「最大震度6(烈震)」だった主な地震についてまとめてみた

【はじめに】
この記事では、かつての基準で「最大震度6(烈震)」とされた地震のうち、主な地震について時代ごとにまとめていきます。

「震度6」なんて毎年のように発生している気がするけど?

って思っていらっしゃる方、確かにここ最近は「震度6」クラスの地震も毎年のように発生していますが、かつては違いました。一番長い時では24年間1度も観測したことがなかった時期もあったのです。

そして、戦後公式に「震度7(激震)」が制定されましたが、適用されるのは平成7年(阪神・淡路大震災)までなく、日本の地震観測が始まった明治から昭和にかけての「実質的な最高震度」として君臨していたのが、この「震度6(烈震)」だったのです。(やや厳密には語弊があるかも知れませんが、ニュアンスを伝える意味でこう書かせてもらいました)

「震度6」という衝撃が持つインパクトは、現代の「震度7」に匹敵(あるいは、空白期間からするとそれ以上)するものがあったと思われます。早速、歴史を振り返っていきましょう。

【明治】複数の大地震で観測したと推定

日本の地震観測は、明治時代までは遡れます。そして、明治の前半には既に「烈震」という表現が登場していました(その後の時代に比べると、若干基準は甘めですが)。ウィキペディアから引用します。

震度階級の創設と改訂
日本で地震計による地震観測が始まったのは1872年(明治5年)であるが、その8年後の1884年(明治13年)、当時の内務省地理局第四部 験震課長を務めていた関谷清景が全18条からなる『地震報告心得』をまとめ、全国約600か所の郡役所から地震の情報収集を開始した。これが日本最初の統一様式での震度階級である。当時は「微震」「弱震」「強震」「烈震」の4段階で、例えば微震なら「僅ニ地震アルヲ覚ヘシ者」というように短い解説文があった。

その後、1898年(明治31年)に微震の前に「微震(感覚ナシ)」、微震と弱震の間に「弱震(震度弱キ方)」、弱震と強震の間に「強震(震度弱キ方)」が追加されるとともに、0 から 6 までの数字が振られ7段階となるが、このときは解説文が省かれた。1908年(明治41年)には各階級に解説文が復活する。

日本語版ウィキペディア > 気象庁震度階級 より

もう少し分かりやすくするために、下の画像をあわせて引用します。当時は公式には「烈震」までしか定まっていなかったのです。

( 同上 ) > 震度階級と名称の変遷 より該当部分のみ抜粋

今ほど体系だって震度観測を行っていた訳ではなく、関東大震災などで原簿を含めたデータの多くが散逸しているので、実測データは断片的にしか分かりません。しかし以下に示した地震などでは、恐らく被害状況などからも「震度6(烈震)」を観測していたのではないかと(個人的には)思います。

発生日時地震名気象官署での推定烈震地
1872/03/14浜田地震7.1浜田
1891/10/28濃尾地震8.0甲府、諏訪、岐阜、名古屋
敦賀、津、奈良、大阪 他
1894/06/20明治東京地震7.0東京、横浜
1894/10/22庄内地震7.0酒田
1905/06/02芸予地震7 1/4呉、広島
1911/06/15喜界島地震8.0名瀬

日本語版ウィキペディアの記載をかき集めるだけでも、約40年間で数回の事例が見当たりました。このほか、1896年の「陸羽地震」や1909年の「姉川地震」などでも震央付近では激烈な揺れに襲われたと推定されます。

特筆するべきは「濃尾地震」での強烈な揺れを観測した範囲の広さです。中日本から近畿地方の全域に及んでおり、当然、震度階級が今と違う4段階しかなかったことを差し引いたとしても、歴史に残る内陸巨大地震であったことはこのことからも分かります。

【大正】関東地震を始め15年間で複数回観測

大正時代は15年間足らずしかありません。しかし、大地震が時折発生して被害をもたらしていた時期でもあります。

気象庁の「震度データベース検索」が対応しているのは、2022年3月現在で「1919年(大正8年)」以降です。しかし、その前の時代においても、「震度6(烈震)」を観測していた可能性はあります。

