Rxヒットアーティスト列伝「坂本九」(1941/12/10~1985/08/12)

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「坂本九」さんです。

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坂本 九1941年昭和16年)12月10日 – 1985年(昭和60年)8月12日)は、日本の歌手俳優タレント司会者神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん。

上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」等数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など多岐に渡り活動していた。

坂本九
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Rxヒット指標にみる代表3曲

まずは、私(Rx)の独自指標に基づく代表曲3曲から見ていきましょう。50万pt以上の楽曲は以下のとおりです。(↓)

発売日累計pt
レコード

DL

再生

カバー
曲名
61/10/155001301070290上を向いて歩こう
63/05/01310 5020240見上げてごらん夜の星を
63/12/01140 8020 40明日があるさ
64/05/15 90 70 20幸せなら手をたたこう
64/07/15 60 60サヨナラ東京
65/05/15100 50 50涙くんさよなら
85/05/22 6020 40心の瞳
黄色網掛けは推計値。再生回数については「÷10」を基本としたが、坂本九の歌う日本語動画のみを対象とした最低値。

1位:約500万pt(1961年)『上を向いて歩こう』

上を向いて歩こう」(うえをむいてあるこう、英題:スキヤキ、SUKIYAKI)は、坂本九の楽曲。作詞は永六輔、作曲は中村八大、プロデューサーは草野浩二

アメリカ合衆国ビルボードBillboard)誌では、1963年6月15日付においてHot 100週間1位を獲得、同誌の1963年度年間ランキングでは第10位にランクイン。後に数多くのアーティストによってカバーされた。坂本や永六輔のメモリアルソングとしても用いられる。

上を向いて歩こう
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本では国内ヒットチャートを独走したものの、伝統思考の強かった音楽業界での評価は低かったと伝わる『上を向いて歩こう』。2年後に海をわたり、BTSなどが首位に輝くまで約半世紀近く、アジア・アーティストとして唯一の全米ビルボード1位を獲得する『SUKIYAKI』となり世界で愛唱されているとされます。

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『上を向いて歩こう』をわがヒットチャート的に見て凄い点を個別にみても、

  • ①レコード売上
    • 国内のヒットチャートで3ヶ月間、首位を独走
    • 全米ヒットチャートでも複数週にわたり首位を獲得
    • 全米年間チャートでも上位にランクインするという大偉業
  • ②デジタル売上
    • RIAJ(日本レコード協会)からデジタル「ゴールド認定(10万DL)」。これを半世紀以上前の楽曲で達成していること自体が日本音楽史に燦然と輝く偉業
    • 昭和中期(S30年代)に分類される楽曲でデジタル認定を受けている楽曲は皆無
  • ③再生回数
    • 再生回数が数百万回の動画がYouTubeに複数アップ(昭和中期としては快挙)
    • 『Sukiyaki』と題した英語圏の動画では、2500万回近い再生回数を記録(バランスが崩れるため上の表には編入していないものの、世界的ヒット曲であることは明らか)
  • ④カバーアーティスト数
    • 「J-WID(JASRACデータベース)」によれば、邦楽全楽曲中で最多とみられるカバーアーティスト数(約300)を誇る

カバーアーティスト数では日本のポップス不動の史上最多ですしその他も昭和中期では全てハイスコアです。その積み重ねによって示される「500万pt」付近は、日本の音楽史上でも数曲しかありません。

2位:約300万pt(1963年)『見上げてごらん夜の星を』

元々は、1960年に永六輔いずみたくが制作・公演した同名ミュージカルの劇中主題歌であり伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズが最初に歌っていた。1963年5月1日に、坂本九が東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン)からシングルレコードとしてリリースすると大ヒットした。編曲者は渋谷毅である。

坂本はミュージカルの再演と同名映画でも夜学生を主演し、地方から東京へ集団就職し定時制高校に通っていた生徒たちは、この名曲に励まされたという。いずみによると同曲はレコードで聴くというよりは自分でなんとなく口ずさんでしまいたくなる曲であり、ヒットのわりにはレコードはあまり売れなかったという。
なお、作曲を手がけたいずみたくは本楽曲で第5回日本レコード大賞・作曲賞を受賞している。

見上げてごらん夜の星を (曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『上を向いて歩こう』と共に、昭和・平成・令和と歌い継がれているのが『見上げてごらん夜の星を』でしょう。特に、災害時など国難・苦境時に愛唱され、CMやカバーなども多い印象があります。

