【はじめに】
この記事では、「ノーベル賞」を複数回(2~3回)受賞した人や団体について纏めていきます。創設が1901年ですから120年あまりの歴史がある「ノーベル賞」ですが、その中でもタイトルに示した偉業を成し遂げたのは1桁しかいません。今日はウィキペディアの記載をもとに学んでいきましょう!
なんと直近の事例は、21世紀初(にして唯一)、2022年に達成されたのです。あまり大きく報道されていなかったのでご存知ない方も多いでしょうが、どれだけ偉業なことかこれから見ていきましょう。
冒頭、日本語版ウィキペディア「ノーベル賞」より『賞に関する記録』を引用します。
- ノーベル賞を2度受賞した人・団体
- マリ・キュリー (1903年に物理学賞、1911年に化学賞)
- ライナス・ポーリング (1954年に化学賞、1962年に平和賞)
- ジョン・バーディーン (1956年と1972年に物理学賞)
- フレデリック・サンガー(1958年と1980年に化学賞)
- 国際連合難民高等弁務官事務所(1954年と1981年に平和賞)
- バリー・シャープレス (2001年と2022年に化学賞)
- ノーベル平和賞を3度受賞した団体
- 赤十字国際委員会 (1917年、1944年、および1963年)
3度受賞した唯一の団体:赤十字国際委員会
赤十字国際委員会は、戦時における中立かつ人道的な活動を行う国際機関(スイス法人)。
1863年に創設され、本部はスイス・ジュネーブの平和通り19にある。国際赤十字・赤新月運動の7つ基本原則「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」に基づき、現在約15,000人以上の職員が80カ国以上で活動している。
赤十字国際委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
史上唯一「3度」ノーベル賞を受賞した団体というのが、『赤十字国際委員会』です。いずれも受賞したのは「ノーベル平和賞」な訳ですが、150年以上の活動を通じて、後述のとおり1917・1944・1963年に受賞しています。
ICRCは、第一次世界大戦と第二次世界大戦で戦争捕虜や被災者救援のために大きな貢献をし、1917年と1944年にノーベル平和賞を受賞した。
( 同上 )
また創設100周年に当たる1963年にも、国際赤十字・赤新月社連盟とともに3度目のノーベル平和賞受賞を果たした。1990年には、国際連合総会決議によって総会オブザーバーの地位も付与されている。
ちなみに、ノーベル平和賞が始まった1901年、栄えある第1回の受賞者となったのが、アンリ・デュナンである。
クイズ好きとしては、第1回ノーベル平和賞の受賞者が「アンリ・デュナン」なのは有名な話なのですが、赤十字の活動が時代を超え如何に高く評価されているかを示す実績ではないかと思います。
2度受賞した団体:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
国連難民高等弁務官事務所(こくれんなんみんこうとうべんむかんじむしょ、英称: The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees、略称: UNHCR)は、1950年12月14日に設立された、国際連合の難民問題に関する機関。経済社会理事会との連携関係にある専門機関から総会の補助機関に改組された。
前身は、連合国救済復興機関(1943年 – 1948年)、そして、国際難民機関(1946年 – 1952年)である。その活動が認められ、1954年、1981年にノーベル平和賞を受賞している。
国連難民高等弁務官事務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上記「赤十字」を除くと、今までに2度受賞している(唯一の)団体となるのが「UNHCR」こと“国連難民高等弁務官事務所”です。その受賞理由は、
20世紀で2度受賞しています。しかし、今なお難民に関する諸問題が続いている現状に鑑みると、史上2例目の3度目受賞の可能性も否めないところとなっていましょう。
2度受賞した人物:5名
そして、テレビのクイズ特番などでも頻出なのが「ノーベル賞を2度受賞した」科学者たちです。それぞれに難しいことは専門に譲るとして、大枠をざっくりと把握していただければと思います。
皆さん、21世紀に入って唯一の事例がつい先だって(2022年)達成されたことをご存知でしたか?