  • 1914年1月12日「桜島地震」M7.1
  • 1914年3月15日「仙北地震」M7.1

例えば上記の地震は、鹿児島県や秋田県内で震度6以上の烈しい揺れを観測したと推定されています。

そして「大正関東地震」による関東大震災が起きたのが大正12年(1923年)でした。大正デモクラシーの終焉を迎えたことは歴史の授業などでも習ったかも知れませんが、この地震から数えて3年続けて東西日本で烈震を伴う地震が「震度データベース検索」には記録されています。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度
1923/09/01 11:58:31.6神奈川県西部23 km7.9震度6
1924/01/15 05:50:14.8神奈川県西部0 km7.3震度6
1925/05/23 11:09:47.6兵庫県北部0 km6.8震度6
(出典)気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 1926/12/31 23:59
・最大震度 : 震度6弱以上

このうち1923年の「関東大震災」の本震で観測された震度については、日本語版ウィキペディアから引用します。(なおこれらは当時の粗い観測網で記録された震度であることに注意が必要です。)

日本語版ウィキペディア > 関東地震 より

また、関東地震の本震発生から10分以内にM7クラスの大地震が3回、翌日までにM6以上の地震が2桁回数観測されており、恐らくその殆どで「震度6以上」の揺れを観測していたと想定されますが、地震の観測もままならない状況だったこともあり、「震度データベース検索」でヒットするのは本震1例となっています。

続く、1924年1月の「丹沢地震」は、関東大震災の最大余震とされ、当時の観測網では「甲府」で震度6を観測しています。同じく日本語版ウィキペディアからの引用です。

日本語版ウィキペディア > 丹沢地震 より

更にその翌年の1925年には西日本で「北但馬地震」が発生し、兵庫県豊岡市で震度6を観測しました。

日本語版ウィキペディア > 北但馬地震 より

この当時の感覚からすると、近畿地方での大地震は「姉川地震(1909年)」あたりまで遡らなければならず、大正に入ってからの殆どは東日本で発生していたため、日本語版ウィキペディアの文言を直接引用すると、『この地震は、関東大震災やその後に関東地方で地震が頻発したことによって広まった「地震は関東で起きるもの」という先入観を打ち崩した。』だったそうです。

【昭和】1940年代までに集中、後半40年では2例のみ

この傾向は、戦争・終戦を挟んだ1940年代まで継続します。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度
1927/03/07 18:27:39.2京都府北部18 km7.3震度6
1930/11/26 04:02:46.9静岡県伊豆地方1 km7.3震度6
1935/07/11 17:24:48.3静岡県中部10 km6.4震度6
1941/07/15 23:45:26.8長野県北部5 km6.1震度6
1943/09/10 17:36:53.5鳥取県東部0 km7.2震度6
1944/12/07 13:35:40.0三重県南東沖40 km7.9震度6
1948/06/28 16:13:28.8福井県嶺北0 km7.1震度6
(出典)気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1927/01/01 00:00 ~ 1949/12/31 23:59
・最大震度 : 震度6弱以上

1927年の「北丹後地震」、1930年の「北伊豆地震」、1935年の「静岡地震」、1941年の「長野地震」、1943年の「鳥取地震」、1944年の「昭和東南海地震」、1948年の「福井地震」といった具合に、地名のついた顕著な地震が立て続けに発生し、大きな被害をもたらしてきました。

なお、この表にはありませんが、1945年の「三河地震」や1946年の「昭和南海地震」については、「震度データベース」では最大震度5として登録されていますが、委託観測所や震央付近の推定値をみれば、震度6以上の揺れがあったことは間違いないと見られます。(震度基準の違いも要考慮)

しかし明治時代から推定を見てきても、数年に1度ぐらいのスパンでコンスタントに「震度6以上」を観測してきたのですが、その流れが1950年代から昭和の終わりまで途絶えます。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度
1948/06/28 16:13:28.8福井県嶺北0 km7.1震度6
1972/12/04 19:16:10.3八丈島東方沖54 km7.2震度6
1982/03/21 11:32:05.7浦河沖40 km7.1震度6
1993/01/15 20:06:07.2釧路沖101 km7.5震度6
(出典)気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1948/01/01 00:00 ~ 1993/12/31 23:59
・最大震度 : 震度6弱以上

1949年から1992年までの33年間という任意の期間を取ると、その間に起きた「震度6(烈震)」の地震は僅か2回のみと激減します。1972年の「八丈島東方沖」の地震と1982年の「浦河沖地震」です。

