【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は北ヨーロッパ(バルト三国)の「エストニア共和国」です。素敵な旅をお過ごし下さい。
概要
エストニア共和国(エストニアきょうわこく、エストニア語: Eesti Vabariik)、通称エストニア(エストニア語: Eesti)は、北ヨーロッパの共和制国家。首都はタリンである。
バルト三国では最も北に位置し、南は同じバルト三国であるラトビアと、東はロシア連邦と国境を接する。北はフィンランド湾を挟んでフィンランドと、西はバルト海を挟んでスウェーデンと向き合う。
ソビエト連邦の崩壊に伴い独立を回復。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟して親欧米政策をとっている。経済協力開発機構(OECD)にも加盟している。通貨はユーロ。人口は約132万6000人。
概要
フィンランド、ロシアとともにフィンランド湾に面する3つの国の一つで、湾を挟みフィンランドから約90キロメートル南に位置する。
また、バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も北の国でもある。国土は北はフィンランド湾、西はバルト海に面する。南はラトビア、東はロシアと国境を接する。面積は、日本の九州本島の1.23倍。地形は平坦で、最高標高は318メートル。国連の分類では北ヨーロッパの国である。
中世ハンザ都市として栄えた港湾都市でもある首都のタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルクと同じく、フィンランド湾に面する主要都市の一つである。特に85キロメートル北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発である。
13世紀以降、デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国などの支配を経て、第一次世界大戦末期の1918年にロシア帝国より独立。第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦により占領(バルト諸国占領)され、翌1941年に独ソ戦でナチス・ドイツが占領。1944年、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合された。1991年、ソ連崩壊の過程で独立を回復し、2004年、EU・NATOに加盟した。2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関の本部所在国となる。
なお、エストニア政府では建国年を1918年としており、1991年にソ連の占領から独立を「回復」したと見做しているため、自国は「旧ソ連構成国」ではないとしている。
電子政府・電子国家
エストニアはITを行政に活用する「電子政府」を構築しており、婚姻届と離婚届など倫理的な要因であえて除外されているものを除くほぼ全ての行政手続きがオンライン申請に対応している。
エストニアの省庁や企業、個人は「X-Road」という基盤情報システムで個人情報を登録・利用している。個人情報の所有権は各個人にあると定めており、自分の情報へのアクセス履歴を閲覧できる。
経済
国際通貨基金(IMF)の統計によると、2018年のエストニアのGDPは303億ドルである。1人あたりのGDPは2万2,990ドルで、EU平均の3万6,735ドルの約62.6%ほどではあるが、バルト三国の中では最も高い。
エストニアの経済状況はバルト三国中で最も良好である。フィンランドから高速船で1時間半という立地と、世界遺産に登録されたタリン歴史地区を背景に、近年は観光産業が発達している。1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。そのほかにもIT産業が堅調で、最近ではeストニアと呼ばれている。
ヨーロッパのIT市場においてオフショア開発の拠点となっており、IT技術者が多い。ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカー(単に高度なIT技術を有する人物を指す語であり、その技術を反社会的に利用するクラッカーとの違いに注意)が多いとも言われる。そして、2018年には同盟国のルクセンブルクにデータ大使館を開設。領土外に専用サーバーを置いてバックアップをとっておくことで、国が扱うあらゆるデータ、情報システムの破壊や紛失、盗難に備えることを目的としている。
また、アメリカ合衆国の大手シンクタンクであるヘリテージ財団による経済自由度指標では、世界第15位(2019年現在)にランク付けされており、政府による経済統制はほとんどないとされる。すなわち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランドがある。
著名な出身者
詳細は「エストニア人の一覧」を参照
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