「日向灘」の地震って、過去にどんなものが起きたの? なんか防災が必要だってニュースで見かけたけど。
今日は、古くから繰り返し地震や津波による被害をもたらしてきた「日向灘」の地震についてまとめていきます。『南海トラフ巨大地震』の引き金になる可能性すら研究されている「日向灘」という領域についてはまだわからないことが多いのですが、少なくとも発生確率が高いと言われて暫く経っているのですから、歴史に学んで慌てずに済むように……ともに学んでいきましょう!
ウィキペディアにみる「日向灘(地震)」について
まずは、「日向灘」についてウィキペディアでおさらいしておきましょう。
日向灘(ひゅうがなだ)は、フィリピン海(北西太平洋)の一部で、宮崎県東部沖合の海域。
海上保安庁が発行する日本の水路図誌(海図)にも掲載されており、宮崎県の南端都井岬から大分県佐伯市の鶴御埼までの沖合とされている。
日向灘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そして、「日向灘地震」という名前の記事もありますので、そちらをざっくり抑えておきます。
日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、南海トラフの西端に位置する日向灘で起こる海溝型の地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。
概要
宮崎県および大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、過去より繰り返し大地震が発生する事が知られている。…今後日向灘地震が発生した場合、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には津波による被害も生じることが予想されている。特に、九州では宮崎県や大分県、四国では愛媛県や高知県の太平洋側などで津波の被害が予想されている。発生間隔
日向灘地震
2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6と推定されている地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はないとされる。
しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震と考えられていた1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する可能性があり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この地震について、古文書は幾つもあるものの正確なことは不明な点が多いです。なので、政府の『地震調査研究推進本部』による発生確率等の評価を『鵜呑み』にするのは注意を要しますが、いずれにしても『M7クラスの地震が今後30年以内にかなりの確率で起きると想定』されているというだけでも、周辺にお住まいの方は対策が必要になることは間違いないでしょう。
過去に起きた「日向灘」の主な地震まとめ
ではここからは、Wikipediaと気象庁の「震度データベース」などをもとに、私なりに過去に起きた「日向灘」の地震をまとめていきたいと思います。
明治以前の古い「日向灘」の地震
まずは、明治時代以前の古い地震についてです。大きく歴史に残る地震としては100年に1回程度ですが、21世紀時点で半世紀以上起きていない現状に鑑みれば、こういった地震が起きないとも限らない点で注意が必要です。もちろん、南海トラフ巨大地震にも注意は必要な訳ですが、単独で起きても被害は甚大となるでしょう。
日向灘地震 (1498年)
- 1498年日向灘地震は、明応7年6月11日(ユリウス暦1498年6月30日, グレゴリオ暦7月9日)に発生したと思われる地震である。その後の研究により6月11日の地震は日向灘地震であった可能性が否定されるとされている。
山崩れ、地割れ、泥噴出などがあり、民家の被害が多数、死者も多数出たとする伝承がある。同日の畿内で記録された地震や、上海における津波又はセイシュ記録から、南海地震との説もあるほか、記録が信頼性の低い軍記物に依るため本地震を日向灘地震とすることに疑義も出されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実態が疑問視されていることを踏まえ、Wikipediaに「と思われる」などと書かれてしまっていますが、『明応地震』との関連性からしても、何らかの大地震があったことの伝承である可能性はあるかと思います。
外所地震
- 外所地震(とんどころじしん/とんところじしん)とは、1662年10月31日(寛文2年9月20日)未明に日向灘沖(北緯31.7度・東経132度)で発生したマグニチュード7.6〜7.9、津波マグニチュード Mt 7.7の地震。最大震度は6強(推定)。有史以来最大規模の日向灘地震である。
