ウィキペディア「地震の年表(日本)」にある巨大地震をまとめてみた

【はじめに】
この記事では、日本語版ウィキペディアにある「地震の年表(日本)」の記事から、『巨大地震』(M8以上)の部分をピックアップしていきたいと思います。

全体的にかなり雑多に情報が並んでいて見づらい印象を受けていたので、巨大地震の可能性がある規模の地震について抜き出すことで、全体でのトレンドが掴みやすくなるのではないかなと期待しました。

細かい地震については、リンク先のウィキペディアおよび関連書籍、そして私のブログの記事などからもお調べ頂ければと思いますので、早速みていきましょう!

地震の年表 (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちなみに、今回の記事を書くにあたって改めて本ウィキペディアの記事を読んでみたのですが、出典がかなり補われたり、疑問のあるものに「※」印がつけられたりと、工夫が重ねられていますので、古い地震に関心の高い方はご一読を推奨します。

( 同上 )

古代(4~12世紀)

中世(13~16世紀)

  • 1293年 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) – M8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3000人あまり、余震多発。
  • 1361年 正平・康安地震(南海道沖または、一部東海道沖を含むなど、震源域諸説あり) – M8+14 – 8.5、死者多数。摂津阿波土佐で津波により大きな被害。
  • 1408年 応永地震 – M7 – 8。京都で地震。
  • 1454年 享徳地震 – Mw>8.4 会津で強震、奥州海岸に大津波で人が多く流される。
  • 1498年 明応地震(東海道沖の巨大地震) – M8.2 – 8.4、『林叟院創記』に溺死者2.6万人
  • 1586年 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) – M7.8 – 8.1(8クラスの地震と6クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏帰雲城もろとも滅亡。三河湾若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層が活動したとする説もある。
    さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある。

近世(17~19世紀前半)

  • 17世紀前半……津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM8.6クラスの地震が発生したと推定されている(17世紀型の地震)。1611年または1635年説あり。
  • 1605年 慶長地震(南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) – M7.9 – 8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊阿波土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。
  • 1611年 慶長三陸地震 – M8.1Mw>8.5)。三陸沖(日本海溝付近)の地震と考えられてきたが、十勝・根室沖(千島海溝)のM9クラスとする説もある。一方、東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補ともされる。伊達領で大津波による死者約2,000 – 5,000人
  • 1614年 広い範囲で地震 – M7.7。
  • 1677年 延宝八戸沖地震 – 陸奥陸中、八戸沖(青森県東方沖)で地震 – M7+14 – 8.0、津波あり、三陸沖北部の固有地震。
  • 1677年 延宝房総沖地震(延宝地震) – M8.0前後(Mw8.5)、死者500 – 600人。福島県 – 千葉県に津波(茨城県地方史上最大の津波被害)。
  • 1703年 元禄地震(元禄関東地震) – M8.1 – 8.2Mw8.1 – 8.5)、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28,000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
  • 1707年 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) – M8.4 – 8.6Mw8.7〜9.3)、死者4,900 – 2万人以上、倒潰・流出家屋6万 – 8万軒とされるが被害の全体像は不明。関東から九州までの太平洋岸に津波、東海道宿場町で家屋倒壊・伊豆伊勢紀伊阿波土佐沿岸各地が津波で亡所となるなど大きな被害(『楽只堂年録』、『谷陵記』)。
    地震から49日後に富士山宝永大噴火道後温泉の湧出が数か月間止まる。
  • 1741年 寛保津波 – M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
  • 1771年 八重山地震(明和の大津波) – M7.4 – 8.0Mt8.5Mw8.7)、死者約12,000人。津波の最大遡上高85m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
  • 1793年 寛政地震連動型宮城県沖地震) – M8.0 – 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
  • 1833年 庄内沖地震(出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) – M7+12±14Mw8Mt8.1)、死者40 – 130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震の津波よりも規模が大きい。
  • 1843年 天保十勝沖地震 – M7.5 – 8.0、死者46人。厚岸に津波。

近代(19世紀後半~20世紀前半)

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現代(20世紀後半~21世紀前半)

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