【はじめに】
この記事では、私(Rx)の独自指標である「旧震度」について、改めてまとめてみました。様々な派生記事の前提としてご参照いただくことを想定しています。
ウィキペディアで振り返る昭和の震度観測網
「旧震度」を説明する前に、20世紀の実際の「震度観測網」について、ウィキペディアを引用します。
歴史
気象庁の資料では1904年時点で気象官署と民間委託(区内観測所等)の観測点併せて1,437か所あって、その後昭和30年代(1955 – 1964年ごろ)までこの数が維持されていたという。
さらにその後、1,000か所以上あった震度観測点は、1958年から1969年にかけて行われた委託観測所の整理・廃止により大幅に減少し、150か所余りの気象官署のみとなった。
これに対して、震度観測点の不足、観測員の主観による精度不足、震度5以上の被害のばらつきなどの問題点、震度発表の迅速化などの課題が浮上したことで、無人観測可能な計器による震度観測が検討されるようになり、1985年には気象庁内に震度の計測化を検討する委員会が発足した。1988年には同委員会の報告に基づいて震度計による計器観測を試験的に開始、1994年3月末までに観測点すべてに震度計を設置した。
気象庁震度階級
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(以下同)
観測所の配置密度と最大震度
上記にある通り1996年に気象庁の発表地点である震度観測点が大幅に増加したことにより観測所の配置密度は飛躍的に高くなり、震源の近くで大きな震度が観測される可能性が高くなった。
例えば1984年の大きな被害がありながら最大震度4とされている長野県西部地震、および1946年の巨大地震でありながら最大震度5とされている昭和南海地震のように、1995年以前では大きな地震でも震源の近くに観測点がなければ最大震度は小さくなっていた。
観測点が増えて以降は地震の規模が以前と同程度であっても最大震度がより大きく出る傾向にあり、震度6弱などの大きな震度がより頻繁に報告されるようになっている。
このことについては、過去の記事でも触れていますので合わせてご確認ください。(↑・↓)
ここから「旧震度」を考案するに至る研究に関する記述に移っていきます。要点の部分に絞って引用。
震度観測点の増加により、より震源に近い位置での震度観測が可能になり、このことによる最大震度の変化を検討するため気象庁は全観測点で観測した計測震度の最大値と、気象官署で観測した計測震度の比較検討を行っている。以下はその実例である。
マグニチュードの小さい地震では震度6弱以上の範囲は狭くなり、それでも観測点が多ければ震度6弱の範囲に観測点がかかることになるが、少ない場合は観測点につかまらず最大震度が低くなる可能性が高くなる。
1995年以前は最大震度6の地震と言えば、マグニチュードの意味でも確実に「大地震」であったが、1996年以降ではごく浅い小地震の場合でも震度5や震度6が報告されやすくなっており、「最大震度6の地震」を1995年以前と同列に扱うことは適当では無い。
「阪神・淡路大震災以降、地震が増えたような感じがする」と言う声も聞かれたが、これは地震が増えたためではなく震度の報告が増えたためである。
上の表は、今の観測網だと「震度6や7」になった21世紀の地震が、昔の観測網だと「震度4~6強」になっていたであろうという具体例です。また、下の地図は、ほぼ同じような地震でも、震度観測網が違うだけで、単純比較が難しくなっていることを直感的に感じられると思います。
(↓)下のPDFに、2000年代中盤の事例が図示されていますので、興味ある方はぜひご参照を。
^ 第1章 計測震度と被害等との関係について, 震度に関する検討会 (PDF) ,(参考III)震度観測点の数と震度の観測について, pp34-40, 気象庁
震度と防災行動
一方で、特に市民の間での認識として、震度計の設置箇所の増加がもたらす震度の「重み」の変化を知る必要がある、と指摘されている。
上記のように計測震度計の設置以前(1995年ごろまで)は観測点が日本全国約160か所の気象官署に限られていたが、現在は約25倍の4,400か所に増えた。震度計の密度が高くなったことで、震度計が無い地点でしか揺れを感じないような小さな地震の「観測漏れ」が少なくなり、大きな地震でもこれまで漏れていた大きな震度が観測できるようになった。
これにより、以前は震度4だった地震が現在は震度5 – 6とされたり、震度1とされたり観測されなかったような地震でも震度3 – 4とされる場合があると考えられる。
そのため現在は、以前よりも震度の「重み」が軽くなり、その分地震の報告数も格段に増え、各地震の震度も大きくなったことになる。このため、安易に「近年地震が増えている」と考えるのは誤りである(地震の時間変化を考えるならばマグニチュードを見るほうが定量的である)。
注意が必要な報道のされ方の例
しかし、雑な説明・定義づけによる「誤解」というか、雑な拡散はいつまで経っても後を絶ちません。具体例を一つだけ挙げます。2018年に「大阪府北部」で発生した最大震度6弱の地震です。
地震当日に時事通信などマスメディア各社は「気象庁が1923年(大正12年)に観測を開始して以来、大阪府で震度6弱以上の揺れを観測したのは初めて」と報道した。
しかし、この間に震度の観測法や観測点の密度は大きく変わっており、過去の地震で観測された震度などの情報と本地震を単純に比較することはできない。
大阪府北部地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
気象庁も記者会見で、不必要な誤解を招かないような表現に徹する姿勢は見せましたし、メディアも基本的には「誤報」とならないように確認を取った上で記事を書こうとはしましたが、結果的に『センセーショナルな見出し』や『切り抜き方』がバズってしまったことは注意が必要です。
- 大阪府内を震源とする地震で「震度5弱」以上を観測したのは初めて
- 大阪府内で「震度6弱以上」を観測するのは初めて
というのは、震度観測網や震度階級の改訂を殆ど無視して、「震度データベース検索」の出力結果を、何の精査もせずにそのまま文字にするのと同じです。
「阪神・淡路大震災」の当時に、今と同じ震度観測網が整備されていたならば「震度6弱以上」は観測していたでしょうし、1936年に震度5を観測した「河内大和地震」の震源は、奈良県と大阪府のほぼ境目付近でした。せめてこういう背景を丁寧に説明した上で記事を書いたり解説するならば良いですが、十分な説明をしていないケースでは『見出し』や『リード文』のセンセーショナルな部分だけがネット上で独り歩きしてしまう恐れがあるのです。皆さんもどうぞご注意ください。
【逆転の発想】今の震度データを敢えて減らして比較する!
