競馬歳時記【4月2週】「ニュージーランドT」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「ニュージーランドトロフィー」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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昭和時代:

1970年代:謎多き(?) 前身の交換競走

概要
1971年にニュージーランドの「ベイオブプレンティレーシングクラブ(現・レーシングタウランガ)」からカップの寄贈を受けたことに伴い、交換競走として行われた「ベイオブプレンティレーシングクラブ賞グリーンステークス」が本競走の前身。

ニュージーランドトロフィー(以下同)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上に書かれている「ベイオブプレンティレーシングクラブ賞グリーンステークス」というのが、NZTの前身だそうで、調べてみて1件ヒットしました。

☆netkeiba.com さんのデータベースより
https://db.netkeiba.com/race/197505030605/

1975年5月10日、東京1800mで現・3歳の600万下条件戦(現3歳戦ですからレベルは高め)として開催された実績があるようです。確かに、JRAの「2022年度第3回中山競馬特別レース名解説」には「昭和46年(=1971年)」とあるのですが、ちょっと時期にズレがあるかも知れません。

引用:netkeiba データベースで「レース名:グリーン(昭和年間)」を検索

1971年までは関東で春に「グリーンS」という名称の条件戦は行われていたようですが「ベイオブ~」の記載がnetkeibaのデータベースには無いので、真実がどこかは不明です。

1980年代:初夏の東京マイルで創設

それから時代は進んで、1983年、「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」が創設されます。 当時は、5月下旬から6月上旬の東京マイル戦でした。

その後、1983年に4歳(現3歳)馬限定の重賞競走として「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」の名称で新設された。1984年よりグレード制が導入されGIIIに格付け、1987年よりGIIに格上げされた後、2001年より現名称となった。

( 同上 )

第1回を優勝したのはアップセッター。また5着と敗れたドウカンヤシマも、後に中距離路線で重賞を勝っています。そして、1980年代後半に後のG1馬が2頭このレースを勝っています。

第4回(1986年)を勝ったのは、後には天皇賞(秋)や安田記念を制する【ニッポーテイオー】です。皐月賞とNHK杯(ともに2000m)で8着と大敗したことで日本ダービーを諦め、マイル路線に転じて、ダイナフェアリーに3馬身半を付ける完勝を果たします。

このニッポーテイオーは、現5歳時に安田記念(同じ東京1600mの古馬G1)を制しますが、安田記念の翌月に行われた「第6回ニュージーランドトロフィー4歳S」で、ニッポーテイオーの勝ちタイムを上回るレースレコードで7馬身差の圧勝を果たす馬が誕生します。中央に移ってGIIIを3連勝していた【オグリキャップ】です。

第6回ニュージーランドトロフィー4歳ステークス|日本語版ウィキペディア

ちなみに、ウィキペディアで「ニュージーランドT」の単独記事が設けられているのは、このオグリが勝った1988年のみです。

平成・令和時代:

1990年代:NHKマイルCのトライアルに指定

創設時は東京競馬場の芝1600mで5月に行われていたが、1996年にNHKマイルカップが創設されると本競走はNHKマイルカップトライアルに指定され、施行時期を4月下旬に移設のうえ距離も1400mに短縮された。

( 同上 )

この時代は、外国馬やマイラーがレースを盛り上げます。代表的な馬を挙げると、

1990/06/03ダイタクヘリオス2着
1992/06/07シンコウラブリイ
ヒシマサルⅡ
サクラバクシンオー
1着
2着
7着
1994/06/05ヒシアマゾン
ビコーペガサス
1着
3着
1996/04/20ファビラスラフイン1着
1997/04/20シーキングザパール1着
1998/04/26エルコンドルパサー1着

1990年代を彩った外国馬やマイラーが名を連ねています。特に平成1桁後半からは、マイルの牝馬限定競走である「桜花賞」に出走権のない馬が強さを見せつける舞台となりました。

2000年代:中山1600mに変更も……

2000年には施行場を中山競馬場に、距離を1600mに変更のうえ施行時期も4月上旬に繰り上げられた。

( 同上 )

