現役中に死亡した“八大競走”優勝馬をまとめてみた

【はじめに】
この記事では、旧・八大競走(クラシック+天皇賞・有馬記念)を制するも、現役中に死亡した競走馬について、追悼の意味を込めて振り返っていきます。

昭和時代

昭和(前期):日本ダービー馬2頭

1930年代に成立した「クラシック競走」のうち、現代にも伝わるのが、日本ダービー馬の現役死です。戦前の2頭をピックアップしましょう。

1935:ガヴアナー(牡3):東京優駿
帝室御賞典を制した牝馬・クレオパトラトマスが9着と沈む中、第4回東京優駿大競走を6馬身差で圧勝し、3戦3勝で無敗のダービー馬となったガヴアナー。日本初の兄弟ダービー馬となった栄誉から僅か13日後、調教中に骨折し、ダービーの26日後に安楽死の措置を取られました。

1941:イエリユウ(牡4):東京優駿
ミナミとの(史上初の)ハナ差決着を制して、2着だった兄の雪辱を果たしたイエリユウ。秋になって5連勝したテツザクラに菊花賞を譲りますが、年末の小倉開催では優勝戦でテツザクラに勝利して現3歳を終えます。しかしそれから1ヶ月後の年明け、急性脳膜炎を発症し死亡してしまいます。

昭和(中期):悲劇の日本ダービー馬2頭ほか

1949:ヒサトモ (牝15):東京優駿・帝室御賞典(秋)
戦前(1937年)に牝馬として初めて東京優駿を制したヒサトモ は、その翌年に一旦現役を引退し繁殖入りします。しかし、戦後の動乱の中、現在でいう15歳となった1949年に地方競馬で現役復帰を余儀なくされ、5戦2勝という成績を残すも、次戦を走る予定で移動した先の浦和競馬場で心臓麻痺により非業の死を遂げます。

1951:トキノミノル(牡3):皐月賞、東京優駿
“10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制したが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死、「幻の馬」と称された。”

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1953:レダ    (牝4):天皇賞(春)
牝馬が強い世代の中でも牡馬を相手にした重賞で連対し、現4歳には(戦後唯一)牝馬として天皇賞(春)を制したレダ。秋にめぼしい大レースがなくなったレダは開設した中京競馬場などを連戦した上で、11月29日に行われる「毎日王冠」を引退レースとして選択。
同期の牝馬や年上の菊花賞馬と人気を分け合った中でレースに臨むも、残念ながらレース中に重度の骨折をしてしまい予後不良となりました。

1958:キタノオー (牡5):菊花賞、天皇賞(春)
ハクチカラと同世代で、春2冠は2着、菊花賞を制したキタノオーは、生涯で29戦16勝(4着以下は1度のみ)という実力馬。現5歳まで現役を続けた同馬は、夏を北海道で休養に当て、秋に中山競馬場の厩舎に戻ろうとする輸送中に急性肺炎を発症し、10月14日亡くなっています。

昭和(後期):21世紀も語られる悲劇の名馬たち

1967:ナスノコトブキ (牡4):菊花賞
スピードシンボリにハナ差で勝利し菊花賞を制したナスノコトブキ。疲労ある中、挑んだ天皇賞(春)で複雑骨折をし競走中止。馬主側の要請で治療に当たるも、大変な苦痛を強いられ、11日後亡くなります。

1967:キーストン   (牡5):東京優駿
“1965年のクラシック戦線ではダイコーターとライバル関係を築き、東京優駿(日本ダービー)に優勝”
→ “1967年に出走した阪神大賞典の競走中に左前脚を脱臼し、予後不良と診断されて安楽死の措置がとられた。故障発生後、自身の苦痛をおして馬場上で昏倒する騎手山本正司の様子を気遣うような仕種を見せた。JRAの公式テレビコマーシャルメッセージでも放映されたりするなどで、後世に語り継がれている。”

1977:テスコガビー  (牝5):桜花賞、優駿牝馬
“1975年の牝馬クラシック二冠を達成するなど活躍したが、1977年、休養からの復帰調整中に心臓麻痺で急死した。”

