【はじめに】
この記事では、競走馬の「殿堂入り」について、日本の「JRA顕彰馬」と諸外国の「殿堂入り(Hall of Fame)」を比較していき、日本の特徴を調べていきたいと思います。
ではここで問題です。日本・アメリカ・カナダ・オーストラリアの4か国の『顕彰馬』のうちで、殿堂入りしている馬の数が最も多い国と少ない国はそれぞれどこでしょう?
ぜひこの記事の中盤に答えがありますので、そちらもお考え頂きながら、各国の「殿堂入り」について見ていきたいと思います。……ひょっとしたら根本原因が見えてくるかも知れません。
JRA顕彰馬(殿堂入り)について
まずは、日本の競馬ファンが最初に思い浮かべる「JRA顕彰馬」について、日本語版ウィキペディアでざっくり抑えていきましょう。
JRA顕彰馬(ジェイアールエーけんしょうば)とは、中央競馬の発展に多大な貢献のあった競走馬の功績を讃え、後世まで顕彰していくために日本中央競馬会30周年記念事業(昭和59年)の一環として制度を発足し1984年に制定されたものである。顕彰競走馬は「殿堂入り」に相当する。競馬の殿堂には調教師・騎手顕彰者とともに顕彰馬の肖像画、ブロンズ像、関係資料が展示されている。
JRA顕彰馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本にグレード制が導入された1984年、30周年記念事業の一環としてスタートし、40年近くの歴史があるのが「JRA顕彰馬」制度です。リストは皆さんにお調べいただきたいと思いますが、歴史を超えて今でも語り継がれる名馬が並んでおり、その馬の名を後世に伝える目的を果たしていると思います。
ただ、創設以来、選出方法については紆余曲折を経て現在の形に至っていますが、令和に入ってからも毎年のように、その結果に対する不満の声がファンから上がっています。
細かい部分には目を瞑っていただきたいのですが、下にざっくりとした選出方法の変遷と「選出された頭数」を表にしてみましたので、ご覧ください。
時期 | 投票者 | 投票 | 条件 | 対象年次 | 選出頭数 |
---|---|---|---|---|---|
1984-99 | 顕彰馬選考 委員会委員 | - | 4分の3 | - | 1984:10頭 85-87:5頭 1990:5頭 91-99:5頭 |
2001-03 | マスコミ・ 新聞関係者 | 2頭以内 | 〃 | - | 01-03:0頭 |
2004-14 | 〃 | 〃 | 〃 | 抹消から 20年以内 | 2004:2頭 05-13:2頭 2014:1頭 |
2015- | 〃 | 4頭以内 | 〃 | 〃 | 15-20:4頭 |
・2004年と2014年は「JRAの周年」事業として実質4頭相当に投票が可能。
大きな変化としては、第一に2000年代に入って「マスコミ・新聞関係者」などの投票による選出となったものの、票が分散してしまって「4分の3」というハードルを超える馬がなかなか現れなかった点、第二に分散しないよう「抹消から20年超が経った馬を除外」するようになった点が挙げられます。
古くは【ダイナナホウシユウ】、直近では【アーモンドアイ】や【キングカメハメハ】が落選をしていますが、個人的には『顕彰馬』に選ばれてもおかしくないと感じています。
世界の「顕彰馬(殿堂入り)」について
さて、ここで「投票方法がー」とか、「投票先の公表の有無がー」とか多くの方がネット上で語るのと少し視点を変え、世界を広げて比較していきたいと思います。
競馬に限らず、『殿堂入り』を設けようとする発想は世界各地、様々なジャンルにあります。もちろん競馬も(実は思ったほど各国に揃っている訳ではないのですが)幾つかの国で『殿堂入り』が設けられています。【すべて】を把握することは困難ですが、英語版ウィキペディアの「See Also」に実質的なリストのようなものがあったので、そこを引用してみます。
上から、米国(アメリカ競馬名誉の殿堂博物館)、オーストラリア、イギリス・障害、イギリス・パレスハウス(エリザベス女王が開設)、カナダ競馬名誉の殿堂、日本(JRA顕彰馬)、米国・繋駕競馬、ニュージーランド、米国・エイキン(サウスカロライナ州の町・エイキンに縁のある馬限定)などとなっています。
ただ、先ほど述べたとおり「殿堂入り」を組織立って制定している方が世界的にみると稀な様でして、例えばヨーロッパ各国(一部のパート1国)や香港、中東などは(私の調べた限りで)見当たりませんでした。
日本は単純な話、頭数が少ない!
