【はじめに】
この記事では、1960年5月に起きた観測史上最大級(Mw9.5)の「チリ地震津波」を始めとする、ペルー・チリ海溝(アタカマ海溝)で起きた巨大地震と、日本を襲った津波についてウィキペディアなどの情報を元にまとめていきます。
「チリ地震」の概要について
ペルー・チリ海溝(ペルー・チリかいこう、Peru-Chile Trench)は、東太平洋のペルーとチリの沖合い約160kmにある海溝である。アタカマ海溝(Atacama Trench)ともいう。最深部の深度は8,065m、全長は約5,900km、平均幅は約64km、面積は590,000km²である。北部では中央アメリカ海溝に連なる。しばしばチリ地震を起こすことで有名である。
ナスカプレートの東端が南アメリカプレートに沈み込むことにより形成されている。
ペルー・チリ海溝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海底を表した地図でみると、日本と同じく明瞭な「プレート境界」がみえるペルー・チリ海溝。下に示した地図は、USGS(アメリカ地質調査所)がまとめた、非常に見やすい南米西岸の地震の発生状況をプロットしたものです。(↓)
右上にある小さい地図の☆と細長く囲まれた部分が「断層破壊面」を表していて、日本周辺と同様に、巨大地震の巣窟であることが分かります。
この領域で起きる地震で特に日本人が恐れるのは「遠地津波」でして、下の伝播図からも分かる通り、太平洋を挟んだ真反対であるチリ沿岸での巨大地震による津波は、減衰しきらなければ日本列島を直撃することも歴史的に知られています。大規模災害でなければ、数年に1度のスパンで現代でも観測されていたりもします。
日本には約1日遅れで太平洋を渡って来襲し、海底地形によっては三陸海岸など特定の場所で津波が特に高くなることも知られています。もちろん津波警報・注意報が空振りになることもありますが、国内で揺れを感じることがないため、油断していると思わぬ災害に繋がる事もあるため要警戒の領域です。
過去に発生した巨大地震
過去に起きた巨大地震については、「チリ地震」や「地震の年表」を参照していただければと思いますが、やはり巨大地震は1世紀に何度も起きていて、その度に甚大な被害を南米大陸にもたらしていましたし、日本における歴史記録を紐解けば、具体的に時期・日付まで特定できるものも多くあります。
当時の日本人からしたら、地震の揺れがなかったにも関わらず、普段とは違った海面の動きが起きた事を不思議に思ったかと思いますが、そんな異常現象を引き起こすほどの地震は、やはり巨大地震であることが大半です。
日本へ被害をもたらしたチリの地震による津波
チリ地震
1687年(貞享4年)、1730年(享保15年)、 1837年(天保8年)、1868年(明治元年)と1878年(明治10年)、1922年(大正11年)、1960年(昭和35年)、2010年( 平成22年 )2月28日にチリ沖合で発生した遠地津波が日本に到達し三陸沿岸で観測された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実際、歴史的な事象として上に示されている年の地震を調べてみると、超巨大地震に匹敵するようなM(規模)が推定されているものも多く、日本でもはっきりとした津波が観測された記録が残されているようです。下に内閣府HPから、過去のチリ地震での津波をまとめたページのリンクを張ります。
チリ地震による津波は、日本列島の広域で観測されるため近世から記録が残されています。20世紀以降でも数回大きなものが観測されていますが、有史以前から時折高い遠地津波に襲われてきたことが窺えます。
1960年「チリ地震津波(バルディビア地震)」
世界的にも、そして日本でも「チリ地震」と一般名詞的に使う時に指すのは、1960年5月に起きた地震のことを指します。
1960年のチリ地震(西:Gran terremoto de Valdivia)は、同年5月、チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1,000 km・幅200 kmの領域を震源域として発生した超巨大地震である。
地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。マグニチュード9.5を記録した観測史上世界最大級の地震である。バルディビア地震とも呼ばれる。
チリ地震 (1960年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バルディビアは、チリ中部の現在は人口10万あまりの都市の名前で、その近海を震源としたため、その通称で知られています。しかし、バルディビアのみならず、首都・サンティアゴを始め、チリの本土の広域で壊滅的な被害がもたらされたといいます。
