Rxヒットアーティスト列伝 ~村田英雄~

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「村田英雄」さんです。

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村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 – 2002年(平成14年)6月13日)は、日本演歌歌手俳優佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。

浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。

村田英雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Rxヒット指標にみる「村田英雄」さんの代表曲

私(Rx)のヒット指標に基づくミリオン(100万pt)以上の楽曲は以下のとおりです。かなりデータが偏っているので、参考程度にご覧いただきたいとは思うのですが、やはり現代でも歌い継がれる楽曲達は得点が伸びています。

レコード売上は公称売上を採用し、情報のない楽曲は敢えて推定値を振らず「-」とした。カバーアーティスト数指標に関しては、『人生劇場』がカバーであることを考慮する必要はあるが、一応のためノミネートさせた。また、『人生峠』は1970年代の楽曲としての上位に当たるため、100万ptの基準には満たないものの参考値として掲載した。

3位:120万pt(1958年)『無法松の一生〈度胸千両入り〉』

厳密には『無法松の一生』というデビュー曲と区別する必要があるのかも知れませんが、今回は区別せずに集計しました。累計120万ptとリリースから長い時間をかけてミリオン相当の得点を重ねたという結果になっています。

1958年、たまたまラジオで村田の口演を聴いた古賀政男に見出され、すでに映画演劇で知られていた十八番の芸題(演目)であった浪曲『無法松の一生』を古賀が歌謡曲化(歌謡浪曲)、同曲で歌手デビューを果たした。

しかし、同年に三船敏郎&高峰秀子主演によるリメイク版映画の公開があったものの、ヒットに恵まれず(わずかに「人生劇場」のリバイバルヒットがあったのみ)NHK紅白歌合戦への出場も果たせずにいた。

村田英雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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無法松の一生」は1958年7月に発売された、村田英雄デビューシングルである。

一般的にはオリジナル版の「無法松の一生」よりも、同じく1958年7月に発売された「度胸千両」と併せた「無法松の一生〈度胸千両入り〉」として知られており、現在も多くの歌手にカバーされている。1981年には、村田の歌唱によって「無法松の一生〈度胸千両入り〉」が発売されている。

1962年に村田の「王将」がミリオンセラーの大ヒットとなると本楽曲も相乗効果でヒットし、村田の代表曲の一つになった。また、1975年の「第26回NHK紅白歌合戦」では、村田によって本楽曲が歌唱された。

無法松の一生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ですから、発売こそ1950年代ですが、実際にヒットしたのは1960年代以降、そして1970・80年代にかけて幾度も披露されたことで、多くのアーティストにカバーされることにも繋がり、現時点での集計では、120万ptのミリオン相当のヒット曲になっています。

また、YouTubeでも村田英雄さんの動画の中で(現行)最も再生回数が多くて、その力強い歌唱が若い世代にも伝わる入り口となっている印象です。

そして、レコード売上もはっきりとした数字がなかったため、①の列は非計上としていますが、ここの得点に推計値を加えると、恐らく下記の2位の楽曲と順位は逆転するのではないかと思います。

2位:140万pt(1967年)『夫婦春秋』

1973年、持病の糖尿病の悪化で倒れ、一年間休業するも復帰。1970年代に入ってからはヒットもなく一時低迷するも、演歌ブーム最中の1979年に、有線放送から「夫婦春秋」(1967年発売)がヒットし、相乗効果で(当時の)新曲「人生峠」、続いて「夫婦酒」をヒットさせ健在ぶりをアピールした。
また1981年1982年には、ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』でその豪快なキャラクターや逸話をネタとして取り上げられた事で若年層からの人気も獲得する。

……作風はデビューから一貫して『男』、『人生』、『夫婦』を題材に歌った曲が多い。

村田英雄
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  • 1967年7月 「夫婦春秋」 作詞:関沢新一 作曲:市川昭介 – 歌手生活10周年記念曲。1979年頃に有線放送でヒットし、オリコンチャート52位。オリコンで約17万枚の売り上げ。同年に日本作詩大賞特別賞受賞。最終的に市川昭介6作目のミリオンセラーとなる。
  • 70年代はヒットが出ず紅白でも過去のヒットを歌う形が長く続いていたが79年に12年前に発売した「夫婦春秋」が有線リクエストで人気を得て、それに相乗し当時の新曲「人生峠」が20万枚を超えるヒット。続けて「夫婦酒」もヒットしレコード歌手の第一線に返り咲く。
  • しかし、コロムビアに所属していた女性歌手がトリになることが多かった事情もあり、他の常連歌手と異なりコロムビアの村田は結局白組トリを一度も務めておらず、トリ未経験の歌手としては最多出場回数となっている。
    1962年第13回1979年第30回1982年第33回では村田が白組トリの候補として挙がっていた。
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『津軽海峡・冬景色』に続いて、第33回NHK紅白歌合戦で歌われた時は、山川静夫アナウンサーの口上を受けて、少し巻き気味ながらじっくりと歌い上げました。その姿が大変印象的でした。

村田英雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村田英雄さんは持病の糖尿病との闘いの中でも歌い続け、昭和中盤から平成にかけて歌謡曲の第一人者として君臨し続けられました。Rxヒット指標的には、『人生峠』の30万ptが昭和後半以降では最高得点ですが、NHK紅白歌合戦的にも1980年代において欠かせない存在であったと言えるでしょう。

1位:330万pt(1961年)『王将』

王将」(おうしょう)は、1961年11月にリリースされた村田英雄によるシングル曲である。村田英雄最大のヒット曲であり、当時売り上げが150万枚を超えたなど、爆発的な人気となった。作詞は西條八十、作曲は船村徹による。大阪を拠点に活躍した将棋棋士坂田三吉をモデルとした歌詞である。

王将 (曲)
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元々は1961年9月に発売された歌謡浪曲のLPの挿入歌として発表された曲である。同年11月にシングルカットされ、当時から関西ではヒットしていた。

全国的に大ヒットの火がついたのは、村田がこの曲で1961年第12回NHK紅白歌合戦(村田にとってこれがNHK紅白歌合戦初出場)に出場したことによる。……計4回にわたりNHK紅白歌合戦で歌唱した。

村田はこの曲で1962年の第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。

レコード売り上げ枚数は1961年11月のシングルカットから半年で30万枚を突破。最終的には300万枚を超え、これは戦後初のミリオンセラーともいわれている。

( 同上 )
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昭和30年代を代表する1曲といえる『王将』は、いつからか『戦後初のミリオンセラー』という表現で知られるようになっていますが、『初の◯◯』を達成する楽曲というのはやはりエポックメイキング。

ウィキペディアにあった記載『累計売上300万枚超』を採用してヒット指標を集計しましたが、決してそれも過剰とは言い切れないほどの知名度と人気を持った楽曲だと思います。また、データが更に揃ってきたら、Rxヒット指標の得点を再集計しようと思います。令和にも語り継がれるように。

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