大阪府北部地震でもそうですが、弁護するかのように、「今と昔で震度が違うのだから、比較なんて出来ない」という論が広く聞かれました。確かに一理あります。
今の方が昔より観測点が10倍以上になってるんだから、最大震度で単純比較するのはナンセンスです。それに、上の地図で示したようにほぼ同じ震源・規模の地震でも、観測点が急増したことで一目での単純比較が困難になってしまっています。情報(ある意味“ノイズ”)が増えすぎてしまっているのです。
そうした感想を見ているうちに、世間は「昔の地震を今の基準に当てはめ」ようとしているからうまく行っていないのでは? と考えるようになりました。少ない点的な情報から面的に推定値を広げるのはどう考えても大変です。精度も低いものとなりそうで実用化が困難なのは目に見えています。
そこで私は、「敢えて情報を減らして比較する」という作戦がこういうケースでは活きるのではないかと考えました。『押してダメなら引いてみな』ではないですが、発想を【逆】にしてみたのです。
(※これ、他の事象にも応用できることかと思うのですが、実在しないデータを推定して補うよりも、実在するデータを減らす方が遥かに手間は少ないというのは、やってみればすぐ分かると思います。)
(例1)1995年「阪神・淡路大震災」と2018年「大阪府北部地震」
先ほど誤解を招きうる事例として紹介した、1995年の「兵庫県南部地震」と2018年の「大阪府北部地震」の「旧震度」を比較してみましょう。
比較対象としているのは、下の記事にも纏めてある(かつての)「気象官署」です。体感で人が震度を図っていた昭和の時代に、各都道府県に1~数地点 設けられていた気象台や測候所などのことです。
観測点 (最大) | 1995 (7) | 比較 | 2018 (6弱) |
---|---|---|---|
彦根 | 5 | ▲1 | 4 |
舞鶴 | 4 | ▲1 | 3 |
京都 | 5 | ▲1 | 4 |
大阪 | 4 | ±0 | 4 |
豊岡 | 5 | ▲2 | 3 |
神戸 | 6 | ▲2 | 4 |
姫路 | 4 | ▲2 | 2 |
洲本 | 6 | ▲2 | 4 |
奈良 | 4 | ±0 | 4 |
和歌山 | 4 | ▲2 | 2 |
潮岬 | 3 | ▲2 | 1 |
マグニチュードが1以上違うので当然規模は「兵庫県南部地震」の方が遥かに大きいです。それに伴って、大阪・奈良(県庁所在都市にある観測点)以外は全て「1~2階級」震度が小さくなっています。
2018年の事例で震央に近かった大阪府北東部~京都府南部に限っては別かも知れませんが、同じ大阪府北部でも京阪神地方(兵庫県境付近)では、1995年の方が揺れが大きかったと思われます。
大阪府内を代表する震度観測点として明治時代から観測歴のある「大阪管区気象台(中央区大手町)」では、一応どちらも「震度4」(細かい違いは今回は割愛)に分類される訳ですが、2018年の事例では『さも今回の方が重大』みたいな風な報じられ方をした点が少し気になりました。
(例2)1978年の「宮城県沖地震」と2005年の「宮城県沖地震」
こちらの図に再登場して貰いましょう。1978・2005年の「宮城県沖地震」の震度分布のグラフです。
どちらの方が揺れが大きかったのか。画像にある通り、規模は左の方が大きいですが、最大震度を単純比較すると「5と6弱」で右の地震の方が大きいように見えます。実際どうなのか、独自指標である「旧震度」で比較してみましょう。こちらです。
観測点 (最大) | 1978 (5) | 比較 | 2005 (6弱) |
---|---|---|---|
八戸 | 4 | ▲1 | 3 |
盛岡 | 4 | 4 | |
宮古 | 4 | 4 | |
大船渡 | 5 | ▲1 | 4 |
石巻 | 5 | 5弱 | |
仙台 | 5 | 5弱 | |
福島 | 5 | ▲1 | 4 |
白河 | 4 | 4 | |
小名浜 | 4 | 4 | |
水戸 | 4 | 4 | |
千葉 | 4 | ▲1 | 3 |
東京 | 4 | ▲1 | 3 |
横浜 | 4 | ▲1 | 3 |
震度階級の差はありますが、ほぼ同じか1ランク差となっています。宮城県内の2地点(石巻・仙台)はどちらも震度5クラスで変わりありません。しかしその他の地点を見ると、震源から少し離れた地点では、2005年の方が1ランク下がる傾向が見られます。1978年より震度が上な地点はこの表にはありません。
上に示した地図だとどちらが強い揺れだったか比較するのは困難(パッと見では分からない)ですが、旧震度の表で比較してみると、1978年の地震の方が揺れが大きかったことが推定できるのです。
☆「旧震度」|Rxと学ぶブログ
本ブログでは、こういう観点で集計したデータを「旧震度」というジャンルで分類して日々記事を更新していますので、ぜひ興味ある方は時々訪れて頂ければと思います!(↑)
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