【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「尾崎紀世彦」さんです。
尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月1日 – 2012年〈平成24年〉5月30日)は、日本のポップス歌手。神奈川県茅ヶ崎市出身。
1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年にカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。1967年からコーラス・グループ「ザ・ワンダース」を経て、1970年にソロ歌手としてデビュー。愛称は「キーヨ」。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。
尾崎紀世彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )
来歴・人物
バレエダンサーの両親のもと、東京都渋谷区に男3人兄弟の次男として生まれ、小学校入学時より神奈川県茅ヶ崎市で育つ。父、繁(芸名:藤田繁)と兄の彰彦(芸名:藤田彰彦)はクラシック・バレエのダンサー・演出家、母:礼子は日劇ダンシングチームの一期生。父方の祖父はイギリス人のHenry Buckingham Lucas、本人は日英クォーターである。
幼少の頃から米軍向けラジオFENでジャズやカントリー等に親しんでいた。茅ヶ崎市立第一中学校卒業後、YMCA国際ホテル学校へ進学する。趣味は小学生で始めたサーフィン、乗馬、祭りの神輿担ぎ、ハーレーの収集とツーリング、縦目メルセデス(オールドベンツ)でドライブ、ヨット、沖縄でスクーバ、射撃、銀細工、シルバーアクセサリーの収集、料理。
( 同上 )
1967年1月、グループ・サウンズでも活躍したコーラス・グループザ・ワンダースを結成する。初期メンバーは、栗敏夫と朝紘一、尾崎の3人。TBSやNHKのポップス番組に出演し、洋楽カヴァー、テレビ主題歌などをリリースする。 「ジ・エコーズ」名義で『ウルトラセブン』の主題歌・挿入歌も担当。主題歌冒頭で連呼される、3番目の「セブ〜ン♪」が尾崎の声である。シングル「また逢う日まで」レコーディングの際には、既に解散していた元メンバーが再結集しバックコーラスを務めた。
Rxヒット指標にみる代表曲
以下、私(Rx)の独自指標に基づく代表曲をみていきます。
3位:50万pt(1971年)『さよならをもう一度』・『愛する人はひとり』
「さよならをもう一度」(さよならをもういちど)は、尾崎紀世彦の楽曲。1971年7月25日、3枚目のシングルとして日本フォノグラムより発売。規格品番はFS-1203。
前作のヒット曲「また逢う日まで」に続く1位獲得にはならなかったが、オリコンシングルチャート2位、同チャート集計売上は44.4万枚を記録した。
さよならをもう一度 (尾崎紀世彦の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「愛する人はひとり」(あいするひとはひとり)は、尾崎紀世彦の楽曲。1971年11月25日、5枚目のシングルとして日本フォノグラムより発売。規格品番はFS-1225。
前作のリカットシングル「雪が降る」から、1か月後に発売。オリコンシングルチャート2位、1972年の年間16位、同チャート集計売上は39.3万枚を記録した。
愛する人はひとり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以上2曲は、3月にリリースした『また逢う日まで』が年末にかけてロングヒットしたことを受けて、50万枚に迫る売上を記録した3・5枚目のシングル曲です。
2位:70万pt(1972年)『ゴッドファーザー〜愛のテーマ』
『ゴッドファーザー 愛のテーマ』 (Love Theme from The Godfather) は、1972年の映画「ゴッドファーザー」(ゴッドファーザー三部作の第1作目)のために作曲された。インストゥルメンタルのバージョンの時はシンプルに「ゴッドファーザー愛のテーマ」として知られ、英語ボーカルのバージョンの時には「Speak Softly Love」と呼ばれる。作詞Larry Kusik、作曲ニーノ・ロータ。
日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1972年7月17日付から14週連続1位を獲得し、1972年の年間チャート1位となった。最初はアンディ・ウィリアムスによって歌われ、ボビー・ヴィントンなど多くのアーティストによってカバーされている。
愛のテーマ (ゴッドファーザー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
B面というか「両A面」でリリースされ、2曲目収録の『ゴッドファーザー〜愛のテーマ』で、2回目の「NHK紅白歌合戦」出場を果たしました。
この70万ptという値は、カバーアーティスト数をやや過剰に計上しているため、実際には参考程度にご覧いただければと思いますが、尾崎紀世彦さんの歌唱力が「NHK紅白歌合戦」などの音楽番組を通じて広くお茶の間に知れ渡ったので、この順位としました。
1位:190万pt(1971年)『また逢う日まで』
「また逢う日まで」は、尾崎紀世彦の楽曲。1971年3月5日、ソロ2枚目のシングルとして日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)より発売。規格品番はFS-1183。
オリコンシングルチャートで1位を獲得、同チャート集計では100万枚に近いセールスを記録した。累計では100万枚を突破している。
同年12月31日、初の第13回日本レコード大賞・大賞と第2回日本歌謡大賞・大賞をダブル受賞する。同日に開催された『第22回NHK紅白歌合戦』に白組トップバッターとして初出場。1990年にも、『第41回NHK紅白歌合戦』で「また逢う日まで」が歌唱されている。
翌1972年、第44回選抜高等学校野球大会入場行進曲、1977年には、バレーボールワールドカップのイメージソングに選ばれた。
また逢う日まで (尾崎紀世彦の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1970年代の始まり、『また逢う日まで』は、男性の歌うカッコいい曲の代名詞的な1曲だったという風に感じています。Rxヒット指標ではダブルミリオンに近い大ヒットとなっていますし、亡くなって10年が過ぎた令和の時代にかけても、
平成生まれの子たちが選んだランキングにも登場しましたし、私が実況する「NHKのど自慢」でも、
令和に入ってからでも年に複数回ペースで歌われていて、高い合格率を誇っています。半世紀を経ても歌い継がれる名曲、今一度お聞きになってみては如何でしょうか。
ちなみに、YouTubeで「尾崎紀世彦」さんを検索すると、ご自身の楽曲以外にも、昭和・平成の名曲をカバーした動画も再生回数が伸びています。これも、尾崎さんの歌声・歌唱力が幅広いジャンル・視聴者層に高く評価されている結果かと思いますね。
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