【はじめに】
この記事では、私(Rx)が独断と偏見で決めた【妄想企画】「Rx紅白歌合戦」の曲順などを振り返ってまいります。各時代を彩ったヒット曲などを振り返る際のひとつの参考となれば幸いです。
第31~40回の紅白トリ一覧
- 緑が各回の「大トリ」、黄色は「初出場」でトリを飾ったことを表す
(↑)「Rx紅白歌合戦」第1~30回(1926~1955年)はこちらからどうぞ
昭和30年代前半
第31回(1956年):石原裕次郎はじめ俳優が次々
ベテランが退き全体的に若くなった構成に。2桁出場は伊藤久男のみで、紅組は1人もいなくなった。前半には勝新太郎、宝田明、そして後半には楠トシエvs三船敏郎など俳優・タレントの出場が急増。
そして高田浩吉の後は2回出場など若手による最終盤。白組トリ前は(本家・紅白歌合戦には出場しなかった)石原裕次郎が初出場。結びの一番は、『ここに幸あり』でおなじみの大津美子と、昭和30年代に黄金期を迎える三橋美智也が担当。
第32回(1957年):三波春夫、フランク永井が初登場
トップバッターが「朝丘雪路 vs 神戸一郎」で始まった1957年。前半には男性コーラスグループのダーク・ダックスが初登場。中盤には洋楽が居並ぶ印象。そして終盤には、前年トリの三橋美智也が33番手で登場し、続いて大ベテラン・渡辺はま子が胡美芳と共に『夜来香』を初披露。
それに続いては、三波春夫、フランク永井という昭和後半をリードする男性歌手2名が大ヒット曲を引っ提げて初登場を果たすと、紅組トリ前は島倉千代子が『東京だョおっ母さん』を歌い、白組トリは満を持しての石原裕次郎。それに対抗して、美空ひばりが5年ぶりトリを担当する豪華な布陣となった。
第33回(1958年):ロカビリー三人男が前半を盛り上げる
小林旭・伊東ゆかり・石井好子とバラエティに富んだ初登場組に続いて、ミッキー・カーチス、山下敬二郎、平尾昌章のロカビリー三人男も勢揃い。また、ヴォーカル・トリオ(水谷良重・東郷たまみ・沢たまき)がダーク・ダックスと対戦。
更に、大ベテラン・渡辺はま子は、初登場の「和田弘とマヒナ・スターズ」と対戦した。なお、美空ひばりはこの回で10回2桁に到達。戦後デビュー組では最速となった。
第34回(1959年):トリ前初出場対決:ザ・ピーナッツvs水原弘
過去数回に比べると初出場組がやや少ない印象の第34回。序盤で後の大御所・村田英雄が『人生劇場』で出場権を獲得。中盤以降はバンド形式やデュエット・グループ歌唱も珍しくなくなる。
トリ前は、この年に始まった『日本レコード大賞』の第1回大賞を受けた水原弘の『黒い花びら』。それに対抗するのは、ザ・ピーナッツの『情熱の花』という豪華な初出場対決。
対してトリ対決は、三橋美智也が空前の大ヒットとなった『古城』を歌うと、大トリで路線変更が決まったペギー葉山の『南国土佐を後にして』が会場を一体感に包んだ。
第35回(1960年):トリ前に『潮来』対決、橋幸夫デビュー
前半には松方弘樹やアイ・ジョージが初出場。後半のハイライトは白組トリ前の橋幸夫。花村菊江との『潮来』対決となった中で、大ヒットのデビュー曲『潮来笠』で会場を沸かせた。
最後には、第2回日本レコード大賞を獲得した『誰よりも君を愛す』が歌唱される。グループが大トリを飾るのは初のこととなった。
昭和30年代後半
第36回(1961年):中盤に王将、上を向いて歩こう が登場
往年のカバー曲が多い印象の第36回。白組トリは第4回に二村定一がトリを飾って以来の『君恋し』。他にも、トップバッターで東京ラプソディ、前半には旅姿三人男、ゴンドラの唄、中盤には異国の丘などが並ぶ。