- 宮崎県の大部分で震度5以上の揺れがあったと推定されており、佐土原藩領(現・宮崎市佐土原町)で6強、延岡藩領(現・延岡市)で5強とされている。津波は延岡から大隅半島(特に宮崎市木花地区)を襲い、高さは宮崎市付近で4 – 10m、延岡市付近で3 – 4m、志布志湾付近で2 – 3mと推定されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こちらの「外所地震」については固有名の付いている珍しい地震でして、マグニチュードや震度などは不確実性が大きいため一旦忘れても、『有史以来最大規模』であり、『大津波が襲った』という点では特筆に値する地震かと思われます。
日向灘地震
- 1769年8月29日(明和6年7月28日)
日向・豊後・肥後で被害があった。延岡城や大分城での被害、寺社や町屋の損壊などが報告されている。田の水没や水難による死者が出た。被害をもとに、宮崎で震度6程度、津波が最大2 – 2.5m、地震の規模はM7.8前後などと推定されている。
しかし、(松浦 ほか、2003年)などは2日後の水害による被害と混同されている恐れから規模の小さいプレート内地震であった可能性を指摘しており、(地震調査委員会、2004年)はこれを根拠に日向灘地震とはみなしていない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
確率を計算する際に含むか除外するか意見が分かれることは、古い地震にまつわって時折ありますが、いずれにしても大津波と烈しい揺れが襲ったことがあるのであれば、防災上は留意する必要があろうかと思います。1769年の地震は単独で記事が書かれてはいませんが、その地震要素が何であれ、地元の方々は軽視せずに覚えておくべき地震かも知れません。
1899年(明治32年)11月25日 | 日向灘 | 浅い | 7.1 6.9 | 宮崎県・大分県で、 家屋の破損や土蔵の倒壊 などの被害があった。 |
1909年(明治42年)11月10日 | 宮崎県 西部 | 約150km | 7.3 – 7.6 | プレート内で起こる やや深発地震であり、 日向灘地震ではない。 大分県・宮崎県・熊本県・ 鹿児島県・高知県・ 広島県・岡山県で 被害があり、 宮崎市付近で被害が 大きかった。 |
以上のような地震も、明治年間の気象観測が行われていた時代には記録されています。特に1909年の稍深発地震に関しては、日本列島付近で起きた深発地震としては破格の大きさです。
大正時代以降の主な地震の要素
ではここから気象庁の「震度データベース検索」などをもとに、Wikipediaの表を整理していきます。
発生日 | 深 | Mj | Mw | 津波 | 被害他 |
---|---|---|---|---|---|
1923/07/13 | 44 | 7.3 | 7.0 | 震央:種子島近海か 九州地方南東沖 | |
1929/05/22 | 59 | 6.9 | 6.7 | あり | |
1931/11/02 | 28 | 7.1 | 7.5 | 室戸岬 85cm | 死1、負29、全壊5 |
1939/03/20 | 57 | 6.5 | 6.7 | あり | 死1、負1 |
1941/11/16 | 33 | 7.2 | 7.9 | 波高 1m | 死2、負18、全27 |
1961/02/27 | 37 | 7.0 | 7.5 | 最大 50cm | 死2、負7、全壊3 |
1968/04/01 | 30 | 7.5 | 7.5 | 到達高 3m | 死1、負15 or 53 全壊1、床上浸56 |
1969/04/21 | 20 | 6.5 | 7.0 | 検潮儀 20cm | 負2(落石) |
1970/07/26 | 10 | 6.7 | 7.0 | 高知県 64cm | 負13、山崖崩れ4 |
1984/08/07 | 33 | 7.1 | 6.9 | 延岡市 18cm | 負9、一部損319 |
1987/03/18 | 48 | 6.6 | 6.7 | あり | 死1、負6 |
1996/10/19 | 34 | 6.9 | 6.7 | あり | 人的被害なし |
1996/12/03 | 38 | 6.7 | 6.7 | あり | 人的被害なし |
2019/05/10 | 25 | 6.3 | 6.3 | なし | 負2 |
2022/01/22 | 45 | 6.6 | 6.3 | なし | 負14 |
大規模地震は昭和を、M7に迫る地震も平成時代を最後に起きていません。2022年には気象庁マグニチュード6.6という地震がありましたが津波などはなく、やはりこれも政府が想定している『日向灘地震』とは別物です。半世紀以上前をみると、十数年ぐらいのスパンで大きな被害を出す大規模地震が起きていたことを考えると、やはり警戒を緩めることはできないと思われます。
