日本にとっての「ドバイワールドカップナイト(Dubai World Cup Night)」をまとめてみた

【はじめに】
この記事では、毎年3月下旬に行われるUAE(アラブ首長国連邦)・ドバイの競馬のビッグイベント「ドバイワールドカップ」と、当日に行われるその他のレースを含め「ドバイワールドカップナイト」として振り返っていきます。

2月に公開した「サウジカップ・デー」のまとめ記事、ご好評いただきました。ありがとうございます。

毎年、多くの日本馬も遠征して活躍をみせていますので、過去を振り返るのにもお役立ていただければ幸いです! それでは概略から早速みていきましょう~

ドバイワールドカップナイト(ミーティング)について

まずは、日本語版ウィキペディアで「ドバイワールドカップナイト」について見ていきましょう。

ドバイワールドカップミーティング(Dubai World Cup meeting)とは、毎年3月下旬の土曜日にアラブ首長国連邦のドバイにあるメイダン競馬場で開かれる国際招待競走の開催日、および同日に行われる重賞の総称である。ドバイワールドカップナイト(Dubai World Cup Night)と呼ばれることが多い。

当地ではすべての競走で勝馬投票券の発売は行われないが、外国のブックメーカーによる賭けは行われているほか、2017年からは日本中央競馬会のインターネット回線投票、2019年からはJRA-UMACAでの馬券発売が開始された。

日本語版ウィキペディア > ドバイワールドカップミーティング より

日本では他の海外に準じて「ドバイワールドカップミーティング」と呼ぶことが多いですが、世界的にはどうやら「ナイト」と称することが多いようなので、タイトルはそちらに揃えました。

歴史

アラブ首長国連邦の王族の子孫として生まれたシェイク・モハメドは幼少時より馬に親しみ、12歳でアマチュア騎手としてレースに参加するなどしていたが、17歳のときに英国のケンブリッジへ留学した際、発祥国の競馬文化にふれたことで競馬への情熱が決定的なものとなり、祖国ドバイを世界競馬の重要な拠点とすることを生涯の目標として掲げたといわれる。

シェイク・モハメドは上記の目標を達成すべく、まず1977年に英国で馬主となり、1981年にはニューマーケットに「ダルハムホールスタッド」を開設、自ら生産にもかかわるようになる。その後1992年には、英国の芝平地競走がシーズンオフとなる冬季に所有馬を温暖なドバイへ移動させ、ここを調教拠点とするようになった。こうしてドバイに調教拠点を設けた競馬組織ゴドルフィンは、1994年のオークスステークス(バランシーン)など、世界の主要な競走を次々に制するようになった。

1996年には「ドバイワールドカップ」がナド・アルシバ競馬場のダート2000mで創設され、ドバイが国際競走の開催地となった。ヨーロッパやアメリカなどの競馬主要国から遠く離れた砂漠の地で行われる国際レースには成立を不安視する声もあったが、第1回ドバイワールドカップを米国の歴史的名馬シガーが優勝したことで、国際競走としてのステータスが確立していった。

( 同上 )

その後も1998年には「ドバイターフクラシック(現:ドバイシーマクラシック)」が創設されたほか、2000年には1996年よりドバイワールドカップのアンダーカードとしてダート2000mで行われていた「ドバイデューティーフリー(現:ドバイターフ)」を芝1777mに条件変更するなど、レース数も増えイベントとしての規模は拡大していった。

2010年にはオールウェザー素材を用いたメイントラックを備えたメイダン競馬場が完成。ドバイワールドカップもメイダン競馬場(オールウェザー2000m)での開催に変更、総賞金も1000万米ドルに増額された。しかし、オールウェザー素材は寒冷地だと有効に機能するが、温暖な地ではメンテナンスに困難をきたすことが判明したためメイダン競馬場のメイントラックはダートに変更され、ドバイワールドカップも2015年からダート2000mに戻された。

( 同上 )

2015年現在、ドバイワールドカップが行われる日は「ドバイワールドカップナイト(Dubai World Cup Night)」や「ドバイワールドカップデー」などと呼ばれ、6つのG1競走を含む9つの重賞競走が同日に行われるほか、1日の総賞金も2925万米ドルに上り、世界でも有数の豪華なイベントとなっている。