驚くべきことに、前日にMw8.2という前震が発生していて、本震の15分前にもMw7.9の地震が起きています。これは、2011年の「東北地方太平洋沖地震」でも似たような経緯を辿りましたが、地震の規模が一回り以上大きい点で特徴的かも知れません。日本では津波被害ばかりが報じられますが、その揺れによる被害も甚大だったといいます。
本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島を襲った。 振幅の最大値は日本 6.1m、アリューシャン 3.4m、カナダ 3.3m、ハワイ 2.9m、オーストラリア 1.6mを観測している。ハワイ島のヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡した。
太平洋を伝播する津波の周期は非常に長く、ヒロでは高さ数フィート程度の第一波到達約1時間後に最大波が襲来し、海岸線から800m以上内陸まで壊滅的な被害となった。
( 同上 )
むつ~三陸海岸で6m、太平洋沿岸で3m前後、内海・日本海側でも津波刑法・注意報級の津波が観測されたことが、日本でも伝わり、遠地地震での津波への意識の低さが被害を拡大させました。
ここ半世紀の主な津波観測例にみる注意点
チリ地震以降、遠地地震への対策が進められましたが、ここ半世紀でも注意報以上が発表された事例が何例かあり、1995年や2010年の例では課題が残りました。日本列島で注意報クラス以上の津波を観測したケースを簡単にピックアップしてみました。こちらです。(↓)
発生月 | 規模 | 国内 | 最高値 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1985/03 | Mw8.0 | 注意報 | 34cm:父島 | |
1995/07 | Mj7.3 Mw8.0 | 注意報 | 29cm:宮古 | 出し遅れ |
2010/02 | Mw8.8 | 大津波 | 128cm:須崎 | |
2014/04 | Mw8.2 | 注意報 | 60cm:久慈 | |
2015/09 | Mw8.3 | 注意報 | 78cm:久慈 |
1995年の事例では当初マグニチュードが基準に達さなかったことや父島などでの津波の第1波の判別に苦慮したこともあって、津波注意報の発表が多少遅れました。
2010年の事例では、1960年や1995年の事例なども踏まえ、Mw8.8という超巨大地震に匹敵する規模の津波への警戒が高まり、ハワイでの観測データなども総合的に判断して「大津波警報(当時は大津波の津波警報)」が発表されました。
結果的には、17年前の奥尻島ほどの大災害とはならなかったものの大津波警報というものの存在を知らしめることに繋がりました。しかしその一方で、特に三陸沿岸などで情報の軽視に繋がった恐れなども気になる部分でもありました。
個人的に感じ取った傾向と注意点
ここからは、参考程度にお読みいただければと思います。あくまで過去数例の傾向らしきものを見ていければと思っての私見ですので。
そして、避難行動に関しては、遠地地震(特にチリでの地震)の特徴をおさらいしておきましょう。
注意報などの解除には半日~1日は掛かると心得る
日本列島の近くで起きる地震の津波注意報などは、早ければ1時間前後、小規模なものならば2~3時間で解除され、津波警報級であっても数時間で解除されることが殆どです。
しかし、そもそも地震が発生してから日本に第1波が到達するのに1日弱掛かる「遠地地震」の場合、しかも『前倒しでの発表』となった場合は、津波注意報などが解除されるまでに少なくとも半日、長い場合は1日以上を要すると心得るべきだと感じます。過去の事例の表、視点を変えてみました。(↓)
発生日時 (JST) | 注意報等 発表時刻 | 第1波 観測 | 全情報の 解除時刻 | 所要時間 |
---|---|---|---|---|
85/03/04 07:47 | 05日 05:00 | 05日 14:45 | 約10時間 | |
95/07/30 14:11 | 31日 15:00 | 12:49 | N/A | N/A |
10/02/27 15:34 | 28日 09:33 | 13:02 | 01日 10:15 | 約25時間 |
14/04/02 08:46 | 03日 03:00 | 06:?? | 03日 18:00 | 約15時間 |
15/09/17 07:54 | 18日 03:00 | 06:01 | 18日 16:40 | 約14時間 |
上の表から気づくべき点として、以下のポイントを挙げたいと思います。あくまで参考程度に。
こういった過去の経験則をしっかりと把握した上で、なおかつ「不測の事態」に備えて早め、バイアスが掛からない行動を取るよう努めましょう。2010年の事例では大津波警報で警戒されたほどの大災害にならなかったのは事実ですが、1960年のチリ地震津波のような災害が今後起きないとも限りません。
どうぞこの記事の情報も参考にしつつ、過去の教訓を現代、そして未来に活かしていければ幸いです。
コメント