競馬歳時記【11月3週】「マイルCS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「マイルチャンピオンシップ」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

マイルチャンピオンシップは、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。1984年に新設されたGI競走で、春に行われる安田記念とともにマイル(1600m)のチャンピオン決定戦として位置づけられている。

マイルチャンピオンシップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本競馬におけるマイル競走の歴史

日本の近代競馬はイギリスなどヨーロッパを範とし続けたため、競馬の距離は長らく「ヤード・ポンド法」が使われました。そのため、1マイル(≒1609m)やハロンを基準に条件が設定されていました。横浜などの居留地競馬の断片的なデータだけでも、明治改元の年ぐらいまでには1マイルの競走が開催をされていたとみられます。

この時期のヨーロッパの名馬【グラディアトゥール】の戦績をみても、英2000ギニーが1マイルで開催されましたが、それ以降は現代でいう長距離なレースばかり。『ヒートレース』のような古典的な4~6マイルといった距離ではないものの、古馬の主流は長距離という時代の中で、1マイルは非常に短いものと見られていました。

時代が少し下って明治後半に「帝室御賞典」が定期的に開催されるようになった頃には、横浜(根岸)競馬場で開催される御賞典は、現在の短距離(6ハロン)から中長距離(1マイル1/2)の間で催されていて、時々1マイルでも開催されていました。そして帝室御賞典が各地で開催されるようになって、

  • 根岸:第1回(1905春)~26回(1917秋)
  • 東京:第1回(1906秋)~19回(1916春)
  • 阪神:第2回(1911春)~26回(1923春)

と、明治の終わりから大正時代まで「1マイル」で開催された時期がありました。「1マイル」はある意味“下限”といった意味合いがあり、それが大正時代に「1 1/8マイル(≒1800m)」に若干延長された形になります。今で言う「毎日王冠」などに値する汎用性の高い距離です。

一方、現在の天皇賞の前身の一つである「優勝内国産馬連合競走(連合二哩)」は、その愛称のとおり創設時から一貫して2マイルで開催されていて、国内の長距離の代表格でした。軍馬育成等の観点から「長距離」に耐えうる強靭な馬を育てるにあたって、中距離の帝室御賞典と長距離の連合二哩を勝てる馬は非常に評価が高かったと聞きます。

現代でも菊花賞・天皇賞(春)を勝てる馬がマイルで活躍できているかといえば微妙で、むしろクラシックに照準を絞る馬はデビューから中距離に出走するケースも多いので、当時の2大競走の距離が明確に分かれ、その両方を制する馬が重用されたのは現代にもある種、通じる部分があるかと思います。

そして、大正時代の後半に「帝室御賞典」が1800m以上に揃えられると、それから半世紀近く、マイルの大レースは今の中央競馬から一旦姿を消すことになります。クラシック路線の整備されるにあたっても、本国イギリスでマイルで開催される「1000ギニー」や「2000ギニー」も、戦前の日本では1800m級で開催をされるなど「1マイル」の大レースに抵抗感があったようにも見えます。

戦後に入って1947年に「桜花賞」がマイルで開催されるようになります。ほぼ四半世紀ぶりに国内の大レースで1マイル競走が戻ってきたといえるかも知れません。その後も「大レースは中長距離」という基本軸は四半世紀以上変わりませんでしたが、そんな中でも、

レース名初年度条件備考
桜花賞1947年3歳牝馬
安田賞1951年古馬現・安田記念
スプリングS1955年3歳
神戸杯1955年3歳現・神戸新聞杯
東京牝馬特別1955年古馬牝馬現・府中牝馬S
スプリングH1956年古馬現・京王杯SC
オータムH1956年古馬現・京成杯AH
京成杯1961年3歳
朝日盃3歳S1962年2歳現・朝日杯FS
阪神3歳S1962年2歳現・阪神JF
東京記念1963年3歳現・弥生賞
デイリー杯3歳S1966年2歳
シンザン記念1967年3歳
京都牝馬特別1968年古馬牝馬現・京都牝馬S
東京4歳S1969年3歳現・共同通信杯
マイラーズC1970年古馬
スワンS1971年古馬距離短縮
クイーンC1971年3歳牝馬距離短縮
阪急杯1972年古馬距離短縮
カブトヤマ記念1974年3歳距離短縮
関屋記念1976年古馬距離短縮
太字は現在もマイル戦として開催されている重賞競走