わがヒット指標的には、その殆どをカバーアーティスト数が占めています。その数は240近くにのぼっており、これはJ-WID調べで『上を向いて歩こう』に次ぐ全楽曲中2位とされています。こちらも発表から60年近くが経っていながら今なお色褪せることがありません。

3位:約150万pt(1963年)『明日があるさ』

これら2曲に続く評価となったのが『明日があるさ』です。これは、平成のカバーバージョンを含んでいない純粋な坂本九さんの得点だけで150万pt付近に達しています。

日本テレビで放送された坂本主演のバラエティ番組明日があるさ』『夢をそだてよう』の主題歌である。

作詞は青島幸男、作曲・編曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生の思いをコミカルに表現している。当時80万枚以上のセールスを記録した。

明日があるさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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平成の中頃、ウルフルズやRe:Japanによるカバーで再注目されたこともあり、YouTubeで検索すると、坂本九さんバージョンよりもそちらが伸びています。それでも既にそのリバイバルヒットからも20年以上が経過しているため、若者における知名度は上記2曲に若干劣るかも知れませんね。

その他「反映されていない要素」からみる楽曲たち

以上ここまで「坂本九」さんの基本的なデータに基づくヒット指標をみてきました。それだけみても、国民的に歌われてきたことが窺えます。しかし、これだけ国民的歌手となった坂本九さんの楽曲たちですから、オリジナル以外にも大きな影響を及ぼしていることは皆さんの肌感覚的にもおわかりかと思います。

ここからは、上記指標に「反映されていない要素」からみるその他の代表曲たちを見ていきましょう。

これらはいずれも集計対象外としています。坂本九さんと違ったアプローチで知ったという方も多そうですが、ぜひ坂本九さんバージョンもお聞き頂いて、新たな魅力を知っていただければと思います。

忌日(8月12日):茜雲忌(あかねぞらき)

1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた。
8月9日には、中村八大のコンサートにて「もう一度、六・八・九としてやり直したい、歌手としてやり直したい」という意志を伝え、中村と再度の意気投合を誓っていたという。

坂本は8月11日夜に『クイズクロス5』(テレビ新広島)の収録のため広島入りし、翌12日に同番組の収録(同年8月16日放送分)を行った。当初の予定では、『クイズクロス5』の収録後に岡山から車で直接大阪入りする予定だったが、夏休み休暇中のうつみ宮土理の代役として急遽『歌謡スペシャル』(NHK-FM放送)の司会を務めることになったため、一旦帰京した。そのため、この『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』の収録が坂本の生前最後の仕事となった。
この番組の中で坂本は、「ステキなタイミング」・「上を向いて歩こう(欧陽菲菲デュエット)」・「For The Good Times」・「We are the world」・「心の瞳」・「親父」・「見上げてごらん夜の星を」・「懐しきlove-song」を披露したほか、同年6月8日に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことに触れ、「とても嬉しかった。これからも皆さんと一緒に、いつまでも歌い続けていきたい」と、将来への抱負を語っていた。

その後、大阪府在住で自身の元マネージャーの同年9月9日実施予定の羽曳野市議会議員選挙に応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。43歳没。

( 同上 )

坂本九さんが航空事故によって亡くなったことをご存知の世代も少しずつ高くなってきていますが、このお盆の時期にこうした痛ましい事件が起き、日本を代表するアーティストそしてタレントとして活動された坂本九さんがお亡くなりになったことは忘れてはならないと改めて思います。

航空安全の日・茜雲忌
1985年のこの日の、520人の犠牲者を出した日本航空123便墜落事故にちなむ。遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれる。

8月12日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この事故の起きた8月12日は「茜雲忌」と命名されているようで、『今日は何の日』的な記事にもしっかりと記載されるようになりました。テレビやネットなどを通じて、この日を見かけた時に『茜雲忌』と名付けられた忌日があるということを思い起こして頂きたいと思います。

現時点で、この『茜雲忌』などが記載されている俳句歳時記に掲載されている事例は殆どないかとは思いますが、俳句には多くの忌日の季語があり、語り継ぐだけでなく俳句として読みつがれるものとなっているものもあります。

なかなか「俳句歳時記」に季語として掲載されていないことや『茜雲忌』という名称にまだまだ知名度面での課題はあるのかも知れませんが、やはり俳句やその他の形で思いを語り継いでいくことが改めて重要だと感じます。

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