2020年はcovid-19の世界的な感染の拡がりに伴い、参加者の健康を守るため中止となった。

2021年はドバイワールドカップミーティングの賞金総額を大幅に削減することが発表された。ドバイワールドカップは以前と変わらないが、その他のレースの賞金額が引き下げられるため、全体で850万ドル減の総額2,650万ドル(約27億8,250万円)となる。なお、2019年は総額3,500万ドル(約36億7,500万円)であった。ただし、以前は6着まで賞金が支払われてきたが、2021年は8着までに賞金が支払われることとなる。

( 同上 )
( 同上 )

各レースの紹介と日本馬の好走例について

ではここから、それぞれのレースについて見ていきましょう。原則として日本馬が3着以内に好走した例を中心にピックアップしていきます。

(1月から)ドバイワールドカップカーニバル

ドバイワールドカップカーニバル(Dubai World Cup Carnival)は、毎年1月下旬から3月の中旬の日曜日までアラブ首長国連邦を構成する首長国の1国、ドバイにあるメイダン競馬場でエミレーツ・レーシング・オーソリティー(Emirates Racing Authority)とドバイレーシングクラブ(Dubai Racing Club)が共同主催する競馬開催のことである。

日本語版ウィキペディア > ドバイワールドカップカーニバル より

本番「ナイト」2ヶ月ぐらい前から始まる一連のプレップレース群を「カーニバル」と称するそうで、日本からも何頭か出走して好走実績があります。具体的にいうと、

日本語版ウィキペディア > 日本調教馬の日本国外への遠征 より

2009年に牝馬【アースリヴィング】が出走して2冠とも2着、2020年には【セラン】がUAEオークスで3着となっています。日本ではまずダートの3歳牝馬重賞がないので実は穴場かも知れませんよね。

(3月上旬)スーパーサタデー

スーパーサタデー(Super Saturday)とは、毎年3月上旬の土曜日にドバイレーシングクラブがメイダン競馬場でドバイワールドカップデー各競走の前哨戦を行う開催日のことである。

日本語版ウィキペディア > スーパーサタデー より

本番まで1ヶ月を切る3月上旬には、「スーパーサタデー」という前哨戦ラッシュの一日もあります。

( 同上 )

この他、日本馬では【ウオッカ】が2009年に挑戦して5着と敗れた「ジェベルハッタ」も含まれます。「マクトゥームチャレンジラウンド3」は【レッドディザイア】が優勝した当時はG2格でしたが、2012年に国際G1に昇格しています。

(1R)「ドバイカハイラクラシック」

ドバイワールドカップナイトの第1レースに開催されるのが「ドバイカハイラクラシック」です。ただこのレースは純血アラブ馬による国際レースなので、日本馬は参戦しません(できません)。

(2R)「ゴドルフィンマイル」(G2・ダ1600m)

1994年に創設され、2002年に国際G2に昇格した「ゴドルフィンマイル」は、日本馬にとっても非常に馴染みのあるレースとなっています。ここ数年は毎年のように日本から参戦していますよね。

馬名着順
2006ユートピア1着
2018アディラート3着
2022バスラットレオン1着
ユートピアはこの勝利の約1ヶ月後にゴドルフィンへの移籍が決定。当時はまだJRA所属。

しかし実は日本からの優勝は2006年の【ユートピア】1頭であり、その他、平成年間では2018年に【アディラート】が3着に入っただけです。2001年のノボトゥルーや2019年のノンコノユメのように同距離である「フェブラリーS」の優勝馬でも大敗することがあるレースでもあるのです。

2022年にはソリストサンダー、バスラットレオン、フルフラットの3頭が出走し、バスラットレオンが昨年のニュージーランドT以来となる重賞2勝目を飾りました。ユートピア以来16年ぶりの優勝です。

(3R)「ドバイゴールドカップ」(G2・芝3200m)

2009年に創設され、当初のレース名は「DRCゴールドカップ」で、2012年から「ドバイワールドカップナイト」当日に開催されるようになり現在の名称に変更。そして格付けは2011年にG3、2014年にG2に昇格しました。

日本馬は、2012年に「マカニビスティー」が10着、2016年に「ネオブラックダイヤ」が8着と大敗。

馬名着順
2022ステイフーリッシュ1着

そして6年ぶりに日本馬が出走した2022年は、ヴェローチェオロとステイフーリッシュの2頭(初の複数頭)が挑戦。前月にサウジアラビアでのレッドシーターフHを制覇していたステイフーリッシュが、好位から直線最後に力強く他馬を競り落とし、海外重賞を連勝しました。日本馬初制覇です。