1940年代から1970年代にマイルで施行(短期間での変更は除く)された重賞をリストアップしてみました。こうして1940年代は国内に1つしかなかったマイル重賞が、どんどんと増加していったのです。

G1「マイルチャンピオンシップ」時代

1980年代:秋のマイルG1として創設(いきなり連覇)

本競走の創設にあたっては、当初マイラーズカップを秋季に移設のうえ格上げとする予定がJRAから馬主サイドへ示されていたが、直前になって新設する方針に変わった。

  • 1984年 – 4歳以上の馬によるGI競走として新設。

1984年にグレード制が導入され、短距離~マイル路線が大幅に拡充される変革がありました。その中の一つの目玉が「安田記念」のG1昇格と「マイルCS」の創設による春秋マイルG1路線の整備でした。

回数施行日優勝馬性齢タイム
第1回1984年11月18日ニホンピロウイナー牡41:35.3
第2回1985年11月17日ニホンピロウイナー牡51:35.3
第3回1986年11月16日タカラスチール牝41:35.3
第4回1987年11月22日ニッポーテイオー牡41:34.9
第5回1988年11月20日サッカーボーイ牡31:35.3
第6回1989年11月19日オグリキャップ牡41:34.6

開催場は、当時から11月第3週の京都競馬場でした。そして初回から「連覇」を達成する強豪マイラーが登場します。言わずと知れた【ニホンピロウイナー】です。

第3回はハナ差敗れたニッポーテイオーが第4回に5馬身差圧勝するリベンジを果たしていましたし、第5回は4馬身差で【サッカーボーイ】が圧勝、そして第6回はバンブーメモリーにハナ差勝利した【オグリキャップ】が、連闘のジャパンCでも2着に健闘したことは今でも語り草となっています。

1990年代:年末のスプリンターズSの前に連覇2頭

1990年には、年末にG1に昇格させた「スプリンターズS」が行われ、「マイルCS」の翌月に「スプリンターズS」が開催されるようになります。1分33秒台から32秒台に至る時期です。

第7回1990年11月18日パッシングショット牝51:33.6
第8回1991年11月17日ダイタクヘリオス牡41:34.8
第9回1992年11月22日ダイタクヘリオス牡51:33.3
第10回1993年11月21日シンコウラブリイ牝41:35.7
第11回1994年11月20日ノースフライト牝41:33.0
第12回1995年11月19日トロットサンダー牡61:33.7
第13回1996年11月17日ジェニュイン牡41:33.8
第14回1997年11月16日タイキシャトル牡31:33.3
第15回1998年11月22日タイキシャトル牡41:33.3
第16回1999年11月21日エアジハード牡41:32.8

1990年は連覇を目指すバンブーメモリーを下したパッシングショットが10番人気と人気薄でしたが、それ以降は人気サイドが勝ちました。名だたるマイラーが名を連ねていて、その中でも1991~92年の【ダイタクヘリオス】や1997~98年の【タイキシャトル】は連覇に相応しい実力の持ち主でした。

現3歳時のタイキシャトルが優勝した年は、同い年のキョウエイマーチが1000mの驚異的なラップから『粘る粘る』の2着に健闘し、古馬を置き去りにしたことでも印象的です。

2000年代:デュランダル、ダイワメジャーが連覇

2000年代初頭は波乱が多くて、ダートで活躍していた【アグネスデジタル】は13番人気、2002年の【トウカイポイント】は11番人気が優勝。しかし勝ちタイムは当時としては早い1分32秒台でした。

