2025年度の「NHKのど自慢」に今年こそ期待することを綴ってみた

【はじめに】
こんにちは、Rxです!
今回は、私が毎週楽しみにしている「NHKのど自慢」について、2025年度にぜひ改善してほしいと感じている点をまとめてみました。2024年度を振り返る中で感じた違和感や疑問をもとに、番組の健全な進化を願って綴っていきます。

ここ最近の「のど自慢」で良かったこと

とはいえ悪いことばかり書いてもいけないので、『良かった』点も先に触れておきます。最近ですと、

  • 2024年度下期:2024年3月からの半年で合格2桁が3回も出てしまったが、2024年冬から翌春にかけては合格者数が落ち着いてきた
  • 2025年3月:アナウンサーが2人いることを活かし、石川県大会を時間拡大して特別編的に放送できた(客席へのインタビュー、出場組数は20組のまま変えない等)
  • 2025年4月:番組が『鐘の演奏シーン』から始まるスタイルに本格的に戻った

こういった点は評価できると考えています。私も単なる『懐古主義』ではなく、良い変化は受け入れるつもりですが、『変えなくて良かったなー』という点に関しては、変わらず訴えていきたいと考えています。(例えば下の記事のように↓)

合格者数と審査の全体像に対する疑問・違和感

● 合格率の上昇は本当に良いことか?

2024年度の「のど自慢」は、合格率が近年で最高水準を更新しました。もちろん、歌が上手い人が多かったという可能性もありますが、「合格者数が多ければ良い」という単純な話ではないはずです。


(出典)NHKのど自慢の2024年度の記録をまとめてみた【2桁合格が半年で3回も……】
https://yequalrx.com/nodojiman-data/

合格者が多すぎると、ちゃんと見ている視聴者としては「合格の価値」が薄れてしまい、番組全体の緊張感も損なわれます。特に、合格者が少ないと帳尻合わせのように合格が連発される、いわゆる「調整合格」のような審査の印象を受ける場面があると、特に納得感に欠けてしまいます。

個人的には、『合格が多いか少ないか』の2択を究極的に問われたら……合格者数は少なめの方が良いというスタンスです。ただし、ここでも重要なのは合格者の「数」ではなく納得感です。歌唱力が高い出場者が多ければ合格者が多くても構いませんが、そうでない場合に無理に数を合わせる必要はないというのが主旨です。

上の記事にも書いたとおり、2024年は、3~9月の半年間で合格者が2桁に達した回が3回もありました。これは流石にやりすぎと感じています。基本的には、合格は1桁に収めるべきでしょう……。

また、週ごとの合格者数に整合性が取れていないように見えることもあります。『審査員は自分の担当週以外の放送を見ていない(興味がない)のでは?』と疑いたくなるほどです。

● 出場順による「合格率の偏り」も問題

2024年は、出場順によって合格率やチャンピオン選出率に明確な偏りが見られました。自然なことではありませんし、全体的に不健全です。歌唱そのものではなく、順番によって結果が左右されるのは、出場者にとっても視聴者にとっても不公平です。

上は、出場順番号ごとのチャンピオンの誕生組数をグラフにしたものです。過去5区間移動平均を取ると、一応は2~3組前後で推移しており、バランスが取れているかのように見えますが、実態は縦棒で明らかなように、1~3・11・15組目からはチャンピオンが出ていない一方、それを調整するかのように、4・12組目などは突出してチャンピオン者が多くなっています。17組目を除いて、チャンピオンを3組以上出している番号は「偶数」に偏ってもいます。

裏では何らか『出場順』に役割を持たせて割り振っているのかも知れませんが、上の図は明らかに自然な偏りというより何らかの意図をもった作為的なものに感じてしまいます。

何より出場者の側としたら『ある程度、出場順番で下駄がある』ことなど知る人は皆無でしょうから、このスタンスが続くとしたら、更に私としても注意喚起していかなければならなくなります。出場順をフェアに決めるか、出場順で優勝しやすさ、合格しやすさが左右されることのない審査運営が理想でしょう。

審査と番組スタンスへの再提言

● 「選曲による有利不利」も排除してほしい

番組を見ていて感じるのは、選曲によって合否が左右されている傾向があることです。これは正直、健全とは言えません。選曲によって有利・不利が出るのは本来避けるべきです。

下の記事に書いた当時と基本は変わっていません。番組サイドには、『合格しやすい曲』であることを自覚してもらい、『雰囲気に流されずしっかりと歌唱力などに審査の軸足を置くぞ』という覚悟をもって審査していただきたいと重ねてお願いします。

● ここ最近、特に感動エピソードの「演出」が過剰では?

さらに令和時代に気になるのが、感動エピソードの演出です。

「家族への感謝」「身内の不幸」「結婚・妊娠・出産」など、確かに心を打つ話ではありますが、それが審査や視聴体験に過度に影響しているように感じることがあります。

そして、特に問題だと感じるのは、番組サイドがそれを「推奨」しているように見える点です。出演者が自発的に語るのはまだ構いませんが、それを番組側が前面に押し出すのは、本来の「歌番組」としての本懐を見失っているように思えるからです。

何度か提言策として語っていますが、せめて、せめて『エピソードをアナウンサーが歌唱の前に会場に伝える』ことだけでもやめてもらえないでしょうか。本来、感動のエピソードを語りたい思いは、番組サイドが視聴者に押し付けるものではなく、その歌唱やパフォーマンスから視聴者が各々感じ取るべきものです。ある種、視聴者を番組サイドが信じていないのではないかとも感じます。

(以前から言っているとおり)「仮装大賞」だって、事前に感動エピソードを語らせたりはしません。「のど自慢」こそ、歌そのものの魅力を『エピソード』の道具とする場であってほしくはないのです。

最後に:2025年に期待する「のど自慢」の本来の姿

「NHKのど自慢」は、放送100周年の5分の4近くの長年にわたって日本中の人々に愛されてきた番組です。その魅力は、本来、一般出場者の歌唱に始まり、そこから付随して出てくる人間味やエピソードという順番であったはずです。

だからこそ、審査の納得感番組のスタンスの明確化が求められます。合格者数の調整や演出過多な感動話ではなく、純粋に「歌の力」で心を動かす番組であってほしい。2025年度の「のど自慢」が、そんな信頼できる番組として再び輝くことを、心から願っています。

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