(1903物理・1911化学)マリ・キュリー
マリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリー(1867年11月7日 – 1934年7月4日)は、現在のポーランド出身の物理学者・化学者である。
フランス語名はマリ・キュリー。キュリー夫人 (Madame Curie) として有名である。1867年11月7日、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。1909年、アンリ・ド・ロチルド (1872-1946年) からキュリー研究所を与えられた。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。
マリ・キュリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キュリー夫人の『伝記』を読まされた読んだという方も少なくないかとは思いますが、ウィキペディアの冒頭部分を読むだけでもその偉業に驚かされますね。1回目の受賞の段階で、物理学賞でなく化学賞ではないかとの声がありましたが、受賞理由は以下のとおりです。
100年以上経っても2例目が達成されていない女性で唯一の偉業という点でもその凄さが分かります。
(1954化学・1962平和)ライナス・ポーリング
ライナス・カール・ポーリング(Linus Carl Pauling、1901年2月28日 – 1994年8月19日)は、アメリカ合衆国の量子化学者、生化学者。彼自身は結晶学者、分子生物学者、医療研究者とも自称していた。
ライナス・ポーリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノーベル賞の創設と同じ1901年生まれのポーリングが史上2例目の事例。マリー・キュリーでの達成から実に半世紀近く経ってのことでした。
ポーリングは20世紀における最も重要な化学者の一人として広く認められている。量子力学を化学に応用した先駆者であり、化学結合の本性を記述した業績により1954年にノーベル化学賞を受賞した。
( 同上 )
また、結晶構造決定やタンパク質構造決定に重要な業績を残し、分子生物学の草分けの一人とも考えられている。ワトソンとクリックが1953年にDNAの生体内構造である「二重らせん構造」を発表する前に、ポーリングはほぼそれに近い「三重らせん構造」を提唱していた。
多方面に渡る研究者としても有名で、無機化学、有機化学、金属学、免疫学、麻酔学、心理学、弁論術、放射性崩壊、核戦争のもたらす影響などの分野でも多大な貢献があった。
最後の段落にあるとおり「多方面にわたる研究」の幅広さを感じます。そして化学賞を受賞した8年後(東西冷戦が極まっていた1962年)にポーリングが受賞したのが【平和賞】でした。
1962年、地上核実験に対する反対運動の業績によりノーベル平和賞を受賞した。ノーベル賞を2度受賞した
( 同上 )4人の1人。初めてのキュリー夫人 に次いで2人目。化学賞と平和賞という全く異なる分野に及ぶ唯一の受賞者。
チャーチルが文学賞を受賞した以上かも知れません。全く異なる分野に及んでノーベル賞を2度受賞した初にして「唯一」の受賞者でもあります。20世紀中盤においても突出した実績でした。
(1956物理・1972物理)ジョン・バーディーン
ジョン・バーディーン(John Bardeen, 1908年5月23日 – 1991年1月30日)は、アメリカの物理学者。
1956年にウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンとトランジスタの発明によって、さらに1972年にレオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーと超伝導に関するいわゆるBCS理論でノーベル物理学賞を受賞しており、2018年現在、ノーベル物理学賞を2度受賞した唯一の人物である。
ジョン・バーディーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これまでの2例は、別部門での2回受賞でしたが、このバーディーンは同じ賞を2度受賞しています。あのアインシュタインですらノーベル物理学賞を1度しか受賞できなかった(やや強調した言い方になってしまっていますが)ことを考えると、如何に偉業か分かるかも知れません。
個人的には、BCS理論などを、YouTubeチャンネル『QuizKnock』の須貝駿貴さんなどを通じて知りました。それほど日常生活では触れない部分かも知れませんが、物理学の発展に大きく貢献されたことが窺い知れます。
(1958化学・1980化学)フレデリック・サンガー
フレデリック・サンガー(Frederick Sanger, 1918年8月13日 – 2013年11月19日)は、イギリス・グロスターシャー州レンコム出身の生化学者。ノーベル化学賞を2度受賞した人物として知られる。1954年王立協会フェロー選出。
フレデリック・サンガー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
40年以上、史上唯一、そして2022年以上は史上初の「ノーベル化学賞2度受賞者」となっていたのがサンガー氏です。
以上が、ノーベル化学賞の受賞理由として挙げられていますが、日本語版ウィキペディアによると、
サンガーはRNAの配列決定法も開発しており、これもノーベル賞級の業績とされているため、史上初の個人のノーベル賞3度受賞に最も近い人物と言われたこともあった。
( 同上 )
という記載もある通り、個人での3度受賞という大偉業にも迫った功績をお持ちのお方だった様です。ウィキペディアの「研究」となっている3つの目次を見るだけでも、一般教科書に載るレベルの内容だったということが直感的にも分かります。
これを達成されたのは1980年のことであり、2度受賞の個人学者は40年超誕生していませんでした。
(2001化学・2022化学)バリー・シャープレス
クイズ好きだから特に感じたのかも知れませんが、この「ノーベル賞2度受賞」というのは、各世紀に1名出るかどうかの大偉業であり、もっと国内でも大々的に報じられて良いのかなと感じました。(ただやはり日本人の受賞有無が最前に出てしまうのも分かるので、致し方ない部分もあるのでしょうが)
カール・バリー・シャープレス(Karl Barry Sharpless、1941年4月28日-)は、アメリカ合衆国の化学者。有機金属化学分野における研究で知られる。
2001年に「立体選択的な酸化反応」によりノーベル化学賞を受賞した(シャープレス酸化、シャープレス不斉ジヒドロキシ化、シャープレス不斉アミノヒドロキシ化)。この時ウィリアム・ノールズ、野依良治の2名が共同受賞者となった(いずれも不斉触媒による水素化反応)。
2022年、「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」により2度目のノーベル化学賞を受賞した。
バリー・シャープレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本人に関するところでいえば、2001年に日本人史上3人目の「化学賞」受賞者となった【野依良治】さんと共同受賞されたお1人方となる訳ですが、21年後に再びノーベル化学賞を受賞したことは20世紀から21世紀にかけての科学においても着目すべき実績だったかと思います。
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