【冬・生活】「スキー」(Skiing)

【はじめに】
この記事では、ウィンタースポーツの代表格の一つにして冬の生活のカテゴリーに分けられる「スキー」という季語について纏めていきます。

スキー: skiing)は、2枚もしくは1枚の専用の板を両足に履き、雪上をより素早く降りるための移動手段として用いられている。語源はノルウェー語で「薄い板」を指す「スキー」から。漢名は滑雪

スキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

ウィキペディアにみる「スキー」について

ヨーロッパアルプス地方で普及したアルペンスキーを楽しむ人が多いが、クロスカントリースキーテレマークスキーのような、アルペンスキーより先にノルウェースカンディナヴィア半島で発展したノルディックスキーも同じく人気がある。

日本では積雪期にも宿屋が営業する温泉地に愛好者が集まり、やがてスキー場として発展した(山形県五色温泉長野県野沢温泉がその奔り)。

1本の専用の板に正面を向いた状態で両足を揃えて固定するものに関しては「モノスキー」を参照。

スキーの歴史

スキーの発祥は、紀元前2500年頃から積雪期に交通手段、あるいは狩人が獲物を追って雪の山野を移動する手段であると推定されており、古代のスキーと思われるものが北欧をはじめとしてシベリア中国朝鮮半島樺太など広範囲で発見されている。

中国では、紀元前8000年頃の壁画にスキーをしていると考えられる姿が描かれていた、ロシアでは紀元前6000年頃のスキーの遺跡が発掘されている。ノルウェーのスカンディナヴィア半島で、紀元前2500年ごろの壁画に狩りをする人達のスキーを履いた姿が描かれてい、その他にもスカンディナビア半島の丘陵地に住む人々の間にスキーの神としてウルスカディが伝承されている。
その他にも、樺太や沿海州アイヌ民族が用いた「ストー」や、朝鮮半島の山岳地帯で用いられた「ソルメ」など、雪上を歩き、滑走する機能を持つスキーの原型と考えられている。日本での古いスキーの記述は、1794年に菅江真澄が描いた「立ちソリ」や1808年に間宮林蔵が樺太から沿海州方面を探検したのちに表した『北蝦夷図説』の中にある、スキーを履いている樺太アイヌの図がある。

19世紀中頃からノルウェー南部のテレマルク 地方を中心にスポーツや、登山者の山麓での移動手段や、西洋のアルプス地方の弓術と組み合わせた戦の技術として進化を遂げた。スキー自体を楽しむ人々が増えるにつれてスキーの練習に適した斜面のある山麓に練習場(ゲレンデ)ができ、本来の目的から独立したスポーツの場としてスキー場と呼ばれるようになった。

日本への伝来と潮流
日本におけるスキーの伝来は明治時代後期の1890年代からだが、1911年(明治44年)1月12日に新潟県中頸城郡高田町(現・上越市)において、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍少佐のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ陸軍第13師団に着任し、歩兵第58連隊の営庭を利用して堀内文次郎連隊長や鶴見宜信大尉らスキー専修員を含む軍人に技術を伝授したことが、日本における本格的なスキー普及の第一歩とされ、かつ、日本におけるスキー発祥と言われている。
この史実にちなんで、全日本スキー連盟では2003年に1月12日を「スキーの日」と制定した。

レルヒ以前、1908年に札幌農学校のスイス人講師が2本杖のスキーを滑ってみせたこと(詳細は三角山を参照のこと)、また1916年に欧州から帰国した遠藤吉三郎がノルウェー式の2本杖スキーを普及させたことから北海道では2本杖が主流となった。また、1923年には第一回全日本スキー選手権大会が開催され、2本杖が1本杖を成績で圧倒したことから、全国的にも2本杖が主流となっていった。

スキーは登山用具としても注目され、1923年1月には、当時の日本登山界のリーダーである槇有恒板倉勝宣、三田幸夫が冬の立山登山に利用した(板倉は帰路遭難死)。

日本における競技スキーの潮流
1923年(大正12年)に、第1回冬季オリンピック大会の選考会を兼ねて、北海道小樽で第1回全日本スキー選手権大会が開催された。冬季オリンピックの参加は1928年(昭和3年)の第2回冬季オリンピック(スイス・サンモリッツ大会)が初となり、7名の選手が送り込まれた。

1956年(昭和31年)には第7回冬季オリンピック(イタリア・コルチナ・ダンペッツオ大会)に参加した回転(スラローム)選手の猪谷千春が2位に入賞し、日本初のメダリストとなった。

オリンピック以外では、ノルディック複合個人総合で1993年(平成5年)から1995年(平成7年)にかけてのワールドカップ(ノルディック複合)荻原健司が3連覇を成し遂げ、さらに1995年での世界選手権でもこの種目で優勝している。また、アルペンスキーでは海和俊宏岡部哲也木村公宣ワールドカップ(アルペン)で上位入賞を果たしている。

必要な用具

スキーで雪上を歩行したり、ジャンプ、滑降、登行するために、以下のような用具が必要である。

また、身に付けるものに

などがあると良い。

スキー競技

俳句歳時記にみる「スキー」の例句

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ではここからは、俳句歳時記にみる「スキー」の例句のコーナーです。今日は8句選びました。貴方はどの句が一番お好きですか?

  1. 『すべり来るスキー映画に大うつし』/高浜虚子
  2. 『大雪のスキー列車の夜をいねず』/水原秋桜子
  3. 『スキーの娘 中禅寺湖を眼に湛へ』/川端茅舎
  4. 『スキー長し改札口をとほるとき』/藤後左右
  5. 『スキー服黒き乙女は吾にく』/石川桂郎
  6. 『シュプールをいたはるごとし夕映は』/香西照雄
  7. 『スキーバス轟々昭和終る夜も』/堀口星眠
  8. 『スキー帽ひとつを見失はぬやう』/中田尚子

正岡子規の時代には間に合いませんでしたが、大正・昭和にかけて西洋のウィンタースポーツとしては比較的早くに普及していき、虚子や秋櫻子の時代には作句例があったようです。

そして、昭和から平成にかけて更に作句例は増えていき、内容もバラエティに富んでいきました。ちなみに、角川俳句大歳時記によると、スキーの傍題として、

スキー場、ゲレンデ、シャンツェ、シュプール、スキー列車、スキー宿、スキーヤー、スキー帽、スノーボード

『角川俳句大歳時記〔冬〕』

といった言葉たちが並んでいます。様々な場面を切り取って傍題と認められている点は、他の季語よりも充実している部分が顕著だと感じます。

私(Rx)が一番スキな句として、上の「1日1句」の1月12日(スキーの日)には4句目として紹介をした『スキー長し改札口をとほるとき』を採用しています。

あと、今回この記事を書いていて、7句目『スキーバス轟々昭和終る夜も』も、1989年1月7日の夜を走る『スキーバス』という2段階での非日常が素晴らしいと感嘆してしまいました。皆さん、どの句がスキか、ぜひコメント欄に教えてください!

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