2000年代に入ると、21世紀になってレース名から「4歳S」が外れるといった変化もありましたが、最も大きかったのは、開催条件(東京→中山競馬場、レース時期:4月下旬→上旬)の変更でしょう。

同時期に「開放元年」と呼ばれるクラシック競走などに海外馬が出走可能となったため、NZTの存在意義が急速に低下。G1級の馬が好んで出走するレースではなくなってしまいました。2000年に制した【エイシンプレストン】こそ海外G1を制していますが、その後は勝ち馬から芝重賞を勝つ馬も数える程になります。

トライアルレースでありながら、本番とされるNHKマイルCとの接続も極めて弱まってしまいました。

2010年代:「降格」警告が発せられる異常事態に

平成20年代前半は、GI~GII級の馬を時折輩出しました。代表的な勝ち馬はこんな具合です。

また、2010年代後半にも、カツジやワイドファラオを輩出こそしていますが、ニュージーランドT後は重賞を勝てず大敗続きとなる馬も珍しくありません。こうした結果、2022年、報じられて大きな話題となりましたが、

しかし、2019年・2020年のレースレーティングが2年連続で3歳GIIの格付基準を満たさなかったことにより日本グレード格付け管理委員会から警告を受けている。2022年のレーティングが格付基準よりも3ポンドを超えて下回った場合、GIIIへの降格が審査されることになる。

レースレーティングの低い状態が定常化し、日本グレード格付け管理委員会からGIIの同レースに警告が発せられることとなったのです。

※「GIの目安:115」に達する『スーパーG2』が多い中で、この警告が発されるのは異例ではないかと個人的には思います。以下、JRAのホームページからの引用です。

☆(2022.01.26)葵ステークスのGⅢ格付けおよびニュージーランドトロフィー(GⅡ)の格付けに対する警告|JRAニュース

( 上記記事よりスクリーンショット )

私が普段からやっている、もう少し長いスパン(2016年以降のデータ)で見ることにしましょう。

第34回2016年4月9日107.50ダンツプリウス1:33.9
第35回2017年4月8日106.75ジョーストリクトリ1:36.0
第36回2018年4月7日110.00カツジ1:34.2
第37回2019年4月6日106.75ワイドファラオ1:34.2
第38回2020年4月11日106.50ルフトシュトローム1:33.0
第39回2021年4月10日103.50バスラットレオン1:33.1
第40回2022年4月9日108.75ジャングロ1:33.5
第41回2023年4月8日エエヤン1:33.7

2021年は後にドバイでゴドルフィンマイルを制するなど海外遠征を続ける【バスラットレオン】が圧勝しましたが、5馬身差つけられた2着以下の評価が頗る低く、レースレーティングは「GIII:105」をも大幅に下回る103.50で着地しました。もしコロナ禍による特例がなければ、「降格審査」対象になっていてもおかしくなかったというレベルです。

その他の年も、GIIの目安の110に達したのはカツジが勝った2018年のみで、2020年までの5年間の平均は107.50です。ちょうど「GIIとGIIIの目安」の狭間でありレースレベルの凋落が顕著といえます。
(勝ち馬のその後を見ても、残念ながらこの評価の妥当性は認めざるを得ないところでしょう)

仮に、2022年のレーティングが107を超える結果となり、日本グレード格付け管理委員会の形式的な「降格審査」を回避する結果となったとしても、『レース選択の魅力が薄い』レースとなっている構造的な問題は解消されません。大胆な改革をしなければ、GIIに格付けされるもレース意義が揺らぐ代名詞的な存在になってしまいかねません。

個人的には、仮に今年のレーティングの結果でギリギリ「降格審査」を回避する事が出来たとしても、2000年以来のレース条件の見直しを決断するべき良いタイミングでないかと感じます。あの1990年代後半のハイレベルで感動的だったニュージーランドTの再現は遠くても、優勝賞金5,400万円に見合うだけの(馬主サイドに向けた)魅力を発する番組表となることを期待しています。【いわゆるゾンビ化に反対】

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