ウィキペディア小旅行「ジンバブエ共和国」(Republic of Zimbabwe)

【はじめに】
皆さん「Wikipediaで小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は、アフリカのジンバブエ共和国です。素敵な旅をお過ごし下さい。

ジンバブエ共和国(ジンバブエきょうわこく、英: Republic of Zimbabwe)、通称ジンバブエは、アフリカ大陸の南部に位置する共和制国家。首都はハラレ

内陸国であり、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に隣接する。なお、地図を一見すると接しているように見えるナミビアとは、ザンビア、ボツワナを挟んで150メートルほど離れている。2003年に脱退するまでイギリス連邦の加盟国だった。

初代首相、2代目大統領を務めたロバート・ムガベは1980年のジンバブエ共和国成立以来、37年の長期に渡って権力の座につき、その強権的な政治手法が指摘されてきたが、2017年11月の国防軍によるクーデターで失脚した。

ジンバブエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(以下同)

面積:390,757km2、人口:14,863,000人

独立
・ローデシアとして(国際的に承認されず) 1965年11月11日
・ジンバブエとして 1980年4月18日

国名

国名はショナ語で「石の館(家)」を意味し、ジンバブエ国内にあるグレート・ジンバブエ遺跡に由来する。かつては南ローデシアと呼ばれていた。

歴史

経済危機とハイパーインフレ (1999–2008)

コンゴ民主共和国への派兵
1999年、コンゴ民主共和国(以後、コンゴと表記)のカビラ大統領と親交のあったムガベ大統領は内戦(第二次コンゴ戦争)が勃発したコンゴに約1万人の軍を派兵した。コンゴのカビラ大統領を支えるという名目だったが、真の目的としてコンゴにあるムガベ一族所有のダイヤモンド鉱山を守る事や、それらのダイヤモンドのほか銅や金など、コンゴの地下資源を狙う理由があった。反対運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領が暗殺されるなどコンゴ派兵は混乱を招いた。ムガベ大統領は第二次コンゴ戦争への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。

そのためムガベ大統領への批判が相次ぎ、イギリスのマスメディアなどは、ムガベ大統領は批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えていったとしている。

白人大農場の強制収用
ムガベは初めは黒人と白人の融和政策を進め、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から4,500人の白人が所有する4,000箇所以上の大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された。

この結果、白人地主が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後、世界最悪になるジンバブエ・ドルハイパーインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、ムガベの長期政権・一党支配に対する不満と相まって、治安の悪化も問題となった。また、言論の統制などの強権的な政策は、外国や人権団体などから批判を受けている。

なお本政策については、2020年8月に後継のムナンガグワ政権が農地を収用された白人農業経営者らに対して35億USドル(約3700億円)の保証金を支払うことで合意したほか、農地の所有権の返還申請を可能とすることを発表している。

政治

ジンバブエ国外との関係
前述の植民地時代の影響で反英感情または反白人感情が強く、CNNやBBCの取材を禁じているほか、白人の持つ農地の強引な国有化、白人所有大農場の強制収用などの政策が行われた。ムガベ大統領の思想も影響しており、ムガベは自分を非難したアメリカのライス国務長官を「白人の奴隷」と侮辱し、過去のアメリカ合衆国の黒人奴隷制度の批判もしていたため反米感情もある。その一方で、2014年現在でジンバブエが支援を受けている二大主要国はアメリカ合衆国(約178百万ドル)とイギリス(約171百万ドル)という構図となっている。

非白人国家である中華人民共和国や南アフリカ共和国と友好関係を深めており、両国の影響力が極めて強い。特に中国は大統領になる前からムガベを支援していた関係にあり、ムガベの後継者の座を争ったグレース夫人とムナンガグワはどちらも中国への留学歴を持っている。

経済

石炭、クロム鉱石、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナを産し、農業・観光と共に重要な外貨獲得産業である。とくに白金は世界最大級の埋蔵量を誇り、2006年に発見されたダイアモンド鉱山も2014年に12百万カラットと世界有数の産出量がある。ビクトリア滝に代表される観光資源だが森林破壊による野生動物の減少が深刻化している。

IMFの統計によると、2013年のジンバブエのGDPは132億ドルである。一人当たりのGDPは1,007ドルであり、隣接する南アフリカ共和国やボツワナと比べると大幅に低い水準にある。

かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済を有する国家であった。白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われており、外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国として、ヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった。特に小麦の生産性は高く、10アールあたりの単位収量は1980年代から1990年代にかけては550kgから600kgにものぼり、ヨーロッパ諸国と肩を並べ世界最高水準に達していた。

白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊により、農作物の収量は激減した。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、さらに部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した。2002年には経済成長率は-12.1%を記録した。旱魃により食糧不足が深刻化し、加えて欧米各国による経済制裁が影響し、2003年末には600%のインフレが発生。2006年4月には1,000%以上に達した。

文化

スポーツ

ジンバブエにおけるスポーツは、過去2回ワールドカップに出場経験のあるラグビー、2003年にケニアや南アフリカとワールドカップを共催したクリケット、さらにはサッカーやテニスなどが、国際大会で実績を残してきた分野である。

ゴルフでは、ワールドゴルフランキング1位にもなった1990年代を代表するプロゴルファーの一人であるニック・プライスを輩出している。さらに競泳では、五輪や世界水泳で多くのメダル獲得や世界記録を打ち立てたカースティ・コベントリーが活躍している。

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