旧震度「名瀬」(鹿児島県奄美市名瀬港町)

【はじめに】
この記事では、気象官署「名瀬(鹿児島県奄美市名瀬港町)」で観測された過去の強烈な揺れをまとめていきます。

今や全国でも数少ない「測候所」

名瀬測候所の震度観測が始まったのは、気象庁ホームページによると、1897年(明治30年)だそう。後述する「震度データベース検索」で調べられるのは1919年(大正8年)以降ですが、その前と合わせると実に125年もの歴史があるようです。

気象庁 ホーム > 各種データ・資料 > 強震観測データ > 気象庁震度観測点一覧表

ちなみにこの「名瀬」は、今でも有人の『測候所』として気象観測などを続けているそうです。(もちろん震度観測は昔のような体感ではなく全て地震計での観測に移行)

測候所(そっこうじょ)は、気象庁管区気象台の下部組織に当たる地方機関であり、その地方における気象の観測を行い、天気予報暴風警報などを発したり、また地震火山噴火)などの観測を行う場所をいう。1日8回の定時地上気象観測(気圧、気温、露点、湿度、風、雲、降水など)や地震観測などを行っている。

かつて測候所は、全国で100箇所以上も存在したが、機械による測定機能の向上、人員の削減により、2010年10月までに帯広測候所(北海道)・名瀬測候所(鹿児島県)を除いて廃止(機械化、無人化)され、特別地域気象観測所へ移行となった。

特別地域気象観測所へ移行
日本の気象庁では、「測候所」を置いて人による観測を基礎としていたが、観測技術の高度化や経費節減の要請により、北海道十勝地方の帯広と鹿児島県奄美大島の名瀬を除き、基本的に無人化された。

[3] この2箇所が有人のままとなったのは、管轄が広く、独自に警報・注意報を発表することもあるため。

測候所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

震度1以上(有感地震)は10年で250回あまり

ここから「名瀬」での震度の観測歴を、気象庁の「震度データベース検索」を通じてみていきます。

期間震度1震度2震度3震度45弱合計
1920年代27011401286
1930年代3764151423
1940年代29229102333
1950年代8940192150
1960年代8469485206
1970年代338982231462
1980年代182541541256
1990年代25393289383
2000年代199731741294
2010年代170701831262
合計2,2535781863353,055
気象庁 > 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1920/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 奄美市名瀬港町 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数

この「名瀬」での1920年から2019年までの90年代を「10年」ごとに区切って表として出力しました。

驚くべきはその数のブレの少なさで、奄美群島が日本に復帰した1950年代が最も少なく150回ですが、その他は200回以上500回以内に収まっていて、大正時代と平成・令和時代で有感地震の総数があまり変わらないのが(全国的にみても案外)珍しくて特徴的かと感じました。

震度5弱(強震)以上:ここ100年で5回

震度5弱以上の強い揺れとなると、1926年に詳細不明が1件あり、これを含めると約100年で5例で、これを除くと、1970年の元旦以降で4例となります。全て奄美大島近海を震源とする中規模地震です。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度「名瀬」
1926/07/04 07:18詳細不明0 km不明震度5震度5
1970/01/01 04:01:51.6奄美大島近海0 km6.1震度5震度5
1987/04/30 10:10:30.8奄美大島近海9 km5.2震度5震度5
2001/12/09 05:29:34.5奄美大島近海36 km6.0震度5強震度5弱
2015/05/22 22:28:46.2奄美大島近海21 km5.1震度5弱震度5弱
気象庁 > 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1920/01/01 00:00 ~ 2022/05/31 23:59
・観測された震度 : 奄美市名瀬港町 で 震度5弱以上 を観測
・検索結果地震数 : 5 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

発生時期は、1970・1987・2001・2015年と十数年の間隔を置いて発生しているかの様に見えます。もちろん規則性があるとは到底思えない震源位置ですし、これは偶然が周期性をもって見てるぐらいの等間隔なだけかとは思います。

直近のM6の事例としては、2001年に奄美大島の間近で起きた(画像では中央下にある黄色い●)例が最新で、震央に近い「住用町」で震度5強、名瀬の2地点で震度5弱を観測したほか、鹿児島市や南城市でも有感となる大きめな地震でした。

震度6(烈震):1911年(明治時代)『喜界島地震』

そして、気象庁の「震度データベース検索」にはヒットしないものの、明治の終わり頃(1911年:明治44年)に起きた『喜界島地震』では、震度6に相当する『烈震』を観測しています。

喜界島地震(きかいじまじしん)は、1911年明治44年)6月15日23時26分、鹿児島県喜界島南方(北緯28度、東経130度付近と推定)で発生した地震。規模はマグニチュード 8.0(Mw8.1)。名瀬測候所で震度6に相当する揺れ(烈)を観測したほか、那覇測候所などでも震度5相当(強)の揺れがあった。

喜界島地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

喜界島では建物の1割以上が倒壊し大きな被害が出たほか、奄美大島や沖縄本島でも強烈な揺れと被害が出たと伝わっています。もちろん今の気象庁震度階級と定義などが違うとはいえ、最強クラスの揺れが観測されたという事実は見過ごせません。

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また、地震の規模や震源位置、震源の深さに関しては諸説あり、津波の高さなどについても様々な研究が行われていますが、まずもって大事なのは、近代以降で起きた南西諸島での地震では最大級のものであり、巨大地震(M8クラス)の可能性も考えられるクラスのものだったという点です。

大正時代以降、台湾に近い海域を除くと、あまり巨大な地震が南西諸島では起きておらず、強い揺れに見舞われた経験も全くと言って良いほどないかと思います。しかし、今から100年あまり前(気象庁の震度データベース検索ではヒットしない時代ですが)には強烈な揺れに見舞われた事があるんだという事実を知っておいて損はないという風に感じました。

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