【はじめに】
皆さん「Wikipediaで小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は、カリブ海の「キューバ共和国」です。素敵な旅をお過ごし下さい。
キューバ共和国(西:República de Cuba)、通称キューバは、カリブ海の大アンティル諸島(西インド諸島の一部)に位置する社会主義共和制国家。首都はハバナ。
キューバ共産党による一党独裁体制が敷かれている。政治思想としてはマルクス・レーニン主義(ソ連のスターリンが考案)とホセ・マルティ思想を採用している。
キューバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下略 )
概要
1492年にコロンブスがキューバに来島し、1511年にスペインに征服された。1898年の米西戦争のスペインの敗戦でアメリカ合衆国の軍政下に入り、1902年に独立したが、1934年まではプラット修正条項に基づき事実上アメリカの保護国だった。その後も親米政権バティスタ政権のもとアメリカの影響下にあったが、1959年のキューバ革命でソビエト連邦の影響下の社会主義国に転換された。
政治体制は、1961年に革命前に存在した全ての政党が解散させられ、新党結成も禁止されて以降、キューバ共産党による一党独裁体制が敷かれている。そのため多党制に基づく議員選挙や大統領選挙は存在しない。革命を指導したフィデル・カストロによる統治が革命以来2008年までの長期にわたって続いた。
外交面では革命直後にアメリカ資本企業を国有化したことを発端に1961年にアメリカとの関係が途絶。以降アメリカから制裁を課されて対立関係となった。1962年にはソ連の中距離ミサイルが持ち込まれ、アメリカが海上封鎖を実行してソ連に断念させた「キューバ危機」が発生している。
アメリカからは1982年以来テロ支援国家に指定されていたが、2015年にはバラク・オバマ政権下のアメリカと国交回復した。その影響で一時テロ支援国家から外されたが、ドナルド・トランプ政権下で再度テロ支援国家に指定された。
国名
日本語の表記は、キューバ共和国。通称、キューバ。スペイン語の原音に近い「クーバ」と呼ぶ人もいる。漢字による当て字は、玖馬、玖瑪、久場、古巴など。中華人民共和国においては「古巴(Gǔbā)」と表記している。
国名は、カリブ海最大の島であるキューバ島からきており、「中心地」という意味のインディオ(タイノ族)の言葉であるクバナカンが由来であるとされている。
日本との関係
日本とは1929年(昭和4年)12月21日に国交を樹立した。1941年(昭和16年)12月9日、太平洋戦争の勃発にともないアメリカに続いて対日宣戦布告し、国交を断絶した。
戦後の1952年(昭和27年)11月、サンフランシスコ講和条約締結にともない国交回復。1960年(昭和35年)に通商協定を締結、1961年(昭和36年)に発効。1898年(明治38年)以降、日本人移民がキューバに定住、1999年(平成11年)時点の概数で日系人は800人である。
日本は資本主義体制をとり日米同盟を維持しているが、キューバに対しては地理的・政治的な利害関係を持たず、また長らく最高指導者であったフィデル・カストロが親日家であることもあり、音楽やスポーツを通じた民間交流も盛んである。2012年(平成24年)11月には福岡 Yahoo! JAPANドームと札幌ドームにおいて野球日本代表とキューバ代表による国際親善試合が行われた。
そのため、両国関係は政治・経済の両面で良好であり、1989年(昭和64年・平成元年)の昭和天皇崩御の際には喪に服した。また、1997年(平成9年)に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件では、日本政府の要請に対し、キューバがトゥパク・アマルー革命運動(MRTA)のゲリラの亡命受け入れを受諾した。
キューバは日本人が観光目的で入国する際にビザ免除を認めている(ただし、事前に大使館、もしくは出発当日の空港でツーリスト・カードを購入する必要がある)。
国民
医療
キューバの医療制度はプライマリ・ケアを重視した医療制度を採用し、独特の社会福祉政策と同様「キューバ・モデル」として有名である。世界保健機関が発行するWorld Health Statistics 2014年度版によると、医療費の公費負担率は2000年度は90.8%、2011年度は94.7%である。人口1万人中の医師数が67.2人と世界でもっとも多いグループに属する。ファミリードクター制を採用し、各地区に配置された医師が地域住民の健康状態の把握を行っている。家庭医は往診が基本である。被災地への医師の海外派遣も積極的に行っている。
文化
音楽
キューバ音楽は、スペイン系とアフリカ系の音楽が融合して生まれたものをベースにいろいろな要素が混じり合って生まれており、ラテン音楽の中枢的な存在となる。アメリカ合衆国のジャズなどとともに20世紀の大衆音楽に大きな影響を与えた。
代表的なキューバ音楽は、スペインのギターとアフリカの太鼓を組み合わせたヨルバ系文化の影響が強いルンバやソンがある。そのほか、大衆音楽の中には、トローバやダンソンのようにヨーロッパ音楽の要素が比較的強く残っているものもある。
19世紀にフランスのジョルジュ・ビゼーがハバネラのリズムを取り入れたときからキューバ音楽の世界への拡大は始まっていたが、キューバ音楽は、まず1930年にソンがアメリカで紹介され、1930年代以降、アメリカを中心に世界中に広まった。ただし、その際にソンが「ルンバ」として紹介されたため、元来のルンバと「ルンバ」と呼ばれるソン(現在でも社交ダンスで「ルンバ」と呼ばれるものは、このソンである)を区別する必要がある。
1950年代には、マンボやチャチャチャが世界的に流行したが、1959年のキューバ革命後はアメリカとの国交が途絶え、また経済封鎖のためもあり、キューバ音楽が世界に広がる経路が狭まった。ただし、スペイン語圏諸国においては影響を持ち続けた。この1970年代から80年代にかけては、革命後のキューバで若い世代のムーブメントとして起こったヌエバ・トローバが、ラテンアメリカにおいては、社会現象といえるほどの人気と影響力を得た。
世界遺産
著名な出身者
詳細は「キューバ人の一覧」を参照
- アンディ・ガルシア(俳優)
- アロルディス・チャップマン(メジャーリーガー、レッズ)
- オレステス・デストラーデ(元日本プロ野球選手)
- アルフレド・デスパイネ(日本プロ野球選手)
- ペレス・プラード(「マンボの王様」)
- ホセ・メンデス(元ニグロリーガー、アメリカ野球殿堂入り) ほか
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