ただ一定の格式や伝統のある国もあるので、ここからは日本と比較することを目的に、日・米・カナダ・オーストラリアの4か国の【顕彰馬】に絞って見ていきたいと思います。
国 | 初回 | 全 頭 数 | 年平均 | 20/21/22 |
---|---|---|---|---|
日本 | 1984:10頭 | 34頭 | 約1頭 | 1/0/0頭 |
アメリカ | 1955:9頭 | 約230頭 | 約3頭 | 2/1/4頭 |
カナダ | 1976:13頭 12頭 | 106頭 119頭 | 約2頭 | 2/2/-頭 3/1/-頭 |
オーストラリア | 2001:5頭 | 74頭 | 約3頭 | 0/4/-頭 |
注目に値するのは、日本以外の国々の「頭数の多さ」でしょう。日本に住んでいると気づきませんが、世界では『顕彰馬』とされている頭数は3桁でも珍しくないようです。競馬の歴史の長さが違うとはいえ、21世紀に選出が始まったオーストラリアですら倍以上です。冒頭の問題の正解(最多)は米国です。
直近は、2020年以降では【アーモンドアイ】も落選して【キタサンブラック】の1頭のみだった日本と比べても明らかですが、毎年のように顕彰馬を輩出していて、多い年では4~5頭といった具合です。こうしてみると、日本は単純な話として『顕彰馬』の格式が高い反面、高すぎて候補馬が渋滞してしまっていることが如実に分かります。
最近の馬しか候補にしていないのは日本だけ
国 | 馬名 | 生年 | 引退 | 選出年 |
---|---|---|---|---|
日本 | キタサンブラック | 2012 | 2017 | 2020 |
アメリカ | Tom Bowling Wise Dan American Pharoah Beholder Hillsdale Royal Heroine Tepin | 2007 2012 2010 1955 1980 2011 | 1874 2014 2015 2016 1959 1984 2016 | 2020 2020 2021 2022 2022 2022 2022 |
カナダ | Play the King Tepin Heart to Heart Not Too Shy | 1983 2011 2011 1966 | 1989 2016 2019 197? | 2020 2020 2021 2021 |
オーストラリア | Beau Vite Red Anchor Sailor’s Guide Tie the Knot | 1936 1981 1952 1994 | 1942 1985 1959 2002 | 2021 2021 2021 2021 |
その国によって基準が異なりますが、例えば、アメリカでは2015年に久々の米三冠馬に輝いた【American Pharoah】が基準を満たした直後に『顕彰馬』となっています。そして、日本にない特徴として、(↓)
現在の規定では、殿堂入り選考の対象は引退から5年以上経過した馬とされている。サラブレッドは最後の競走から5年以上25年以内の馬が選考対象となり、また25年以上経過している馬についても歴史的審査委員会によって選考が加えられる場合がある。
アメリカ競馬名誉の殿堂博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以上のように訳されている通り、「歴史的審査委員会」の存在などによって、現役で見たことのない馬(どころか文献のみなどで映像も残されていない時代を含む)も候補になっており、加えて2020年代に入ってから19世紀の馬が殿堂入りしていることも実例としてあります。
日本で同じく「殿堂入り」とされる『野球殿堂』では複数の部門を設けて表彰されていることを思えば、同列に扱うことは難しくても、様々なアプローチで『殿堂入り』を設けることが可能なのではないかなと感じてしまいます。
で、新しい馬が多いわけでもないから単純に渋い
ちなみに、日本で2010年代に引退した馬の中で殿堂入りしているのは4頭です。何頭言えますか??
正解は、オルフェーヴル、ジェンティルドンナ、ロードカナロア、キタサンブラック です。とはいえ、ここに準ずる馬が軒並み落選しているのも事実です。『選ばれた馬は押し並べて納得』なのですが、『選ばれなかった馬たちも押し並べて納得か』と言われると全然そんなことはない。← ここにファンの不満の根源があるように思うのです。
で、単純な比較として、アメリカで2010年代に引退した馬で殿堂入りしているのは既に8頭と倍です。具体的に2022年時点で列挙すると、Zenyatta、Goldikova、Rachel Alexandra、Royal Delta、Wise Dan、Beholder、Tepin、American Pharoah です。全馬が勝率5割を超えていますし、ひょっとすると日本の皆さんでも聞いたことのある馬がいるかも知れません。
JRA顕彰馬が「直近20年以内」に絞っている一方で、そういった縛りを設けていない諸外国の方が「直近20年以内」も「20年超の往年の名馬」も認定頭数が多く充実しているというのはある種の皮肉です。
【まとめ】抜本的な部分から検討の余地があるのでは?
以上で比較したときに、「投票方法」云々を論ずるのも否定はしませんが、そもそも論として『JRA顕彰馬』の概念から見直す時期に来ているのかも知れないと感じてしまいました。
繰り返しますが、ファンの不満の多くの声は、『選ばれた馬は押し並べて納得』なのですが、『選ばれなかった馬たちも押し並べて納得か』と言われると全然そんなことはない。 という感じです。そして、その主な要因として『投票基準』が槍玉に挙がっているのも事実です。その上で(2022年10月時点では)大きな変革を設けることはJRA側は想定していないと語っています。
別に、諸外国のように「顕彰馬の頭数を数倍にしろ!」とか、「年に最低でも1~2頭は顕彰馬を!」とかは思いませんが、個人的には諸外国や他のスポーツの『殿堂入り』の制度も大いに参考になるのではないかと感じるのです。個人的な意見としては、
今までの「JRA顕彰馬」制度を否定することが目的ではないが、もっと幅広に多くのアプローチで、『日本競馬の殿堂入り』を再考するには、昭和から平成を経て令和となった今は少なくとも遅すぎる事は無いのではないかと感じました。
皆さんにも、「あの馬が入る/入らないのはおかしい!」とか、「投票制度の改革を!」とか、「そもそも顕彰馬制度の廃止を!」などといった極端なもの以外の色んな意見をお聞かせ頂きたいです。寧ろ【クモハタ】や【トキツカゼ】、【トサミドリ】、【セイユウ】などは、この「JRA顕彰馬」の制度がなければ令和までその名が伝わっていなかったかも知れません。
『JRAでは、中央競馬の発展に特に貢献があった馬および調教師または騎手について、その功績を讃え、顕彰を行っております。』という趣旨に鑑みた時に、どういった馬やエピソードを後世に語り継いでいきたいか。将来のファンよりかも先輩の競馬ファンな皆さんに、今一度お聞きしたいと思います。
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