また、中盤には村田英雄の「王将」、坂本九の「上を向いて歩こう」が2回目出場の段階で歌われる。後半にはザ・ピーナッツが『モスラの歌』を歌い、更に越路吹雪が『ラスト・ダンスは私に』、美空ひばりが『ひばりのドドンパ』、島倉千代子がトリで『恋しているんだもん』と会場を巻き込み、大トリには、石原裕次郎と牧村旬子が『銀座の恋の物語』をデュエットした。
第37回(1962年):デューク・エイセス、北島三郎、吉永小百合らが初登場
前半トリは、ペギー葉山 vs 三波春夫のメドレー対決。そして後半に入ると「倍賞千恵子 vs 北島三郎」というビッグネームの初出場対決や、『遠くへ行きたい』のジェリー藤尾、『てなもんや三度笠』で話題となった藤田まこと、続いて『恋は神代の昔から』で畠山みどり、『可愛いベイビー』で若き日の中尾ミエらが沸かせる。
終盤は曲順が激しく争われる中、ふりむかないで → しれとこ旅情 → 一週間に十日来い → 王将 → アカシアの雨がやむとき と例年ならトリを飾ってもおかしくないビッグヒットが連発。
しかし、レコード大賞を飾った三橋美智也の『星屑の町』と、新婚だった美空ひばりが『ひばりの佐渡情話』などで歌い上げると、大トリは吉永小百合この年2曲目の披露で橋幸夫との『いつでも夢を』。本家・紅白歌合戦では実現しなかった男女デュエットで審査期間中のステージを魅了した。
第38回(1963年):アトム から Sukiyakiの凱旋 → 東京五輪音頭
冒頭から当時でいう童謡カテゴリーの大ヒットが連発。特に注目すべきは、デューク・エイセスと上高田少年合唱団がこの年の(今でいう)アニソン対決を実現させたことだろう。他ジャンルだが、『浪曲子守唄』や『柔道一代』、『踊り明かそう』に『ヘイ・ポーラ』など演じる系の楽曲も目立った。
後半には、奄美恋しや → 長崎の女 → 島のブルースと九州ソングパートを経て、田端義夫が8年ぶりのカムバックで『島育ち』を歌唱。そしてトリ前は『こんにちは赤ちゃん』vs『高校三年生』というビッグヒット対決。
白組トリは、坂本九がビルボード1位からの凱旋を兼ねた『Sukiyaki』と『見上げてごらん夜の星を』をメドレーで披露し、大トリには三波春夫が翌年に控えた東京オリンピックの成功を祈願しての『東京五輪音頭』で締め。世界の中の日本を印象付ける格好となった。
第39回(1964年):トップバッターは西郷輝彦 vs 都はるみ
西郷輝彦と都はるみという重みのあるトップバッター対決に始まった第39回(1964年)には、なんとかブームを取り込もうと(賛否分かれるも)東京ビートルズが初出場。また中盤に「トムとジェリー」と「エイトマン」が対決し、前半トリは淡谷のり子 vs 藤山一郎という豪華対決が実現。藤山一郎は、これで20回の大台に初めて到達した。
東京オリンピックを成功させた熱気もあってか、東京を冠した曲が後半に並んだと思うと、『よあけのうた』や『愛と死をみつめて』で紅組が聞かせると、白組がそれを吹き飛ばすように植木等の『だまって俺についてこい』で空気を一変。
最後の3曲は『柔』と『俵星玄蕃』、そして大トリに『お座敷小唄』と、昭和30年代を総括するような楽曲たちで締められていった。
第40回(1965年):2年連続『柔』が紅組トリを飾る
後半トップバッターのバーブ佐竹『女心の唄』→『愛して愛して愛しちゃったのよ』以降は初出場が少なかった第40回の記念大会。終盤に『ヨイトマケの唄』をフル歌唱した丸山明宏(後の美輪明宏)は、本家のように平成まで待たずとも大きな反響を呼んだ。
また、売上面では負けぬヒットでトリを飾ることとなった橋幸夫。しかし、美空ひばりが2年連続同じ曲で大トリを飾ったが、そのことをもって批判する声は少なく前年からのロングヒットと国民から広く愛されたことが示され、紅組勝利に終わった。
コメント