓氷峠にある信越本線熊ノ平駅(現在は廃線)から紅葉を眺め、その美しさに惹かれてこの詞を作ったという。
♪ 秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様 - 雪
作詞は、明治大正期の国定教科書の編纂や文部省唱歌『池の鯉』『案山子』などの作詩も担当した国文学者の武笠三。作曲者は不詳。
1番と2番を間違えて歌ったり、1番の第2節から2番の第3節につなげて歌う人が多い。
第三学年
- 春が来た
高野辰之作詞、岡野貞一作曲の日本の童謡である。
♪ 春が來た、春が來た、どこに來た。山に來た、里に來た、野にも來た。 - 茶摘
オリジナルの曲名は「茶摘」である。摘という字は小学校で教えないので教科書では「茶つみ」と表記している。 ♪ 夏も近づく八十八夜 - 汽車
作詞は不明、作曲は大和田愛羅。汽車(蒸気機関車が牽引する客車列車)がさまざまな場所を通り抜け、その目まぐるしい変化の面白さを歌っている。 - 虫のこゑ
1910年(明治43年)『尋常小学読本唱歌』に初出。続いて『尋常小学唱歌』の第三学年にも収録されている。1998年告知の『小学校学習指導要領』において、第2学年の歌唱共通教材とされている。 - 冬の夜
第四学年
- 春の小川
1912年に発表された文部省唱歌である(高野辰之が作詞、岡野貞一が作曲したとの説がある)。初めて掲載されたのは『尋常小学唱歌 第四学年用』(第1曲)で、以後歌詞の改変があったものの、国民学校や小学校で現代まで100年以上にわたって教えられ続け、世代を越えて歌い継がれている。二部形式で書かれた楽曲である。 - 村の鍛冶屋
歌詞が当初のものから時代により書き換えられながら、長く全国の小学校で愛唱されてきた。
だが昭和30年代頃から農林業が機械化するにつれ野道具の需要が激減し、野鍛冶は成り立たなくなって次第に各地の農村から消えていく。鍛冶屋が作業場で槌音を立てて働く光景が、児童には想像が難しくなった昭和52年には文部省の小学校学習指導要領の共通教材から削除された。以後、教科書出版社の音楽教科書から消えはじめ、昭和60年にはすべての教科書から完全に消滅した。
第五学年
- 鯉のぼり
♪ 甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空(なかぞら)を、
作詞は不詳、作曲は弘田龍太郎。こいのぼりの雄大さをたたえ、男児がこいのぼりのように雄大に成長するようにという願望を歌っている。甍とは瓦のことであり、「竜になりぬべき」というのは鯉が滝を登って竜門をくぐると竜になるという伝説から来ている。
全編七五調の文語体であるため、最近は口語体の「♪屋根より高い…」で始まる『こいのぼり』のほうがよく歌われ、この歌はあまり歌われなくなっている。
第六学年
- 朧月夜
1914年(大正3年)『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出。検定教科書が用いられるようになった1948年(昭和23年)から小学校6年生の音楽教科書において採用され、平成以降も取り上げられている。
♪ 菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし。 - 我は海の子
♪ 我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に - 故郷 (ウィキソースによる歌詞)
故郷(ふるさと)は、高野辰之作詞・岡野貞一作曲による文部省唱歌。長らく作詞作曲者不明だったが、昭和40年代に高野、岡野と同定され、1992年(平成4年)からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている。高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。
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