群発地震がしばらく続いた後に強い地震が来た事例

【はじめに】
この記事では、タイトルにあるとおり「群発地震がしばらく(数ヶ月から数年規模)続いた後に、強い地震が来た事例」を幾つかまとめていきたいと思います。

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『天災は忘れた頃にやってくる』ではないですが、今回の「石川県能登地方(珠洲市で震度6弱)」の様な事例は過去にも起きて、大きな被害をもたらしたことがありましたので、どうぞ今後の防災にお役立て頂ければ幸いです。早速参りましょう。

昭和時代:震度6の地震の半年前からの前駆活動

少し古い時代になりますが、当時最も高い震度だった「震度6(烈震)」を観測した昭和時代(戦前)の2例を取り上げることとしましょう。

(1930年)「北伊豆地震」

北伊豆地震(きたいずじしん)は、1930年昭和5年)11月26日早朝に発生した、直下型の地震。地元では伊豆大震災(いずだいしんさい)とも呼ばれる。

震源地は静岡県伊豆半島北部・函南町丹那盆地付近。地震の規模はMj7.3 (Mw6.9)。北伊豆地震地震断層系の丹那断層などの活動により生じた。

北伊豆地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

11月26日に震度6(烈震)を観測する大地震が発生し、冬にかけて小規模な地震が頻発しましたが、下にある通り「前震」が極めて顕著だったそうです。

非常に顕著だったのは前震であった。ふたつの活動期を持った伊東群発地震の第1期は、1930年(昭和5年)2月13日から4月10日頃まで東伊豆・伊東沖で群発し、一時的に沈静化したが5月8日から再び活発化し伊東を中心とした地域で1368回もの有感地震が起き8月には群発地震は終息した。
第2期は11月7日から始まり三島で無感地震を2回観測したのをかわきりに新たな群発地震が伊豆半島の西側(網代の西方10 km付近)で発生した、前震は数を増し、本震前日の25日までに2,200回を超える地震を記録した。そして25日16時5分にM5.1(最大震度4)の前震があり、26日未明に本震が発生した。

( 同上 )
(出典)気象庁 震度データベース検索 より画像引用
・地震の発生日時 : 1930/01/01 00:00 ~ 1930/11/25 23:59
・地震の規模 : M 5.0 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 静岡県伊豆地方 もしくは 静岡県東部 もしくは 伊豆大島近海 もしくは 伊豆半島東方沖
・検索結果地震数 : 11 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

現代風にいえば、全て緊急地震速報が出ていてもおかしくないレベルの中規模地震です。確かに歴史的にみて群発地震の起きやすい伊豆半島の東側とはいえ、これだけの地震は恐怖心を覚えると思います。

1930年11月25日の夕方に約半年ぶりに中規模地震が現在の伊豆の国市付近で起きると、その翌日に、先ほど触れた「震度6」の地震が起きたのです。これまでと震源位置の異なる場所で地震が起きたことが、後から振り返ると「前兆」だったと言えるのかも知れませんが、中々難しいところです。

(1943年)「鳥取地震」

鳥取地震は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。M7.2 (Mw7.0)。
震源が極めて浅く、気高郡湖山村(現・鳥取市)で最大震度7(推定) 、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1,000名を超える死者を出した4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の一つである。

鳥取地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

結果的には、昭和東南海地震の前年に起きたということになる「鳥取地震」は、戦争が激化していた1943年に発生し、時間帯なども相俟って賢明な消火も行われましたが、1,083名の犠牲者が出ました。

( 同上 )

この地震に先立つこと約半年、3月頃に中規模地震が4度立て続けに発生したことがありました。その後は名残のように小規模地震が夏にかけて起きた程度……だったのですが、これが後から振り返ると、先行地震活動だったということになるのでしょう。

以上の2例は、いずれも戦前・戦中と昔に起きた事例ではありますが、仮に現代に起きても大きな被害をもたらしうるものです。パターンの共通部分をまとめると、

  • 上半期に、中規模で最大震度5クラスの地震活動が発生。(当時の基準でいう)余震活動も活発で「群発地震」の傾向にあったが、夏頃までに終息したと感じる低調ぶり
  • 時々ぶり返したように地震が発生するも「余震の名残」のように感じてしまいかねない推移
                       ↓
  • マグニチュード7クラスの大地震で、最も強い階級の震度を観測、甚大な被害が襲う

こうした事象が100年も経ていない時代に実測されているという事実は、決して昔話などではなく現代においても発生しうるということです。2016年の【熊本地震】は本震が1日余り後に起きた訳ですが、『最初の地震が最大とは限らない、群発地震が収まったからといって完全に終息したかは分からない』という教訓は、極めて重要だという風に感じますね。

(参考)1965~70年「松代群発地震」

そして、昭和40年代に世界的にみても珍しい推移をみせた「松代群発地震」についても触れておきたいと思います。

松代群発地震(まつしろぐんぱつじしん)は、長野県埴科郡松代町(現長野市)付近で1965年昭和40年)8月3日から約5年半もの間続いた、世界的にも稀な長期間にわたる群発地震である。松代地震とも呼ばれている。

震源地は皆神山付近。総地震数は71万1,341回。このうち、有感地震は6万2,826回(震度5…9回、震度4…48回、震度3…413回、震度2…4,596回、震度1…5万6,253回)を数えた。

松代群発地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原因に諸説あるのは、2022年の能登半島の地震とも似ています。「水噴火」説などが有力とされているのかも知れませんが、『約5年半と長期』に『有感地震だけで数万回』という頻発度合いで、なおかつ『震度5が延べ9回』も発生した点は、想像に絶します。こうした事象が起きたことも抑えましょう。

