Rxヒットアーティスト列伝 ~岡晴夫~

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「岡晴夫」さんです。

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岡 晴夫(おか はるお、1916年大正5年〉1月12日 – 1970年昭和45年〉5月19日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は佐々木 辰夫(ささき たつお)。愛称は「オカッパル」「オカッパレ」

岡晴夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下略 )

ウィキペディアにみる「岡晴夫」さんについて

経歴

千葉県木更津市に生まれる。幼い頃に両親を亡くし、祖父の手で育てられる。小学校時代は唱歌の授業が嫌いで成績はいつも「丙」だったという。六年生の時に音楽の先生から人前で歌を歌うことを勧められて歌を歌うことに興味を持ったという。

エピソード

  • 代表曲の一つである「憧れのハワイ航路」は本来小畑実が歌う予定で作られたが、たまたま小畑が東京を離れていて、岡が譲り受けた経緯がある。その一方、岡が歌う予定で作られた「お富さん」は、完成前に岡がキングレコードを辞めたことで、当時新人だった春日八郎が急遽歌うことになり、結果として春日の代表曲の一つとなった。
  • 他界した1970年の夏には、大阪万国博覧会会場でのNHK『第2回思い出のメロディ』に出演し、十八番の「啼くな小鳩よ」を歌う予定だった(死の直前まで、万博の舞台に立つことを言い続けていたという)。なお本番では、かしまし娘と坂本九が「啼くな小鳩よ」を歌って、岡を偲んだ。
  • 紅白歌合戦には生涯出場することが無かった。これは、全盛期(紅白歌合戦の黎明期と重なる)には地方巡業のスケジュールを優先し、その後はヒット曲に恵まれず闘病生活が続いたことによる。

Rxヒット指標にみる「岡晴夫」のヒット曲

レコード売上の定数的なデータが見当たらなかったため、YouTubeの再生回数と「カバーアーティスト数」の2項目のみでの得点で集計しました。

発売累計pt
レコード

再生

カバー
曲名
1939/05 401030上海の花売娘
1946/06 501040東京の花売娘
1947/01 401030啼くな小鳩よ
1948/121004060憧れのハワイ航路
1955/07 401030逢いたかったぜ
集計方法や企画の主旨については、下の記事に纏めてありますので初見の方はぜひご覧ください(↓)
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3位:40万pt(1939年)『上海の花売娘』

3位タイは概算値で40万ptを稼いだ3曲。西暦でも和暦(昭和)でも十の位が変わる時期のヒット曲。今回は、戦前の代表曲である『上海の花売娘』を取り上げます。

1934年(昭和9年)に、上原げんととのちに妻となる奥田清子と出会う。浅草や上野界隈の酒場などで流しをしながら音楽の勉強をする。
1938年(昭和13年)にキングレコードのオーディションを受け、専属となる。翌1939年(昭和14年)2月には、「国境の春」でデビュー。すぐに「上海の花売娘」「港シャンソン」などのヒットを飛ばし、一躍スターとなる。
1940年(昭和15年)には市川市に居を構え、奥田清子と結婚。3人の子供にも恵まれる。太平洋戦争末期には、軍属としてアンボン島(現・インドネシア領)に配属されるが、現地の風土病にかかり帰国を余儀なくされる。

岡晴夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「港シャンソン」も20近くのアーティストにカバーされていますが、「上海の花売娘」は25以上のアーティストにカバーされています。ここでは集計の対象外としていますが、水森かおりさんがカバーした非公式動画は先日500万を突破するなど、屈指の知名度と人気を誇っています。

2位:50万pt(1946年)『東京の花売娘』

太平洋戦争終結後、彼のリーゼントスタイルの髪型と独特の明るいビブラートのかかった歌声は、平和の到来や開放感に充ちた時代とマッチし、「東京の花売娘」「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」など相次いで大ヒットをとばす。

昭和20年代を代表するスター歌手として、近江俊郎・田端義夫とともに「戦後三羽烏」と呼ばれた。

岡晴夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戦前の「花売娘」シリーズに加え、戦後の空気感、そして「東京」を冠した戦後楽曲の先駆けとなった『東京の花売娘』は、40以上の歌手にカバーされています。発売時期もあるかも知れませんが、日本を歌った楽曲として現代にも伝わりやすく、他の曲を抑えて暫定2位となっています。

1位:100万pt(1948年)『憧れのハワイ航路』

憧れのハワイ航路」(あこがれのハワイこうろ)は、1948年(昭和23年)にキングレコードより発売された歌謡曲。また、それを基にした1950年(昭和25年)公開の新東宝映画。

本来小畑実が歌う予定で作られたが、たまたま小畑が東京を離れていて、岡が譲り受けた経緯がある。

作詞した石本自身、ハワイ航路(横浜 – ホノルル – サンフランシスコ。戦前は日本郵船の花形航路)への乗船経験が無かった。そのため、かつて郷里(広島県大竹市)の山から眺めた瀬戸内海を航行する大阪商船の別府航路の姿に、映画や小説で知ったハワイのイメージを重ねて作詞したという。

憧れのハワイ航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

現代において「岡晴夫」さんとして最初に浮かぶのがこの曲であり、その人気の絶頂を迎えるに至ったのが『憧れのハワイ航路』だったと思います。

( 2016年以降のデータ:2019年時点での「NHKのど自慢」の歌唱データ )

実際「NHKのど自慢」でも、岡晴夫さんで歌われるのは、殆どが「憧れのハワイ航路」です。それだけ主に戦後世代に広く知られ、愛唱されてきたのだと思います。

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