第17回2000年11月19日アグネスデジタル牡31:32.6
第18回2001年11月18日ゼンノエルシド牡41:33.2
第19回2002年11月17日トウカイポイント騸61:32.8
第20回2003年11月23日デュランダル牡41:33.3
第21回2004年11月21日デュランダル牡51:33.0
第22回2005年11月20日ハットトリック牡41:32.1
第23回2006年11月19日ダイワメジャー牡51:32.7
第24回2007年11月18日ダイワメジャー牡61:32.7
第25回2008年11月23日ブルーメンブラット牝51:32.6
第26回2009年11月22日カンパニー牡81:33.2

2003年にはファインモーションを抑えて【デュランダル】が優勝すると翌年にはダンスインザムードを下して連覇を達成。そして1年挟んで、2006年には再びダンスインザムードが2着と敗れる中で【ダイワメジャー】が優勝し、翌年にかけて連覇を達成します。

気づくと21世紀に入ると3歳馬が勝てなくなり、2001年から2016年まで3歳馬の優勝がない時期がありました。

2010年代:1番人気未勝利、3歳馬が連勝

2010年代に入ると1番人気が勝てず、2017~18年という平成の終わりには3歳馬が連勝するなど傾向が少し変わったようにも見えました。勝ち馬の中では【モーリス】は世界的に活躍をしますが、この頃になると、2000mが保つ馬は「天皇賞(秋)」に挑んだり、国内をスキップして「香港マイル」に挑むケースも増えるなど、『マイルCS』が狭間のG1となっていってしまいます。

第27回2010年11月21日エーシンフォワード牡51:31.8
第28回2011年11月20日エイシンアポロン牡41:33.9
第29回2012年11月18日サダムパテック牡41:32.9
第30回2013年11月17日トーセンラー牡51:32.4
第31回2014年11月23日ダノンシャーク牡61:31.5
第32回2015年11月22日モーリス牡41:32.8
第33回2016年11月20日ミッキーアイル牡51:33.1
第34回2017年11月19日ペルシアンナイト牡31:33.8
第35回2018年11月18日ステルヴィオ牡31:33.3
第36回2019年11月17日インディチャンプ牡41:33.0

2020年代:グランアレグリアが牝馬で初の連覇

牡馬が圧倒的に有利だった「マイルCS」で、牝馬として史上初の連覇を達成したのが2020~21年の【グランアレグリア】です。2000mに挑む姿勢を見せることもあった同馬ですが、マイル以下ではやはり牡馬相手にも強さを見せつけました。

2016年11月20日京都116.50ミッキーアイル牡51:33.1
2017年11月19日京都116.75ペルシアンナイト牡31:33.8
2018年11月18日京都117.25ステルヴィオ牡31:33.3
2019年11月17日京都117.50インディチャンプ牡41:33.0
2020年11月22日阪神119.50グランアレグリア牝41:32.0
2021年11月21日阪神119.75グランアレグリア牝51:32.6

グランアレグリアが2000mでも活躍したことも影響してか、2020~21年のレースレーティングは120ポンド目前の119ポンド台後半となりました。これは国内のマイル重賞として最高級の高レートです。

そして、賞金が倍近くと差がついている「香港マイル」ですが、アメリカのBCマイルなど秋の国際的なマイルG1と比較しても、2020・21年はそれと伍するレーティングだったことが下表から分かります。

アメリカ
BCマイル
日本
マイルCS
香港
香港マイル
2016120.00116.50118.25
2017118.25116.75117.00
2018117.25117.25119.25
2019118.50117.50119.75
2020118.25119.50119.50
2021116.25119.75119.50

ただ、ここ2年はグランアレグリアという存在に引っ張られた部分も否めず、香港マイルが安定的に119ポンド台を叩き出していることをみると、なかなか日本馬の香港への遠征も止まらない中で、海外馬が来日することも期待できないかも知れません。

そうした中で2022年は【ソダシ】をはじめ、国内一線級のマイラーが名を連ね、「マイルチャンピオンシップ」という名に相応しい国際最強マイラー決定戦の様相を呈しました。果たしてどの馬が勝つのでしょうか、楽しみです。

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