平成時代:鳥取県で再び顕著な事例が発生

観測が体感から機械計測に完全に移行したことで、群発地震を捕捉できる可能性が高まった平成時代。特筆すべき例として、鳥取県での2例を取り上げたいと思います。

(2000年)「鳥取県西部地震」

1980年代末以降、日本海沿岸域の広域で地震活動は静穏化していたが京都府北部から鳥取県西部地域のこの地震の震源域では、M5クラスの地震が数回(1990年、1991年、1997年)発生し1997年は群発地震の様相を呈していた、日本海沿岸の静穏域の中では活発な活動が起こっていた場所である。

この様な静穏域中の活動域は、応力の集中しているアスペリティとして注目されていたが、2000年 M7.3 の地震の予見までには至らなかった。

鳥取県西部地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(出典)気象庁 震度データベース検索 より画像引用
・地震の発生日時 : 1989/01/01 00:00 ~ 2000/10/05 23:59
・地震の規模 : M 4.5 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 鳥取県西部
・検索結果地震数 : 12 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

試しに、「鳥取県西部」を震源とする地震が纏めてみると、確かに平成に入ったあたりから度々群発化の兆候が見られました。現在の鳥取県南部町の南側で「M7.3」の大地震が起きましたが、その前十数年(平成以降)から中規模クラスの地震が起きていたことは注目に値すると思いますね。

(2016年)「鳥取県中部地震」

1年前の2015年10月から、鳥取県中部では地震活動が活発になっていた。

2015年10月から本震直前の2016年10月21日14時までに、鳥取県中部を震源とする最大震度1以上の地震は51回発生している(最大は震度4)。本震2時間前の2016年10月21日12時12分にも本震震源のすぐ近くを震源とするM4.2、最大震度4の地震が起き、その後も本震直前まで体に感じない微小地震が続いていた。

鳥取県中部地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(出典)気象庁 震度データベース検索 より画像引用
・地震の発生日時 : 2015/10/01 00:00 ~ 2016/10/21 13:59
・地震の規模 : M 3.0 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 鳥取県中部
・検索結果地震数 : 12 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

北東の固まりが2015年の地震活動で、南西のものが2016年9~10月の地震活動です。そして、三朝町でM6.6の地震が午後に起きると、北北西側にかけて広がりを見せました。こちらも一旦終わったかに見えた地震活動が再燃して大きな地震に繋がった事例といえるでしょう。

(出典)気象庁 震度データベース検索 より画像引用
・地震の発生日時 : 2016/10/21 00:00 ~ 2016/12/31 23:59
・地震の規模 : M 4.0 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 鳥取県中部
・検索結果地震数 : 12 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

また、以下のような事例も数ヶ月にわたって強烈な揺れを伴う地震が複数回発生しています。最初の地震が必ずしも最大規模、最も強い揺れとは限らない事例として抑えておきましょう。

令和時代:2020年代に複数例発生

(2021年)「トカラ列島群発地震」

2021年4月に有感地震264回を数え、そこから年末12月に地震活動が再発し、同年の活動の中では最大となる「M6.1・震度5強」を観測した事例も、これまで本州で起きた事例と似ていると思います。こうした事例は場所を問わず起こりうるものだと感じさせられますね。

トカラ列島群発地震 (2021年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(2023年)「石川県能登地方」

2022年6月19日、M5.4・最大震度6弱という地震が“珠洲市”で発生。能登半島の先端に位置する同市では1年半近く活発な地震活動が続いてきましたが、その中でも最大規模のものが発生したのでした。

(出典)気象庁 震度データベース検索 より画像引用
・地震の発生日時 : 2020/12/01 00:00 ~ 2022/06/17 23:59
・地震の規模 : M 3.0 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 石川県能登地方 もしくは 能登半島沖
・検索結果地震数 : 91 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

気象庁の報道発表資料などを見ても、震源位置が4つの固まりを形成しているように見えるそうですが、単純な有感地震の推移をみても、回数が増えたり、震度の強い揺れが観測されたりし始めました。2022年春以降は、2021年秋をも上回る回数が常態化していました。

期間震度1震度2震度3震度45弱5強6弱6強合計
2020/12401000005
2021/01010000001
2021/02001000001
2021/03010000001
2021/04000000000
2021/05310000004
2021/06311000005
2021/07510100007
2021/0810320000015
2021/09421010008
2021/108230000013
2021/112620000010
2021/12531000009
2022/01330000006
2022/02411000006
2022/0311642000023
2022/047812000018
2022/0511130000015
2022/0630931011045
2022/07810000009
2022/087210000010
2022/0912310000016
2022/1010000000010
2022/1118331000025
2022/129220000013
2023/017311000012
2023/02522000009
2023/0312130000016
2023/049110000011

2022年6月には、最大震度6弱を観測する地震が発生し、珠洲市で被害が出たほか、その翌日にも最大震度5強の地震が発生するなど活発な活動が認められました。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度
2021/09/16 18:42:30.2石川県能登地方13 km5.1震度5弱
2022/06/19 15:08:07.5石川県能登地方13 km5.4震度6弱
2022/06/20 10:31:34.4石川県能登地方14 km5.0震度5強
2023/05/05 14:42:04.1能登半島沖12 km6.5震度6強
2023/05/05 21:58:04.1能登半島沖14 km5.9震度5強

そして、約1年後の2023年5月5日、ゴールデンウィーク5連休の中日に、前年の地震の50倍近くという規模を持つかなり大きめな地震が起きました。緊急地震速報ではM7.0の震度7と予報され、実際にはM6.5(暫定値)となりました。

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