【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「三條町子/三条町子」さんです。
三条 町子(さんじょう まちこ、1925年1月9日 – 2022年8月30日)は、日本の歌手である。 本名は藤田 信子(旧姓:宮野)。三條 町子の表記もある。
三条町子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる代表曲「かりそめの恋」
まず、私(Rx)のヒット指標にみる「三條町子」さんの代表曲をみていきましょう。こちらです(↓)
発表日 | 累計pt | レコード /CD | 再生 回数 | カバー | 曲名 |
---|---|---|---|---|---|
1949年11月 | 30 | ?? | 10 | 20 | かりそめの恋 |
集計方法や企画の主旨については、下の記事に纏めてありますので初見の方はぜひご覧下さい(↓)。
レコードの売上枚数は不明な点があるので計上していません。そして、Rxヒット指標に該当するのは、代表曲『かりそめの恋』1曲でしたので、ここからは本曲について触れていきたいと思います。
1位:30万pt+(1949年)『かりそめの恋』
『かりそめの恋』(かりそめのこい)は、1949年(昭和24年)11月に林伊佐緒がリリースしたシングル『愛染草』のB面(両A面)に収録された三條町子(三条町子)の楽曲のタイトル、および1964年(昭和39年)に大津美子がリリースしたシングル、ならびに同シングルのA面楽曲のタイトルである。
かりそめの恋 (三条町子の曲)
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経歴
青森県八戸市に生まれる。作曲家大村能章の弟子。戦争中は栃木に疎開。1948年に上京し、同年、キングレコードから本名の「宮野信子」の名前で「泪のブルース」にてデビュー。他に「黄昏の花園」などを発表した。
三条町子
1949年、芸名を「三條町子」として発表した「かりそめの恋」が大ヒットし、一躍その名が知られることとなった。1951年には「東京悲歌」(とうきょうエレジー)も大ヒットした。大津美子の1956年の代表作「ここに幸あり」はもともと三條町子の吹き込みで曲は制作されたが、三條が出産を控えていた為に、同じレコード会社の当時新人の大津に回ってきたというエピソードがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NHK紅白歌合戦で歌われたかは判然とせず、1950年代に入ってヒットした『東京悲歌』が歌われたことは確実視されています。それでも多く愛唱されたのは『かりそめの恋』でした。
『かりそめの恋』がリリースされた1949年というのは、40年代の集大成のような年であり、戦後歌謡の名曲が数多発売されました。具体例をあげると、
こういった楽曲は75年近く経った現代でも歌われることがあります。上記の楽曲に次ぐヒット群の一曲が『かりそめの恋』だという事実はお伝えしておきたいと思います。
個人的に『かりそめの恋』の三條町子さんの歌声は、上記の楽曲にも負けずとも劣らない印象を残して下さいましたので、ヒット指標的には30万pt程度ではありますが、記事を書かせてもらいました。
昭和中期の『懐メロブーム』に乗ってテレビにも出演し、2010年代にも現役歌手として歌番組に登場。そして、97歳で生涯を全うされた令和の時代だからこそ、こうして改めて触れることで時代を超えた楽曲となっていってほしいと思っています。もちろん『かりそめの恋』以外の楽曲も懐かしんで頂ければと思います。
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