競馬歳時記【5月3週】「京都ハイジャンプ」(春の京都の障害重賞)

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は、「京都ハイジャンプ→(春の京都の障害重賞)の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

通常であれば、特定の重賞に限定してご紹介する「競馬歳時記」ですが、今回のレースは時代によって紆余曲折があったので、特別に「春の京都の障害重賞」という括りで時代ごとに紹介していきます。

この記事を読めば、京都の障害重賞の歴史が分かりますので、ぜひ最後までお読みください。それではよろしくお願いします!

1953~1998年:京都大障害(春)

今の重賞形態における前身となるのが、年に2回行われていた「京都大障害の春開催分でしょう。

京都大障害(きょうとだいしょうがい)とは京都競馬場で1953年から1998年まで行われた障害の重賞競走である。

関西で戦後初めての障害重賞として1953年に創設され大障害コースのとび上り、とび下り台(バンケット)が名物となっていた。非常に出走頭数が少ない競走であり、約半数の競走が6頭以下で行われた。

京都大障害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関東では、戦前から「中山大障害」が春・秋2回に開催されていて、(有馬記念が創設されるまでは)中山競馬にとって(戦後移ってきた)皐月賞と並ぶ看板レースでした。歴史的にみても、『大障害』という競走名だったのは、東の「中山」と西の「京都」だけ(代替開催等を除く)ですので、その段階でこのレースが格上だったことが分かります。

  • 1953春~1961秋:3100m
  • 1962春~1971春:3300m
  • 1971秋~1979春:3260m
  • 1979秋~1993秋:3270m
  • 1994春~1998秋:3930m

距離も、中山大障害より1,000m近く短かったものの、今よりも多く「大障害」コースの障害が設けられていたこともあり、『大障害』と呼ぶに相応しい難易度を保ってきました。

1993年以前は3コーナーと正面スタンド前にそれぞれ大障害コースがあり3コーナーに大土塁(11号障害)、大竹柵(12号障害)、正面スタンド前に大生垣(8号障害)、大水濠(9号障害)、とび上り、とび下り台(10号障害)の5つの大障害があったが
1994年の第83回競走からは正面スタンド前の大障害コースが廃止されたことに伴い、大障害コースの障害数が5→2に削減され同時に距離が3270mから3930mに延長された。
3コーナーに大土塁(8号障害)、とび上り、とび下り台(9号障害)が置かれ大竹柵、大生垣、大水濠は廃止された。それぞれの障害の規模は大土塁高さ1.5m幅2.8m、大竹柵高さ1.4m幅1.6m、大生垣高さ1.6m幅2.7m、大水濠幅3.85mとび上り、とび下り台高さ0.8m、幅15m。

京都大障害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京都大障害の宿命ともいえる課題は、「出走頭数」の少なさにあり、1959年まで春・秋を通じて、最多でも6頭という有様。1962年春には3頭立てとなり、1966年春まで2桁頭数になったことがありませんでした。この傾向は、『大障害』時代を通じて解消されることはありませんでした。

「京都大障害(春)」の主な結果
  • 1953春
    ハクオー

    73kgでの勝利や、京都大障害(春→秋)連覇を達成するハクオーが初代王者に

  • 1958春
    ニユーヨーク

    牝馬同士のハナ差での決着。同年の中山大障害を春・秋連覇するケニイモアに、中山大障害直前に4戦して3勝1敗

  • 1964春
    タカライジン

    64kgを背負うも大差勝ち。前年、同年の秋も制して、史上初の3連覇達成

  • 1965春
    クロユリ

    臨時開催の「阪神大障害」(阪神芝3870m)として施行

  • 1972春
    インターヒカリ

    史上2度目の3頭立て、秋からの連覇をレコード大差勝ちで達成

  • 1976春
    マルブツウィドー

    4連覇を目指したグランドマーチスは67kgを背負い、レース中の骨折で9着大敗し現役を引退

  • 1978春
    ファンドリナイロ

    春に限定すると前年に続いての連覇。65kgを背負い5馬身差

  • 1989春
    エリモターン

    11頭立て最低人気(単勝51.3倍)のエリモターンが優勝(唯一の2桁人気勝利)

  • 1998春
    ゴッドスピード

    本年をもって「京都大障害」としては最後の開催。日本ダービー出走の1年後に4連勝で同レースを制覇。実に3.0秒差の大差勝ち

1999~2008年:京都ジャンプステークス【J・GIII】

「中山グランドジャンプ」の項にも書きましたが、1999年、障害の重賞路線にも大変革が訪れます。「中山大障害」と同様、レース名の西洋化とジャンプ・グレード(JG)が導入されたのです。

京都ジャンプステークス(きょうとジャンプステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(J・GIII)である。

1999年に創設された、障害の重賞競走。高さ80cm、幅約15mのバンケット障害を使用し、遠近感に乏しい馬だけでなく、騎手にとっても難度の高い障害となっている。

・1999年 – 5歳以上の馬による重賞として創設、京都競馬場の障害芝3170mで施行
・2009年 – 開催時期を5月から11月に変更かつ、出走条件を「3歳以上」に変更。

京都ジャンプステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ややこしいのが、「1999年から2008年まで」と「2009年以降」で、春と秋の重賞の開催時期が逆転をしてしまったために、単純な接続ができなくなってしまっているのです。

そこで今回は上述のとおり、「京都で春に開催される障害重賞」という切り口でお届けしています。

( 同上 )

第1回にして、13頭中3頭が落馬をして、そのうち2頭が1・2番人気という波乱の展開。5番人気のトキオワイルドが優勝を果たして始まりました。

2003年にウインマーベラス(半年あまり後に開催された中山大障害で2着)、2006年にスプリングゲント(長期休養明けて2009年に中山GJを制覇)、2007年にキングジョイ(翌年から中山大障害を連覇)が同レースを制した後に活躍しています。

どちらかというと、距離の短いJ・GIIIということで、実績の浅い軽斤量馬が活躍する印象の強いレースだったかも知れません。

2009年~:京都ハイジャンプ

・2009年 – 開催時期を11月から5月に変更したことに伴い、出走条件を「4歳以上」に変更
・2021年 – 京都競馬場の整備工事に伴い、中京競馬場の障害芝3900mで施行(2022年も同様)

京都ハイジャンプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年には、それまで秋に開催されてきた「京都ハイジャンプ」と開催時期を逆転させる形となりました。このため、現在春に開催されている「京都ハイジャンプ」の前身を辿ると「京都大障害(秋)」となってしまうのです。普通に考えると、流石に形式的過ぎますよね(苦笑)

結果的に、2008年5月の「京都ジャンプステークス」と、2009年5月の「京都ハイジャンプ」という2つの重賞を跨いで実質的に連覇したテイエムトッパズレは、こうした時空の歪みのアオリを受けてしまった損の存在かも知れません。

また、2015年には10歳になったルールプロスパーが連覇を達成、2着には11歳馬のマサライトが入るという予想外の結果となったほか、2020年には1番人気のスプリングボックスが落馬するといったエピソードがありました。

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