ウィキペディア小旅行「ナウル共和国」

【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回は「ナウル共和国」を巡っていきます。素敵な旅をお過ごし下さい。

ナウル共和国(ナウルきょうわこく、ナウル語Repubrikin Naoero)、通称ナウル(ナウル語: Naoero)は、太平洋南西部のナウル島を領土とする共和国である。

ナウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

かつては、リン鉱石の輸出によって栄えた。1980年代には太平洋地域で最も高い生活水準を享受し、公共料金や税金は無料という生活を謳歌していた。しかし、リン鉱石の枯渇により1990年代後半から経済が破綻状態となり、再建に向け模索が続いている。

ナウル共和国旗は黄色の横棒が赤道で、白い部分がナウル島を表している。

国名

正式名称は、ナウル語Naoero, Republik英語Republic of Nauru。旧称はプレザント島Pleasant Island)。「Naoero」(現地語でナウル)という名称は「私はビーチに行く」を意味する”a-nuau-a-a-ororo”という文章を縮めたものである。

歴史

ナウル人がナウル島に渡来した時期は考古学言語学の調査が十分に行われていないため詳細は不明で、紀元前2000年頃に西方からカヌーによって行われたと推測されている。そのため近隣のマーシャル諸島キリバスと同系統のミクロネシア系の文化を持つ社会が存在していたとされる。またメラネシア系文化の影響も多分に受けており、古代にメラネシアとの交渉があったと推測されている。

1888年4月にドイツ国保護領となる。第一次世界大戦でドイツがイギリスに宣戦布告したことで1914年11月にオーストラリア軍はナウル島を占領し、戦後の1920年にはイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連盟委任統治領となった。

1942年8月に日本軍が占領。1,200人の島民がチューク諸島に強制連行され、多くの島民が死亡した。第二次世界大戦後の1947年には再びイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連合信託統治領となった。

1966年に内政自治を獲得、1968年1月31日には独立してイギリス連邦に加入した。1980年代には、リン鉱石の輸出で得た莫大な収入により太平洋地域で最も高い生活水準を有していた。しかし、その後のリン鉱石の枯渇によって政府は深刻な財政危機に瀕した。2004年からの改革によって状況は多少改善され、リン鉱石の2次採掘が開始されたことで輸出による収入も増加傾向にある。

地理

ソロモン諸島ギルバート諸島の間、バナバ島の西方300キロメートル、シドニーの北北東3930キロメートルに位置する。国土面積は21km2。隆起サンゴ礁島で最高点でも標高が65メートルと平坦である。

地方行政区分
ヤレン地区に政庁があることから、一般にナウルの首都はヤレンとされる。しかしナウルには行政上都市は存在せず、従って公的に定められた首都も存在しない。
ヤレン地区の人口は2004年現在で1,100人。

1999年国際連合に加盟。中華民国台湾)を国家承認しているほか、国際的にはジョージアの一部とみなされているアブハジア共和国南オセチア共和国を国家承認している。2020年10月23日核兵器禁止条約に批准した。

経済

伝統的にナウルの人々はココヤシタコノキの栽培と漁労による生計経済を営んでいたが、リン鉱石が発見されて以降は経済が激変する。ナウルの経済は長い間リン鉱石の採掘に支えられてきたが、その枯渇と海外資産の喪失により1990年代後半から破綻状態となった。しかし2004年からの改革によって状況は多少改善されている。

リン鉱石の採掘は1907年に開始された。一度は枯渇したものの、2次採掘(リン鉱石の二次層の採掘)が開始されたことで収入は増加基調にある。二次採掘は30年から40年行えると推測されている。

ナウルのリン鉱石は、鳥の糞と死骸が混ざりあったグアノが島の土壌やサンゴ礁と混ざりあったことで時間の経過とともに形成されたという。

(出所)Gapminder 財団 > Bubble Charts

(↑)ざっくり「LEVEL2」から「4」に1975年まで進み、2007年には「LEVEL2」(1950年当時)まで衰退、今は「LEVEL3」まで復帰(2019年まで)。

文化

オーストラリアの影響でオージーフットボールが盛んであり、ナウルの国内リーグも存在している。

サッカーナウル代表1994年10月2日に、デニゴムドゥ地区ソロモン諸島代表と1度だけ国際Aマッチ(親善試合)を行っており、2-1で勝利している。それ以降2022年現在に至るまで、代表チームは試合を行なっていない。

日本との関係

詳細は「日本とナウルの関係」を参照

SNS上の日本語向け観光プロモーションの一環として、ナウル共和国政府観光局日本事務所による日本語の公式Twitterアカウントが2020年10月1日に開設され、1週間でフォロワー数は2万人超、2022年11月17日時点で約40万人となっている。また、2021年8月にはナウル共和国政府観光局日本事務所の公式グッズを取り扱うオンラインショップ「ナウル屋」の公式Twitterアカウントも開設され、「ナウル日本友好バッチ」などを始めとする商品の広告を行っている。

鳥取県との関係
鳥取県知事の平井伸治のキャッチフレーズである「スタバはないけどスナバはある」を無断で借用し、公式Twitterで発信をした。当日、鳥取県知事の平井伸治は、知事定例記者会見にて、「使用許諾を与えたい」とコメントを出している。また、 鳥取砂丘観光の振興につなげようと「すなうる」の新たなダジャレを考案し、売り込むためにすナウル共和国連合の設立をナウル共和国に提案した。

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