競馬歳時記【9月2週】「セントウルS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「セントウルステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

セントウルステークスは、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GII)である。競馬番組表での名称は「産経賞セントウルステークス」と表記される。

競走名の「セントウル」は、ギリシャ神話に登場するケンタウロスのこと。阪神競馬場のセントウルガーデン内にセントウルの像があり、同競馬場のシンボルともなっている。

セントウルステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

1960~80年代:中距離競走で四半世紀、重賞昇格

重賞に昇格したのは1987年、このタイミングで短距離重賞という今の形態となりました。しかし、ウィキペディアにもありますが、これ以前にも1960年から「セントウルS」という名称のレースが行われてきました。今回はそこから振り返っていきます。

阪神競馬場が戦後復活するまでは(↑)上の記事からどうぞ。順風満帆とは行かずも戦後の阪神競馬は少しずつ改善に向かい、1950年代をかけて「戦後の混乱」から復興していきました。

1959年に当時の木造スタンドが撤去され、スタンド増築などの改装工事が実施。この時に「セントウルガーデン」内に泉水とセントウル像が新設され、阪神競馬場のシンボルの一つとなっていきます。そしてセントウル像の設営を記念する形で1960年に「セントウルS」というレースが開催されたのです。

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名称こそ「セントウル像」にちなんだ「セントウルS」ですが、今とは全く条件が異なりました。第1回の開催は10月(1961年からしばらくは12月)で、距離は1970年代のマイル時代を除き基本的に中距離(少なくとも短距離ではない)、レースの格も条件戦とオープン特別を行ったり来たりしていました。

第1回は2000mの条件戦で、勝ったのは【タイカン】という馬。このレースを勝ってオープン入りし、翌年には「日本経済新春杯」を勝っています。その後、条件戦としての開催だったため、あまり活躍馬を輩出できずにいましたが、
1968年の350万下条件戦時代の「セントウルS」を勝った【ハードオンワード】は、翌年秋に障害入りしてから覚醒。阪神障害S、京都大障害と秋競馬で連勝し、暮れの中山大障害でも2着と健闘しました。

そして、1969年にはオープン特別での開催(ここはウィキペディアの記載が間違っている可能性)で、1966年の桜花賞を制したワカクモが6歳になっても現役を続ける中で生涯で最後の連対(2着)。この年をもって引退し、母親となってからは【テンポイント】らを輩出することとなります。

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昭和40年代中盤にオープン特別、そしてマイル戦となると、【ホウシュウエイト】や【ホクトボーイ】などの重賞級の馬が優勝することも珍しくなくなり、3着にはイットーやウラカワチェリーなどの牝馬も名を連ねています。この頃は(距離適性を重視しなければ、)暮れの有馬記念や阪神大賞典への前哨戦的な意味合いで叩きに使う馬が多かったのだと思います。

1986年まで中長距離の条件~オープン特別として開催が続き、1987年に短距離重賞として生まれ変わることとなります。秋競馬の開幕週の重賞として、そして秋前半唯一の短距離(1400m)重賞として、今のスプリンターズSの前哨戦という位置づけとは少し違った意味合いでのG3格付けでした。

1990年代:9~10月の1400m戦として定着

1990年代一杯は、1400m戦として、秋競馬前半の阪神で開催されていました。当時はまだ「スプリンターズS」は12月開催だったため、短距離路線の馬が秋競馬緒戦に選ぶことが多かった印象です。

だからこそ、フジノマッケンオーオースミタイクーンエイシンガイモンが59kgであってもレースに出走し、ここを勝って秋競馬に向かっていくこととなりました。

そして、外国産馬がそのスピードを遺憾なく発揮して古馬混合重賞初制覇を飾る舞台ともなりました。

  • 1994年:エイシンワシントン
    中京1200m代替開催。同じ内藤繁春厩舎のダンシングサーパスの差し脚を封じて重賞初制覇。
  • 1995年:ビコーペガサス
    京都代替開催。秋になって武豊が騎乗し、初戦のセントウルステークス(GIII・芝1400m)で1年9か月ぶりの勝利を収めた。
  • 1998年:マイネルラヴ
    前走から+18kgという馬体重ながら、このレースでは中団から力強く抜け出す強い競馬を見せ待望の重賞初勝利を挙げた。
    2着に3馬身差をつける圧勝で、フジテレビの競馬中継で解説をしていた大川慶次郎は「このレベルの(他の)出走馬とこの馬を比べるのは失礼」と発言した。

2000年代:ビリーヴほか10年で牝馬8勝(=4連勝2回)

2000年に短距離の路線が大幅に変革し、「スプリンターズS」の開催が2ヶ月以上早まり、その結果、「セントウルS」がG1の前哨戦に位置づけられます。開催時期が9月上旬、そして開催距離も1200mに短縮されると、本格的に一線級の馬がG1に向けての調整で出走する機会が増えてきます。

そして、結果的に2000年代の10年間を切り出した時に、史上初の連覇を【ゴールデンキャスト】が2004~05年にかけて達成した以外は、全て牝馬が勝っていて、実に4連勝×2回=8勝となりました。

このように、G1戦線を盛り上げる牝馬たちがこのレースを制しています。特に2002年に【ビリーヴ】が1分7秒1でレコード勝ち(重賞初制覇)を果たし、4連勝で「スプリンターズS」を制したのが、21世紀の新たな「セントウルS」像を印象付けるものでした。

そして、「サマースプリントシリーズ」の最終戦に組み込まれた2006年にはG2に昇格し、秋の短距離路線の王道路線となっていきます。

2010~20年代:1番人気9連敗→6連勝

そして、2007年に11番人気の【サンアディユ】が勝って以来、1番人気が9連敗。キンシャサノキセキ、スズカフェニックス、スリープレスナイト、ダッシャーゴーゴー、ロードカナロア、ハクサンムーンなどG1級の馬も別定斤量に泣いて秋緒戦を飾れませんでした。

それこそG1を連勝・連覇し、顕彰馬にも選出されている【ロードカナロア】が、2年続けて2着と敗れている(唯一のレース)のが「セントウルS」だったりします。

2014年からは優勝馬に「スプリンターズS」への優先出走権が付与され、2017年からは「産経大阪杯」が「大阪杯(G1)」となった影響で、「産経賞セントウルS」となるマイナーチェンジもありました。

そうした中で、2016年の【ビッグアーサー】からは牡馬が6連勝すると共に、2021年に牝馬【レシステンシア】が勝つまで1番人気が7連勝しています。(2着は3歳のピクシーナイト)

レースR勝ち馬
2016110.00ビッグアーサー
2017110.00ファインニードル
2018109.25ファインニードル
2019110.50タワーオブロンドン
2020110.50ダノンスマッシュ
2021112.75レシステンシア
2022

1番人気が連勝している2016年以降のレースレーティングを纏めると上記のとおり。「GIIの目安:110ポンド」を概ね維持している状況で、特に2021年はピクシーナイトが2着に入ったことで全体の値を引き上げて112.75ポンドに達しています。

結局は、1番人気の取捨選択、あるいは斤量や状態との兼ね合いを見つつ、他の馬に逆転の余地があるかを正しく判断できるかが馬券の勝敗も分けそうなレースです。ここ最近の印象で「固いレース」のイメージがありますが、『頭』にしてしまうと、十数年前のように1番人気が連敗(惜敗)した時期のような形になることもありますので、少し長く広い視野で考察することをオススメします。

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