1948年に「福井地震」が発生し、犠牲者は3,769名にのぼりました。福井市内の大和百貨店崩落の写真に代表されるような建物被害が顕著で3万棟以上の住宅が全壊したとされます。この「福井地震」での甚大な被害を契機に、翌1949年に「震度7(激震)」が正式に設けられたのですが、それとは反対に、震度7どころか震度6も観測されなくなったという事実があります。

個人的には、「震度7」が設けられたり、「震度6:福井地震」という前例が、「震度6」を人間が判断する上で何らかの作用をした可能性も否定はできないかなと思っています。

震度計での観測であれば主観などの入る余地はないのですが、体感であったり職員という立場が、震度5か6か迷ったときに震度5を選ぶという思考が、この数十年間のうちに1例もなかったとは思えないのです。

具体的にいえば、1952年の「十勝沖地震」は委任観測所からの「震度7」の報告が「震度5」に訂正されていますし、1964年の「新潟地震」や1968年の「十勝沖地震」といった大地震でも「最大震度5」と気象官署からは報告されますが、一般的に想像される震度5の地震とは明らかに違った甚大な被害が記録されたこともありました。

「震度データベース検索」に基づく年代別の「震度6(烈震)」の回数を纏めると次のとおりです。

年代烈震地震名
1920年代4回関東地震
丹沢地震
北但馬地震
北丹後地震
1930年代2回北伊豆地震
静岡地震
1940年代4回長野地震
鳥取地震
昭和東南海地震
福井地震
1950年代0回
1960年代0回
1970年代1回八丈島東方沖地震
1980年代1回浦河沖地震

1950~60年代に起きた地震は、いずれも「震度5以下」となっていますが、その間に大きな地震が無かった訳ではないことは上に述べた通りで注意が必要です。

【平成】気象官署で「震度6(烈震)」を観測した事例

平成に入ると、約100年間続いてきた今までの流れが大きく変わります。「自動計測への完全移行」であったり、「気象庁震度階級の見直し」であったり、「震度観測点の大幅増」であったり。その結果、「震度6弱以上」を観測する地震の数は急増しています。

少なくとも四半世紀近く「震度6」を観測しないなんて今後まず起こり得ないでしょう。それどころか「震度7」ですら四半世紀で複数回観測されています。要するに単純比較はできないということです。

ただし、足し算ではなく引き算の考え方を使えば、案外シンプルに比較できるのでは? というのが私の主張だったりもします。ここからは「気象官署で『震度6』を観測した事例」をみていきましょう。

発生日地震名M気象官署烈震地
1993/01/15釧路沖地震7.5釧路
1994/10/04北海道東方沖地震8.2釧路
1994/12/28三陸はるか沖地震7.6八戸
1995/01/17兵庫県南部地震7.3神戸、洲本
2000/10/06鳥取県西部地震7.3境港
2003/05/26三陸南地震7.1大船渡、石巻
2003/09/26十勝沖地震(本震)8.0浦河
十勝沖地震(余震)7.1浦河
2007/03/25能登半島地震6.9輪島
2009/08/11駿河湾地震6.5御前崎
2011/03/11東北地方太平洋沖地震9.0大船渡、仙台、石巻
小名浜、水戸、柿岡
2011/04/07宮城県沖地震7.2大船渡、仙台、石巻
2016/04/14熊本地震(前震)6.5熊本
2016/04/16熊本地震(本震)7.3熊本、阿蘇山

そしてこれを年代別にまとめてみます。下表は昭和以前と近い基準で集計したものとなりますが、平成年間でも極端に増加した訳ではなく、若干活発になっている程度だという見方ができるかと思います。

年代烈震地震名
1990年代4回兵庫県南部地震ほか
2000年代6回十勝沖地震ほか
2010年代4回東北地方太平洋沖地震ほか

基準を揃えて比較をすること、そしてどういった感覚で「最大震度6(烈震)」の地震が捉えられてきたかを振り返ることは、過去の地震と比較する上でも軽視すべきでない観点かと思いますので、皆さんにもぜひ共有していきたいなと思っています。

【令和】気象官署で「震度6(烈震)」を観測した事例

熊本地震以来約8年ぶりに烈震を気象官署で観測したのが、2024年の「能登半島地震」でした。石川県以外でも広範囲で強い揺れを観測することとなりました。

発生日地震名気象官署烈震地
2024/01/01能登半島地震7.6輪島

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