1978:テンポイント   (牡5):天皇賞(春)、有馬記念
1975年8月に競走馬として中央競馬でデビュー。関西のクラシック候補として注目を浴び、額の流星と栗毛の馬体の美しさから「流星の貴公子」と呼ばれた。現役時代は鹿戸明主戦騎手とし、1976年に出走したクラシックでは無冠に終わったが、翌1977年に天皇賞(春)有馬記念第22回有馬記念)に優勝。後者のレースではトウショウボーイと繰り広げたマッチレースは競馬史に残る名勝負のひとつとされている。1978年には海外遠征を予定していたが、その壮行レースとして出走した日本経済新春杯第25回日本経済新春杯)のレース中に骨折し、43日間におよぶ治療の末、死亡した。”

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1978:ファンタスト  (牡3):皐月賞
“おもな勝ち鞍は弥生賞皐月賞柴田政人が初めて中央競馬のクラシックを勝った馬”。日本ダービーで10着、函館記念で3着となり、その10日後、函館競馬場の厩舎で腸捻転を発症して死亡している。

1985:シャダイソフィア(牝5):桜花賞
エアグルーヴの母でドゥラメンテの曾祖母にあたるダイナカールを抑えて桜花賞を制したシャダイソフィア。オークスでなくダービーはミスターシービーの17着と敗れ、その後は現5歳まで現役を継続。 5歳初夏に「阪急杯」で2年ぶりに重賞勝利。秋にスワンSで復帰するも、走行妨害により転倒し、予後不良となる。

1985:ノアノハコブネ (牝3):優駿牝馬
“数多くの珍名馬を所有していることで有名な小田切有一に初めてのクラシック競走及びGI級競走制覇を達成した馬”で、オークスを21番人気(単勝62.7倍)で優勝。秋は精彩を欠いて2桁着順の2連敗。
そして、古馬になることを見据えて年内最終戦として挑んだ阪神大賞典で、寛骨を骨折し予後不良に。

1988:サクラスターオー(牡4):皐月賞、菊花賞
半年振りのレースで「菊の季節に桜が満開!」と形容されたサクラスターオーの菊花賞。変則2冠を達成し、年末の有馬記念には1番人気で出走するもレース中に故障を発生し予後不良に。
※その後の詳細は、ウィキペディアの“137日に渡る闘病の末に安楽死”などを参照されたい。

平成・令和時代

平成時代:ウマ娘でも描かれたような馬たち

1995:ライスシャワー  (牡6):菊花賞、天皇賞(春)
“菊花賞ではミホノブルボンクラシック三冠制覇を、1993年の天皇賞(春)ではメジロマックイーンの同競走三連覇をそれぞれレコードタイム(当時)で阻止したことから「関東の刺客」「黒い刺客」「レコードブレイカー」の異名を取った”
→ “その後低迷期を迎えるも、1995年の天皇賞(春)で優勝し復活を果たす。しかし、続いて出走した宝塚記念の競走中に骨折、予後不良と診断され安楽死となった。”

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同じ1990年代後半では、八大競走に準ずるとされたレースを制した名馬が、レース中に予後不良となっていますので、名前だけ載せたく思います。

  • 1997:※ホクトベガ   (牝7):エリザベス女王杯ほか
  • 1998:※サイレンススズカ(牡4):宝塚記念
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そして時代は21世紀に入ります。

2006:ラインクラフト(牝4):桜花賞
シーザリオを下して桜花賞を制し、NHKマイルCも勝ち、6戦5勝でG1連勝としたラインクラフト。古馬となって3戦目のヴィクトリアマイルで初めて着外(9着)と敗れると、秋のスプリンターズSを目指して夏は北海道に放牧。8月末の栗東帰還を目前にした8月19日、放牧先のノーザンファーム空港牧場において調教中に急性心不全を発症し死亡しています。

令和時代:

2022:ワグネリアン   (牡7):東京優駿
“2018年、平成時代最後の東京優駿(日本ダービー)にて不利とされる外枠から、先行策を敢行。皐月賞優勝馬エポカドーロに半馬身先着し、優勝を果たした。”(福永家の悲願も果たす)
→“ダービー優勝馬としては、1935年ガヴアナー、1940年イエリユウ、1951年トキノミノル、1965年キーストンに続いて史上5頭目、平成時代の優勝馬としては初めての現役競走馬のままでの落命となった。”

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2023:アスクビクターモア(牡4):菊花賞
(後日更新予定)

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