【はじめに】
今回は、「中山グランドジャンプ」の歴史などをWikipediaと共に振り返っていきましょう。
中山グランドジャンプは、日本中央競馬会が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走 (J・GI)である。競馬番組表での名称は「農林水産省賞典 中山グランドジャンプ」と表記される。略称は「中山GJ」。
中山グランドジャンプ > 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前史:中山大障害(春)
「中山グランドジャンプ」と語る前に、前身競走となる「中山大障害(春)」についても触れておきましょう。まずはウィキペディアの記事から。
概要
当時の中山競馬倶楽部理事長であった肥田金一郎が、東京優駿 (日本ダービー)に匹敵する中山競馬場の名物レースを開催する目的で1934年12月に「大障害特別」を創設、これが本競走の前身である。第2回から春・秋の年2回施行となった。その後、度重なる名称変更を経て1948年秋より「中山大障害」の名称で定着していたが、1999年に障害競走改革の一環としてグレード制が導入された際、中山大障害 (春)がリニューアルされ現名称となり、あわせて最高峰のJ・GIに格付けされた。
中山グランドジャンプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ですので、実質的には、春・秋の年2回開催されていた「中山大障害」の春を前身としているのです。
中山大障害(春)
前述の通り、1935年から1998年までは年2回施行され、春の競走も行われていた。施行コース・距離は秋と同様だったが、春のみ4歳馬(2001年以降の表記に基づけば3歳馬)は出走が認められていなかった。
中山大障害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今は、中山グランドジャンプと中山大障害で距離は異なりますが、かつては同じレース名だったこともあり、距離が全く同じでした。(天皇賞もしばらくは秋も3200mで同じ距離でしたよね)
歴史をみると「春」に行われた中山大障害は、話題に事欠かなくて、例えば、
- 1953年 – 日本放送協会(NHK)がテレビで中継。日本初のテレビ競馬中継となった。
- 1969年 – 出走馬ロイタンの実質的な馬主が出走馬バスターに禁止薬物のカフェインを含む抹茶を摂取させようと企み、バスターが出走取消に追い込まれる事件が起こった(バスター事件)。
- 1972年 – 出走馬ダテハクタカが装鞍所からパドックに向かう通路で、何者かに濃硫酸をかけられ右目を負傷、競走除外となる事件が発生(ダテハクタカ#ダテハクタカ事件)。
- 1988年 – 中山競馬場の改修工事により東京競馬場で行われたため、名称を「東京大障害」として施行された。東京大障害は過去に使用されたことがない距離4000mで施行され、第3コーナーから逆回りで1周したあとに襷コースに入り第2コーナーから順回りで直線に向かった。障害飛越数は17。
こういった具合です。そして歴代優勝馬をみても、有名なところでは、
- 1935年 – イサハヤ
- 1936年 – ジユピターユートピア(大差レコード勝ち)
- 1952年 – カツシロ(障害競走では19戦連続連対)
- 1958年 – ケニイモア(この年、史上初の春秋連覇を達成)
- 1964・65年 – フジノオー(国内から締め出され、仏でも勝利した名馬)
- 1974・75年 – グランドマーチス(障害唯一の顕彰馬)
- 1977・79年 – バローネターフ(大障害を通算5勝)
- 1982年 – キングスポイント(84年にはレース中に予後不良)
- 1992年 – シンボリクリエンス(8.6秒差、約50馬身の大圧勝)
- 1996・97年 – ポレール(優勝回数に応じた斤量に負けず春秋3連覇)
- 1998年 – ノーザンレインボー(5.9秒差、史上2位の大差勝ち)
などが挙げられます。5秒以上の大差をつけた2回は、どちらも春の開催でした。衝撃的な強さです。
1999年:障害競走改革【J・G1】中山グランドジャンプに
第1回・中山グランドジャンプは、10頭が出走するも、2・3着、5・6着、8・9着、9・10着の間が「大差」となるなどスタミナを争うレースとなり、6番人気の【メジロファラオ】が6馬身差勝利。1番人気のゴッドスピードは9着、3番人気のファイブポインターは失速し最下位と沈みました。
この年には優勝回数に応じた別定斤量がなくなり、J・G1らしい「定量戦」となりました。これも実は大きな改革だったかも知れません。
2000年代:オーストラリア招待馬4勝、カラジ3連覇
第1回の距離は中山大障害と同じ芝4100mだったが、第3回より芝4250mに変更され、現在に至る。
2000年から2010年までは国際招待競走であったが、2011年より国際競走へ変更され、JRAによる招待および費用の負担は廃止された。
中山グランドジャンプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際招待競走だった頃は、費用負担もあったため、南半球などの一流馬が出走してきていました。特にオーストラリア勢は10年で4勝しており、10~12歳にかけての【カラジ】の3連覇は、大障害時代を含めても「春」に限っての3連覇は快挙でした。
2002年のセントスティーヴンと2005~07年のカラジは、オーストラリアの馬であり、ジャパンCなどで日本馬が活躍するのと反比例する形で、このレースは海外勢が強さを発揮していました。
もちろん日本馬でも、ゴーカイの連覇(距離が2001年より芝4250mへと延長)や、ビッグテースト→ブランディスのレコード勝ち、マルカラスカルの大差勝ちなど華々しいレースとなっています。
2010年代:オジュウチョウサンの大偉業
2010年代前半はそれ以前の歴史を汲んだような流れでした。不良馬場を5分以上かけて走る死闘だったり、東日本大震災の影響で7月開催となったり、招待競走でなくなっても日本に挑戦してきたアイルランドの【ブラックステアマウンテン】が8番人気で制したりです。
しかし2010年代後半に入ると、2015年に【アップトゥデイト】がレコード大差勝ちを決めたものの、そこから先は【オジュウチョウサン】の名が連なります。数えて中山グランドジャンプ5連覇です。
もちろん、定量戦となったことも影響していて、勝つごとに+2kgされていた別定時代ならばこの5連覇は成し遂げられなかったかも知れません(逆に昭和の名馬は定量なら連覇を伸ばせていた馬も多かったことでしょう)。
そうは言っても、5歳から9歳まで平地への挑戦なども挟みつつ「5連覇」を達成したことは、まさに大偉業であり、障害史に残る不滅の大記録だといっても過言ではないでしょう。
特に、アップトゥデイトを「大差」振り切り、レコード勝ちした2018年は、その充実ぶりを表していると思います。
2020年代:オジュウチョウサン5連覇と5着敗戦
2016年から足掛け5年で決めた【オジュウチョウサン】の5連覇は、障害競走への注目度を高めるには最高のトピックスでした。平地よりも活躍が長く、注目されるレースが限定されることもあって、構図が分かりやすかったこともあったと思います。故に、この5連覇は平地・障害を問わずの中央競馬不滅の大偉業としてスター性が分かりやすかったかと思います。
それ故に、現役を10歳になっても続け、連勝記録が止まってもひたむきに走り続ける姿に多くのファンが付きました。2021年の【中山グランドジャンプ】では、6連覇に向けて2番人気に支持されるも2歳年下の【メイショウダッサイ】の充実ぶりに完敗。5着と敗れる結果となりました。
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