【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「岸洋子」さんです。
岸 洋子(1934年5月23日 – 1992年12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。山形県酒田市出身。
岸洋子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下略 )
ウィキペディアにみる「岸洋子」さんについて
人物
1934年5月23日、山形県酒田市生まれ。姉に連れられて行ったボーカルスタジオで音楽と出会い、小学5年より加藤千恵に師事した。その後は東京芸術大学に進み、オペラ歌手を目指していたが、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動してシャンソンに転向した。
日本のシャンソン界において越路吹雪と人気を分け、「魅せる越路、聴かせる岸」と評価されていた。
「夜明けのうた」「恋心」「希望」など、ヒットを連発する中、1970年9月下旬に膠原病を発症する。後遺症と闘いながらも歌手活動を続けていたが、1992年12月11日、57歳で死去した。
没後に故郷の酒田市にて「岸さんの楽曲を歌い継ぎ、その功績を多くの人に知ってもらいたい」として『岸洋子を歌いつぐ会』が結成され、活動が続けられている。
略歴
- 1958年:東京藝術大学大学院声楽専攻科修了、二期会研究生となる。
- 1961年:シャンソン歌手としてキングレコードと契約。
- 1962年:『たわむれないで』でレコード・デビュー。
- 1964年:『夜明けのうた』で第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
- 1970年:9月末、故郷・酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。膠原病と診断され、闘病生活を余儀なくされる。同年暮れ、「希望」で第12回日本レコード大賞歌唱賞を受賞するも、入院中のため授賞式には出席できず、電話対応となった。さらに『第21回NHK紅白歌合戦』への出場も辞退した。
- 1971年:膠原病を一時克服、退院して再起する。「希望」が同年3月開幕の「第43回選抜高校野球大会」の入場行進曲に採用される。
- 1983年:自叙伝『さくらんぼの楽譜』を出版。
- 1992年:11月19日、自宅玄関で転倒し肋骨を骨折損傷。同時に膠原病の後遺症悪化による腎臓病治療のため再入院。入院中も年末のディナーショーの準備を行い、当初同年12月12日に退院が決まっていた。しかし退院2日前の12月10日に意識不明の重体となり、翌12月11日に敗血症のため急死。57歳没。
NHK紅白歌合戦出場歴
Rxヒット指標にみる代表曲3曲
それでは、ここから私(Rx)の独自指標に基づく、代表曲3曲を取り上げます。個別内訳は以下の通りです。
とりわけ得点を伸ばすのが、他アーティストからのカバー回数の指標です。昭和中盤のシャンソン系を代表する歌手とはいえ、60~80アーティストにカバーされるというのは、非常に高い得点分布です。
またレコード売上に関しては、『希望』の約50万枚というのを基準に、カバーアーティストと再生回数の傾向を加味して単純調整した暫定値となっています。実売枚数ではない点をご了承下さい。あくまでイメージレベルです。
3位:110万pt(1965年)『恋心』
恋心、恋ごころ(こいごころ)は、恋をしている心のこと。曲名によく用いられる。
・恋心(原題:L’amour, C’est pour rien ) -アルジェリア生まれのエンリコ・マシアスによるシャンソン。日本語訳詞によって越路吹雪や岸洋子、菅原洋一などにも歌われた。訳詞は永田文夫によるもの(越路・岸ほか)となかにし礼によるもの(菅原)とがある。
恋心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3位にランクインした『恋心』は、岸洋子さんの楽曲とは言いづらい部分があるので参考値としてご覧いただければと思いますが、1965年のNHK紅白歌合戦でも歌唱したシャンソンの名カバーです。
2位:120万pt(1970年)『希望』
岸洋子は本楽曲で1970年の第12回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞した(岸の日本レコード大賞・歌唱賞の受賞は1964年に「夜明けのうた」で受賞して以来、自身2度目)。但し、岸は当時膠原病の闘病入院中によりレコード大賞授賞式には不参加(電話応対での声のみ)、同年の「第21回NHK紅白歌合戦」も出場辞退している。なお「今日でお別れ」で、実際同年のレコード大賞を受賞した菅原洋一は「もし岸さんが出席していれば、『希望』がレコード大賞に選ばれたはず」と後に語っている。
1971年春の第43回選抜高等学校野球大会では、入場行進曲としても採用された。また、岸は同年末の「第22回NHK紅白歌合戦」に2年ぶり7回目の出場を果たすが、同回が岸の生涯最後の紅白出演となった。
希望 (岸洋子の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリコンチャートが発足して数年というタイミングの1970年4月1日に発売された同曲は年間チャートの上位にランクインしています。オリコン発足前の1960年代中盤の楽曲に並ぶ代表曲として、数多くのアーティストにカバーされ、半世紀以上経った現代でも歌い継がれています。
1位:160万pt(1964年)『夜明けのうた』
岸洋子の代表曲の一つとして知られており、岸は本楽曲で第6回日本レコード大賞の歌唱賞を、作詞者の岩谷時子は作詩賞をそれぞれ受賞した。
岸は本楽曲のヒットにより、1964年の「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。また、1969年の「第20回NHK紅白歌合戦」でも岸によって本楽曲が歌唱されている。
夜明けのうた
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デビューから3年ほどで巡り合った代表曲である『夜明けのうた』で、岸洋子さんは、NHK紅白歌合戦への初出場や日本レコード大賞「歌唱賞」を受賞しています。
日本レコード大賞「歌唱賞」については、第3回を【アイ・ジョージ】さんが受賞されてますが、その他の受賞者を並べると、フランク永井・美空ひばり・三橋美智也であり、まさに歌謡曲の中堅実力者といった面々でした。そこにデビュー3年程度の岸洋子さんが選ばれるというのは、やはり凄いことだったのだろうと想像がつきます。
没後に故郷の酒田市にて「岸さんの楽曲を歌い継ぎ、その功績を多くの人に知ってもらいたい」として『岸洋子を歌いつぐ会』が結成され、活動が続けられている。
( 同上 )
私のこの記事で、岸さんの楽曲が令和に語り継がれる一助になれば幸いです。
コメント