Rxヒットアーティスト列伝 ~梓みちよ~

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「梓みちよ」さんです。

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梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日 – 2020年1月29日)は、日本歌手女優。本名:林 美千代(はやし みちよ)。血液型はO型。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。

日本統治下の朝鮮釜山市生まれ福岡県福岡市博多区出身。福岡女学院中学校・高等学校2年中退。宝塚音楽学校中退。1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。

梓みちよ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Rxヒット指標にみるオリジナルの代表曲

再生回数は「÷10(万)」換算。

1位:160万pt(1963年)『こんにちは赤ちゃん』

1963年7月、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大会開会式入場行進曲に採用された。

更には1964年5月に東京都文京区椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。

梓みちよ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

驚くのは、『こんにちは赤ちゃん』が発売された当時、梓みちよさんは20歳だったという事実です。恐らく歌唱したのは10代の頃だったでしょう。それが平成の時代にも愛唱される大ヒット曲に繋がったという事実は、わがヒット指標からも明らかです。

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1963年のNHK紅白歌合戦では、優しく語りかけるように歌い始め、ラストサビの部分では朗々と自分の歌唱を伝えようとする心の強さが感じられるパフォーマンスでした。初出場にして番組後半に登場し、坂本九さんの『見上げてごらん夜の星を』と対戦したのは本当に快挙だったかと思います。

第14回NHK紅白歌合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2位:130万pt(1974年)『二人でお酒を』

1974年には床に座り込んで歌う「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が久々に大ヒット。同曲で第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、同年末の第16回日本レコード大賞・大衆賞をそれぞれ受賞し、また『第25回NHK紅白歌合戦』にも5年ぶり8回目の復帰出場を果たし、イメージ・チェンジを成功させた。一方、1971年7月から1978年2月まで『新婚さんいらっしゃい!』(司会・桂三枝)の2代目アシスタントを務めていた。

梓みちよ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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作詞は山上路夫、作曲は平尾昌晃による。大人の恋愛模様を描いた楽曲で、本作の大ヒットにより梓自身も清純派からのイメージ転換に成功した、と評価されることがある。

梓は、1963年に発表した「こんにちは赤ちゃん」の大ヒットで人気歌手になったものの、それから11年過ぎ、「いつになったらこの歌から抜けられるのか」と思うようになり、「自分を解放してくれる歌」を望んでいた。

そこで、梓の所属事務所は、山上と平尾に「梓を脱皮させる」新しい曲作りを託す。作詞の山上路夫は数日間考え続けたが、結局「酒好きの梓らしい、お酒を飲む女性像が一番」と考えた。演歌歌手ではない梓に酒の歌を歌わせることはためらいもあったものの「新局面を開くには冒険も必要」と割り切った。梓自身も「酒好きの自分にぴったりでうれしかった」とすぐに気に入った。

二人でお酒を
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大ヒット曲からの脱却に苦心し、凋落していく歌手の方が多い中、梓みちよさんは「イメージ転換」に成功しました。Rxヒット指標としてみると、発売当初から大注目をされた『こんにちは赤ちゃん』以来のミリオン相当であると共に、130万pt(30万pt差)というのは代表曲にかなり肉薄した結果だったという風な見方もできると感じました。

実はJASRACのデータベース「J-WID」によれば、『こんにちは赤ちゃん』よりもカバーアーティスト数が上回っているという事実も興味深かったです。

3位:50万pt(1976年)『メランコリー』

解説
1976年大晦日の『第18回日本レコード大賞』で編曲賞を受賞。続いて『第27回NHK紅白歌合戦』に、通算10回目の出場を果たし、本楽曲を歌唱した(翌年の『第28回』は落選し、次の紅白出場は16年後の1992年の『第43回』)。翌1977年に入ってからもロングヒットを続け、1977年のオリコン年間ヒットチャートで第59位にランクインした。レコード盤。

制作
フォークの作詞家だった喜多条忠に吉田拓郎から、「お前に歌謡曲の作詞はムリだろ?」と挑発され、喜多条は奮起して歌詞を書いた。本作を切っ掛けに喜多条は歌謡曲の歌詞も書くようになった。

レコーディングでは、吉田拓郎が梓みちよに、「アナタは歌がうまいから困るんです。僕としては、もっと下手に、そう、思い切って下手クソにやってほしいんです」と言うと、梓は目一杯下手クソに歌って一言、「これでいいわけ。フン、変なの、アンタたちの音楽」といったと言われる。

メランコリー (梓みちよの曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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(参考)洋楽カバーなどについて

Rxヒット指標では、カバーアーティスト数の指標などがうまく区別できないため、上記ランキング表には掲載しませんでしたが、梓みちよさんはオリジナルソロ曲だけでなく多くの洋楽カバーでも名を馳せており、NHK紅白歌合戦への出場にはカバー曲も多くありました。

特に全米でも3週連続1位を獲得した『ヘイ・ポーラ』を、田辺靖雄とカバーし、こちらは昭和30年代の青春ソングとして日本でも大ヒットしました。時代の超越ぶりは欧米を上回っているかも知れませんね~

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