(4R)「アルクォズスプリント」(G1・芝1200m)

※英語表記では「Al Quoz Sprint」となり、JRAでは「アルクオーツスプリント」と表記しています。

2007年に準重賞として始まり、直線芝のスプリント競走として開催。2012年に国際G1へと昇格をしていますが、「高松宮記念」と同日に開催される同距離のG1ということもあり、日本からの挑戦例は他と比べても少ないです。
2012年に「エイシンヴァーゴウ」、2016年に「ベルカント」が出走しどちらも12着と大敗しました。また、2022年には「エントシャイデン」と「ラウダシオン(初のG1馬)」が出走するもやはり大敗。

(5R)「UAEダービー」(G2・ダ1900m)

日本馬が毎年複数頭出走し、安定感があるのが「UAEダービー」です。北半球の基準でいう3歳馬限定の競走で、日本のダート馬が2歳戦終了後に夏まで目ぼしいレースがないため、積極的に海外挑戦している実情があるのでしょう。

馬名着順
2006フラムドパシオン3着
2015ゴールデンバローズ3着
2016ラニ1着
ユウチェンジ3着
2017エピカリス2着
2022クラウンプライド1着

初出走でフラムドパシオンが3着と好走した2006年のレースは、インヴァソールやウェルアームドといった後の名馬を下しての3着でした。そして2016年には「ラニ」が同レースを初めて制し、米3冠への挑戦(ベルモントS3着)への足がかりとなりました。

2022年には日本から史上最多の4頭が出走し、【クラウンプライド】が6年ぶりの優勝を果たします。

(6R)「ドバイゴールデンシャヒーン」(G1・ダ1200m)

1993年に「ガルフニュースステークス(Gulf News Stakes)」の名称で創設された競走で、ドバイミーティングで行われる競走の中では最も歴史が長い。競走名は1994年に「ナドアルシバスプリント(Nad Al Sheba Sprint)」、1997年には「ガルフニュースナドアルシバスプリント(Gulf News Nad Al Sheba Sprint)」と変更した後、2000年から現名称となった。

距離は創設当初1000mだったが、1995年から1200mに変更された。

日本語版ウィキペディア > ドバイゴールデンシャヒーン より

国際G1となった2002年に【ブロードアピール】が出走し5着となって以来、最近はサウジを経由してここに焦点を絞るダート短距離馬も目立つようになってきたレース。

しかし、アメリカを始めとする世界の壁は厚く、4~5着というのは例が多いのですが、最高は2着。

馬名着順
2019マテラスカイ2着
2021レッドルゼル2着
2022レッドルゼル2着

2019年はエックスワイジェット、2021年は(レース入線直後に故障を発生した)ゼンデンに敗れたものの、アメリカの強豪を相手に2着を確保する一流っぷりをアピールしたレースでした。そして2022年もレッドルゼルは地元の伏兵スイッツァランドに突き放され、2年連続の2着となりました。

(7R)「ドバイターフ」(G1・芝1800m)

昔ながらの競馬ファンからすると、1996~2014年のレース名「ドバイデューティフリー (Dubai Duty Free)」の方が馴染みがあるかも知れません。距離に関しては、2002年から芝1777mとなりましたが、2010年からは芝1800mで定着しています。

馬名着順
2007アドマイヤムーン
ダイワメジャー
1着
3着
2014ジャスタウェイ1着
2016リアルスティール1着
2017ヴィブロス1着
2018ヴィブロス
リアルスティール
ディアドラ
2着
3着
同着
2019アーモンドアイ
ヴィブロス
1着
2着
2021ヴァンドギャルド2着
2022パンサラッサ1着
日本馬は2010年代だけで4勝。ここでレーティングを爆上げした日本馬も多い。

2007年以降、日本からの出走馬のレベルも上がっているのでしょうが、ここ15年近く2桁着順の馬がいません。中距離路線での日本馬の層の厚さも物語っているデータかも知れません。

