競馬歳時記【1月2週】「シンザン記念」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「シンザン記念」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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シンザン記念(シンザンきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GIII)である。

シンザン記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

昭和時代:シンザン引退式の翌年に創設

競走名の「シンザン」は1964年に日本競馬史上2頭目の三冠皐月賞東京優駿菊花賞)制覇を達成、翌年も天皇賞(秋)有馬記念を優勝し「五冠馬」と呼ばれている。
1984年に顕彰馬に選出されたことを称え、京都競馬場には銅像が建立されている。

( 同上 )

1965年の年末にシンザンが5冠馬を達成し、その翌月前半に東西で引退式が行われました。地元・関西の京都競馬場で引退式が行われたのは1966年1月16日のことだったといいます。

その年のうちに「シンザン記念」の創設が決まり、シンザンの引退式からちょうど1年後(当時は祝日「成人の日」当日)に該当する1967年1月15日(日・祝)に第1回が開催されることとなりました。

本競走の創設にあたり、中京馬主協会はシンザンの馬主であった橋元幸吉が所属していたこともあり中京競馬場での施行を希望していたが、日本中央競馬会は京都競馬場で施行することを決め、代わりに中京大賞典が創設された。

( 同上 )

初回から第4回までは『成人の日』当日(平日開催を含む)に開催され、その後は1月の中頃に開催をされることとなりました。当時から明け現3歳馬の関西の名物重賞となっていきます。

第1回1967年1月15日タイギヨウ牡31:39.0
第2回1968年1月15日ヒカリオー牡31:41.0
第3回1969年1月15日ファインハピー牝31:38.8
第4回1970年1月15日ハイプリンス牡31:36.9
第5回1971年1月24日フイドール牡31:42.3
第6回1972年1月23日シンモエダケ牝31:38.5
第7回1973年1月14日ディクタボーイ牡31:38.8
第8回1974年1月13日ナニワライト牡31:37.0
第9回1975年1月12日エリモジョージ牡31:38.4
第10回1976年1月11日バンブトンシェード牡31:39.3

第2回にはタニノハローモア、マーチスが敗れ、第5回もヒカルイマイやニホンピロムーテーといったクラシック級の馬が大敗しているなど、必ずしも後の強豪がこのレースを勝てた訳ではなかったですが、それでもクラシックを見据える新年のレースとして華やかさはありました。

シンザンの血を持つ馬は、初年度産駒のシンザンホマレ(4着)や、1971年のシングン(2着)、2015年のレンイングランド(5着)らが出走したが、これまでに勝利した馬はいない。

( 同上 )

シンザンの血を持つ馬が勝てていないことに加えて、昭和時代はなかなかシンザンの名に相応しい馬を牡馬から輩出することは出来ませんでしたが、むしろ第3回を牝馬がワンツーした年の2着に入った【トウメイ】が名牝として名を馳せた様に、(妙に)牝馬と縁があるレースでもありました。

昭和50年代以降は、後のクラシックホース自体が出走しなくなる中で、メジロモンスニーフレッシュボイスといったマイル~中距離路線で活躍する馬を1980年代に輩出するG3となっていきました。

平成時代:牝馬三冠馬を2頭輩出

平成年間に入ると、「阪神3歳牝馬S(現・阪神JF)」が創設され、牝馬にも年末に堂々と戦えるG1が整備されます。しかし、そこで華やかな成績を残せなかった馬であっても、むしろ牡馬相手に新年からこの重賞「シンザン記念」に挑み、桜花賞以降の有力候補となっていった馬は誕生していきました。1990年代の外国産馬がクラシックに出走できなかった時代にも、

第30回1996年1月14日京都1600mゼネラリスト牡31:34.5
第31回1997年1月15日京都1600mシーキングザパール牝31:34.6
第32回1998年1月18日京都1600mダンツシリウス牝31:36.8
第33回1999年1月17日京都1600mフサイチエアデール牝31:34.6

ゼネラリスト、シーキングザパールと外国産馬が強さを見せ、更にシーキングザパールからフサイチエアデールまでは牝馬が3連勝しています。また、出走馬を見ると、クラシックディスタンスよりもやはりマイル付近で活躍した馬が目立っているのも、当時のレーシングカレンダーの特徴が一因でしょう。

第36回2002年1月14日タニノギムレット牡31:34.8武豊
第37回2003年1月12日サイレントディール牡31:34.8武豊
第38回2004年1月12日グレイトジャーニー牡31:35.4武豊
第39回2005年1月10日ペールギュント牡31:35.7武豊

2001年に14番人気の【ダービーレグノ】が大波乱を起こした翌年からは、武豊騎手が4連覇を果たしています。特に2002年の【タニノギムレット】はシンザン記念初の日本ダービー馬の輩出でした。

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そしてここ10年の印象として、牝馬3冠馬を2頭輩出した事が印象的です。2012年の【ジェンティルドンナ】が未勝利勝ちの状態からトウケイヘイロー以下、牡馬を圧倒し、国内外でG1を7勝しました。

第46回2012年1月8日ジェンティルドンナ牝31:34.3C.ルメール
第47回2013年1月6日エーシントップ牡31:34.3浜中俊
第48回2014年1月12日ミッキーアイル牡31:33.8浜中俊
第49回2015年1月11日グァンチャーレ牡31:34.8武豊
第50回2016年1月10日ロジクライ牡31:34.1浜中俊
第51回2017年1月8日キョウヘイ牡31:37.6高倉稜
第52回2018年1月8日アーモンドアイ牝31:37.1戸崎圭太

そして、2018年の【アーモンドアイ】は、こちらも未勝利戦を勝っただけで2歳時を終え、そこから年明けの「シンザン記念」に照準を絞り、ここを勝って『三冠すらも通過点』となる生涯を遂げました。

シンザン記念が長らく果たせなかった『三冠馬の輩出』を2010年代に2頭達成し、ようやく『登竜門』的な評価をしてもらえるようになりましたが、牡馬でのクラシックホースは【タニノギムレット】などに限られる点は、冷静に見定める必要があるでしょう。

令和時代:馬主の要望だった中京開催が実現

本競走の創設にあたり、中京馬主協会はシンザンの馬主であった橋元幸吉が所属していたこともあり中京競馬場での施行を希望していたが、日本中央競馬会は京都競馬場で施行することを決め、代わりに中京大賞典が創設された。

  • 2021年 – 京都競馬場の整備工事に伴い、中京競馬場で施行。このため、出走可能頭数が16頭に変更される(2022年・2023年も同様)。
シンザン記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2016年のレースレーティングを併記しますと、【アーモンドアイ】が勝った2018年は110.00、そして【ピクシーナイト】が勝った2021年は112.50となっています。これらの年に関しては、「G2の目安:110ポンド」に達していますが、その他の年は基本的に標準的なG3といった108ポンド前後です。

第50回2016年1月10日京都108.00ロジクライ牡31:34.1
第51回2017年1月8日京都108.50キョウヘイ牡31:37.6
第52回2018年1月8日京都110.00アーモンドアイ牝31:37.1
第53回2019年1月6日京都106.75ヴァルディゼール牡31:35.7
第54回2020年1月12日京都108.25サンクテュエール牝31:35.9
第55回2021年1月10日中京112.50ピクシーナイト牡31:33.3
第56回2022年1月9日中京マテンロウオリオン牡31:34.1

次なる名馬の誕生は牡馬か牝馬か。いずれにしても戦後初の三冠馬とされる「シンザン」の名を関した重賞から、年始にあたって、新たな名馬が誕生することを期待してまいりましょう。

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