旧震度「新潟」(新潟中央区幸西 → 美咲町)

【はじめに】
この記事では、気象官署「新潟地方気象台」で観測された過去の強烈な揺れをまとめていきます。

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気象官署「新潟地方気象台」の歴史について

まずは、「新潟地方気象台」についてまとめていきたいと思います。

細かくは上の気象庁のホームページに写真つきで書かれていますが、概略はウィキペディアで抑えられるかと思いますので、そちらを画像引用しました。

新潟地方気象台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

観測は明治の前半に始まり、昭和に入って「幸西」での観測に移ると、戦後には「地方気象台」昇格。そして、2012年には「美咲町」に移転しており、約140年で4回ほどの移転を行っています。

新潟空港新潟市東区松浜町2350-4
(新潟空港)
200906011200
新潟中央区幸西新潟市中央区幸西4-4-1
(新潟地方気象台)
1886
新潟中央区美咲町新潟市中央区美咲町1-2-1
(新潟地方気象台)
201206291200
新潟秋葉区程島新潟市秋葉区程島2009
(新潟市秋葉区役所)
199604011200
新潟西蒲区役所新潟市西蒲区巻甲2690-1
(新潟市西蒲区役所)
199604011200
気象庁 ホーム > 各種データ・資料 > 強震観測データ > 気象庁震度観測点一覧表

気象庁震度観測点一覧によると、新潟市内だけで現在4地点観測されていますが、この記事では「新潟地方気象台(前身含む)」として観測された中央区での揺れを、地点の移転による変化を区別せずに話していきたいと思います。

震度1以上(有感地震)はここ100年で約800回

気象庁の「震度データベース検索」を使って、「新潟」で観測された有感地震(震度1以上)の回数をまとめてみました。10年代ごと、回数が固まっている1920~2010年代までの約100年間が対象です。

期間震度1震度2震度3震度4震度5合計
1920年代6911585
1930年代139830
1940年代239537
1950年代203225
1960年代10029821140
1970年代105217
1980年代397349
1990年代54233181
2000年代7528104117
2010年代1254983185
合計52817354101766
気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1920/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 新潟中央区幸西 もしくは 新潟中央区美咲町 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数

一見して多い時期と少ない時期の差が激しい印象で、1950・70年代が10~20回台だったのに対して、1960年代は後述の「新潟地震」もあって140回と3桁に達しています。そして、観測方法が変更されて完全に機械での観測となった2000年代以降は、3桁回数が当たり前となっています。

震度4(中震)以上:ここ60年で13回、20年で9回

気象庁の震度データベースによると、「新潟」では震度4(中震)以上が13回観測されています。ただこれは1919年以降のデータに限ったものであり、それ以前が含まれていない点はご了承ください。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度「新潟」
1964/06/16 13:01:40.7新潟県下越沖34 km7.5震度5震度5
1964/11/27 22:47:39.7佐渡付近45 km5.8震度4震度4
1964/11/27 22:48詳細不明0 km不明震度4震度4
1995/04/01 12:49:34.7新潟県下越地方16 km5.6震度4震度4
2004/10/23 17:56:00.3新潟県中越地方13 km6.8震度7震度4
2004/10/23 18:34:05.6新潟県中越地方14 km6.5震度6強震度4
2007/07/16 10:13:22.5新潟県上中越沖17 km6.8震度6強震度4
2007/07/16 15:37:40.4新潟県上中越沖23 km5.8震度6弱震度4
2011/03/11 14:46:18.1三陸沖24 km9.0震度7震度4
2011/04/11 17:16:12.0福島県浜通り6 km7.0震度6弱震度4
2019/06/18 22:22:19.9山形県沖14 km6.7震度6強震度4
2021/02/13 23:07:50.5福島県沖55 km7.3震度6強震度4
2022/03/16 23:36:32.6福島県沖57 km7.4震度6強震度4
気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1964/01/01 00:00 ~ 2022/03/31 23:59
・観測された震度 : 新潟中央区幸西 もしくは 新潟中央区美咲町 で 震度4以上 を観測

実は最も古い例(震度データベース上)は1964年と昭和の後半であり、それ以前の数十年間は、最大でも「震度3(弱震)」という穏やかな時期が続いていたという統計結果になっています。細かくみると、1964年に3例、1995年に1例で、平成後半からの約20年で9例発生していることが分かります。

もちろん気象庁震度階級や観測方法の変更があるため同一視はできませんが、「新潟」で震度4を観測したここ20年の事例は、いずれも最大震度6弱以上を観測した烈しい地震でした。これはつまり、内陸直下で起きた事例よりも、周辺(東西を問わず)で起きた地震でのやや強い揺れに見舞われるパターンが大半だという結論になります。

震度5(強震)は、1964年「新潟地震」の1例

「新潟」の観測の歴史の中で震度5(強震)を観測したのは、1964年「新潟地震」の1例となります。

新潟地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平成以降の人間にとって「新潟」の地震というと、最大震度7を観測した2004年の『新潟県中越地震』などを真っ先に連想しますが、それ以前においては、1964年(東京オリンピックの年)に起きた『新潟地震』が代名詞的存在でした。

新潟地震は、1964年昭和39年)6月16日13時1分40.7秒に、新潟県粟島南方沖約40km(北緯38度22.2分 東経139度12.7分 深さ34km)を震源として発生した地震である。地震の規模はM7.5(Mw7.6)。

( 同上 )

新潟県下越の沿岸に添うように非常に大きな地震が発生しました。マグニチュード7.5というのは、昭和に日本海側で起きた地震としては最大級のものでした。その被害はというと、

日本の歴史上、最大級の石油コンビナート災害をもたらした地震で、化学消防体制が脆弱な時代背景もあり、143基の石油タンクが延焼し、その火災は12日間続いた。以後、石油コンビナート防災の指標の一つとなっている。

そして、この地震を機に住宅地や工業地帯の液状化現象への本格的な研究が始まった。また、日本で地震保険ができる直接的な要因となった震災としても知られ、この2年後、1966年(昭和41年)に地震保険制度が誕生した。

なお、1960年(昭和35年)のテレビのカラー放送開始から4年後に発生したこの地震は、日本において数多くのカラー映像で被害状況を残すことができた初めての大規模地震である。

( 同上 )
( 同上 )

地震による火災や建物による被害が甚大で、戦後復興を遂げた地方都市による都市型災害は、貴重な例として研究に役立てられました。コンビナート火災のラジオ実況音源などは現代にも伝わっています。

下の図は当時の震度分布図になります。南東北から新潟県にかけて震度5(強震)を観測したのみならず、北東北から北関東、長野・輪島に至るまで広い範囲が震度4(中震)となりました。

出典:気象庁 震度データベース

震度5(強震)
宮城県:鳴子、仙台
山形県:荒沢、酒田、新庄
福島県:只見
新潟県:長岡、新潟、相川

当時の荒い観測網と体感による震度階級では「震度5(強震)」が最大となっていましたが、その被害状況などを見ると、現在であれば少なくとも震度6クラスの揺れが観測されていたと思われます。

マンションが横倒しになったり昭和大橋が崩落したりといった大規模なインフラへの被害は、我々が現代の「震度5」で想像する被害とは一線を画します。

( 詳細については、上の記事もお確かめ下さい )

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