2022年、日本からは、ヴァンドギャルド、シュネルマイスター、そして大阪杯ではなくこちらの招待を受諾し、初遠征での活躍に期待が高まるパンサラッサが出走。前年の覇者である英・ロードノースとの1着同着で、パンサラッサが逃げ粘り勝ちしました。

(8R)「ドバイシーマクラシック」(G1・芝2410m)

ナド・アルシバ競馬場時代は2400mで、一周2400mちょうどのメイダン競馬場になってからは2410mで開催されるようになった「ドバイシーマクラシック」も、日本から挑戦馬の多いレースです。

馬名着順
2001ステイゴールド1着
2006ハーツクライ1着
2010ブエナビスタ2着
2013ジェンティルドンナ2着
2014ジェンティルドンナ1着
2015ワンアンドオンリー3着
2016ドゥラメンテ
ラストインパクト
2着
3着
2019シュヴァルグラン
スワーヴリチャード
2着
3着
2021クロノジェネシス
ラヴズオンリーユー
2着
3着
2022シャフリヤール
オーソリティ
1着
3着

黎明期においては、ステイゴールドが異国の地で重賞を制覇したことが印象的な同レース。2006年にはハーツクライが優勝して存在感をアピールしますが、実はそれ以降の15年で優勝したのはジェンティルドンナの1回のみ。2・3着の多さが際立っています。

日本語版ウィキペディア > ドバイシーマクラシック より

調教国をみても国際色豊かな傾向が続いていて、欧州やUAEの一流馬に日本馬が惜敗をするという構図がここ数年顕著になっています。日本の3冠ホースと伍するクラスの馬が勝っていますが、2021年には日本馬2頭がミシュリフを捉えきれなかったようにレースレベルは非常に高いといえます。レーティングや馬券人気から受ける印象ほど「簡単なレースではない」ことを再認識しておきたいところです。

2022年には日本から5頭のクラシックディスタンスの一流馬が挑戦し、日本ダービー馬シャフリヤールがG1・2勝目を飾りました。3冠馬をはじめ日本ダービー馬は多く海外挑戦してきましたが、国際G1を制するのは、実はこれが史上初のこととなりました。

(9R)「ドバイワールドカップ」(G1・ダ2000m)

日本人にとってダート界での最大の目標となっているのが「ドバイワールドカップ」です。芝・ダートを問わず、日本の一流馬が挙って挑戦をしてきましたが、オールウェザー時代の2011年にヴィクトワールピサが優勝して以来、ダートに戻ってからは勝ち負けに関われていません。

日本語版ウィキペディア > ドバイワールドカップ より

改めて振り返ってみると、歴代優勝馬の調教国は「アメリカとUAE」に偏っています。それ以外では、1997年の英・シングスピールがダート時代唯一の優勝で、2010年の仏・グロリアデカンペオンと、2011年の日・ヴィクトワールピサはどちらもオールウェザー時代です。

こうした諸々の事実をしっかりと認識した上で、レースの観戦であったり、人によっては馬券検討を行う必要があろうかと思います。以下、日本馬の3着以内の例を挙げます。

馬名着順
2001トゥザヴィクトリー2着
2011ヴィクトワールピサ
トランセンド
1着
2着
2021チュウワウィザード2着
2022チュウワウィザード3着
2011年はオールウェザー開催。ダート開催では、2001・2021年の2着が最高。

毎年、日本の芝・ダート一流馬が挑戦してもこれだけしかいません。それほどまでに壁は高いのです。このうち2011年はオールウェザー開催であり、それを除くと、2着2回が最高です。
2着でも勝ち馬からは離されていましたし、3着はなくこれら以外ではカネヒキリやヴァーミリアンでも4着だったことを思うと、ダート開催では「勝ち負けを争う」レベルにも日本馬は達せていません。

大きな夢のあるレースな一方で、「凱旋門賞」、「サウジC」などと同様、日本馬には適正の高くないアウェーの地でのビッグレースは、時としてシビアに見定め、あるいは日本のメディアが大きく取り上げなかったとしても、実態に合わせた評価と称賛を贈れるようにしていきたいです。

いやいや、あのドバイワールドカップだよ? この結果(着差)なら大健闘だよ!

そういった流れでみると、勝ち馬から離されていたとはいえ、2021年にまさかの2着、そして2022年にも最後方から足を伸ばしてライフイズグッドを捉えての3着となった【チュウワウィザード】は快挙であると熱弁したいと思います。

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