ウィキペディア小旅行「大分県中津市」

【はじめに】
皆さん「Wikipediaで小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は、大分県の中津市です。素敵な旅をお過ごし下さい。

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中津市(なかつし)は、大分県の北西端に位置する市である。

中津市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

・面積 491.53km^2(境界未定部分あり)
・総人口 82,046人(推計人口、2022年3月1日)

( 同上 )

概要

大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に多い都市である。城下町で、青の洞門羅漢寺福澤諭吉旧居中津城などの文化財や歴史的建造物、市域南部には景勝地の耶馬渓がある観光都市である。

中津市は旧豊前国にあたるため、福岡県北九州地区(北九州市、行橋市、豊前市、築上郡、京都郡など)との結び付きが強く、福岡県からの通勤・通学人口が非常に多い。

歴史

廃藩置県により現在の市域は中津県となり、その後小倉県から福岡県となったが、1876年8月21日に福岡県のうち宇佐郡と下毛郡が大分県に編入され、中津支庁が設置されたことで大分県北の中心地として重要性を帯びるようになった。

近代工業の始まりは1879年から1880年にかけて工場が設置されたのが最初とされ、1890年代には繊維工業が集積するようになった。1944年の神戸製鋼所進出は第二次世界大戦後の重工業化のきっかけとなり、1970年頃までは鉄鋼業と衛生陶器製造(TOTOおよび関連企業)が特に盛んであった。1970年代後半からは自動車関連工場の進出が中心となり、1984年には『豊の国テクノポリス』の中心都市に指定された。

  • 1871年(明治4年)7月14日 – 廃藩置県により、中津藩を廃し中津県が設置される。
  • 1871年(明治4年)11月14日 – 第1次府県統合により旧豊前国の中津県等を統合し、小倉県が発足。
  • 1876年(明治9年)4月18日 – 第2次府県統合により小倉県が福岡県に編入される。
  • 1876年(明治9年)8月21日 – 宇佐、下毛両郡が福岡県から大分県に編入される。
  • 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行により、現在の中津市域に1町25村が成立。同日に中津町が町制施行。
  • 1929年(昭和4年)4月20日 – 大分県で3番目に市制施行。

経済

主な企業
・ダイハツ九州(本社)
・TOTO
・ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ(大分工場)
・西の誉銘醸(本社) 他

から揚げ
中津からあげ」も参照
中津市にはから揚げを売る店舗が多く、惣菜店・肉屋以外にもから揚げ専門店がある。中津市はから揚げを扱う店舗を掲載した「からあげマップ」を作成しており[5]、観光案内所でも同様の地図を配布している。

中津市の銘菓
巻蒸(けんちん)
 → 葛粉を素材とし、キクラゲなどの素材を入れて蒸した、大分県中津市の和菓子である。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所

出身有名人

芸術・文化

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教育者

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芸能・スポーツ・報道

  • 大島康徳(元プロ野球選手、元プロ野球監督)
  • 松原のぶえ演歌歌手
  • 松室麻衣・元dream歌手
  • 南早紀声優
    → 中津からあげが盛んな大分県中津市で生まれ育ったことから、プロフィールの特技欄にも利き唐揚げと記載するほどのから揚げ好きであり、上京直後もコンビニのから揚げしか食べられなかったなど、から揚げに関するエピソードも多い。2019年4月には日本唐揚協会の同年のベストカラアゲニスト女性声優部門にも選出されている。
  • 山口俊プロ野球選手読売ジャイアンツ所属)

関連項目

(中津競馬場)

中津競馬場(なかつけいばじょう)は、かつて大分県中津市大字大貞にあった地方競馬の競馬場。

  • 1924年(大正13年) – 大分県下毛郡大幡村(現在の中津市郊外)に新競馬場を開場。
  • 1933年(昭和8年) – 競馬場を大幡村大貞に移転。
  • 1938年(昭和13年) – 「軍馬資源保護法」により一時廃場。
  • 1948年(昭和23年) – 競馬開催を再開。
  • 2001年(平成13年) – 中津競馬場廃場。
  • 2001年、中津競馬場は21億円以上の累積赤字を理由に急遽閉鎖、廃止された。

廃止の表明は、当時の市長であった鈴木一郎が2001年(平成13年)6月3日をもって廃止することを突然発表し、しかもこれにより職を失う者たちへの補償をしないことを表明した事から、大きな騒動に発展したが、競馬議会も廃止を承認した。

以後、追随するように競馬開催を廃止する自治体が次々と現れ、結果的に中津競馬の廃止が平成期の自治体の公営競技整理の端緒となった。

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