(参考)「震度データベース検索」にみる地震の発生回数
そして、気象庁の「震度データベース検索」を利用し、中規模地震(Mj5以上)の発生回数を震度別に表にしてもらいました。それがこちらとなります。(↓)
期間 | 震度1 | 震度2 | 震度3 | 震度4 | 5弱 | 5強 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1920年代 | 6 | 3 | 2 | 1 | 12 | ||
1930年代 | 2 | 3 | 8 | 3 | 1 | 17 | |
1940年代 | 2 | 3 | 9 | 5 | 1 | 20 | |
1950年代 | 6 | 9 | 15 | ||||
1960年代 | 1 | 4 | 9 | 4 | 2 | 20 | |
1970年代 | 1 | 6 | 2 | 1 | 10 | ||
1980年代 | 2 | 7 | 9 | 3 | 1 | 22 | |
1990年代 | 4 | 4 | 2 | 10 | |||
2000年代 | 2 | 2 | 2 | 6 | |||
2010年代 | 4 | 5 | 1 | 10 | |||
2020年代 | 1 | 1 | 1 | 3 | |||
合計 | 13 | 31 | 63 | 25 | 12 | 1 | 145 |
・地震の発生日時 : 1920/01/01 00:00 ~ 2022/12/31 23:59
・地震の規模 : M 5.0 以上、M 9.9 以下
・震央地名 : 日向灘
・地震回数の集計 : 年代別回数
規模を指定しないと、10年で3桁回数起きているのですが、それは震度観測点が平成に入って急増したためです。規模でフィルターをかければ、「震度5クラス」の地震が10年に1~2回起きるというのがざっくりとした傾向として言えそうです。むしろ21世紀に入ってからは頻度は少なくなってきているという感じもします。
【旧震度】気象官署の震度で比較してみた
そして震度に関しては、上の表も補足が必要です。震度階級の基準も変わりましたし、何より四半世紀前までは観測点も遥かに少なく、人間が体感で震度を決めていたからです。きっと今の観測網ならば、震度5弱以上(或いは6弱以上の可能性も)だったに違いない地震も多くあります。
ここからは気象官署(気象庁の観測点)での震度を表にして纏めていきます。
発生日 | Mj | 宿 毛 | 人 吉 | 大 分 | 延 岡 | 宮 崎 | 日 南 | 都 城 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
29/05/22 | 6.9 | - | 5 | 4 | - | 5 | 4 | - |
31/11/02 | 7.1 | - | 5 | 4 | 4 | 5 | 5 | |
41/11/09 | 7.2 | - | 5 | 4 | 5 | 5 | 4 | |
61/02/27 | 7.0 | 4 | 4 | - | 5 | 5 | 5 | |
68/04/01 | 7.5 | 5 | 4 | 4 | 5 | 4 | 4 | 4 |
70/07/26 | 6.7 | 4 | 4 | 4 | 5 | 5 | 5 | |
84/08/07 | 7.1 | 4 | 4 | 4 | 4 | |||
87/03/18 | 6.6 | 4 | 4 | 4 | 5 | 4 | 4 | |
96/10/19 | 6.9 | 4 | 4 | 4 | 5 | 4 | 4 | |
96/12/13 | 6.7 | 4 | 4 | 5 | 4 | 4 | ||
22/01/22 | 6.6 | 4 | 4 | 5 | 5 | 4 |
上の表は、最大震度5(強震)を観測したか、マグニチュード7以上となった「日向灘」の地震について、九州と高知県宿毛の気象官署を幾つかピックアップして、震度4以上を入れ込んであります。
特に2022年の地震は震度観測点がそれ以前と比べて急増しているため、単純比較することはあまりなされませんが、『大分』では初の震度5相当となりましたし、延岡でも1968年以来半世紀ぶりの震度5という扱いになっています。
ちなみに、1968年の「日向灘地震」は、Mj7.5という大規模さから分かる通り、上の7地点すべてが震度4以上でしたし、西日本の広範囲が震度3~4の揺れに襲われています。遠く豊岡や境港でも震度4であり、大阪や神戸、福井も震度3、輪島や諏訪で震度2といった面的な広がりを見せています。
基本的には四国・九州地方で限定的に強い揺れとなる傾向の強い「日向灘」地震にあって、広域に揺れる時には中部から近畿地方にあっても決して油断ならない点は抑えておきましょう。
今後発生する「日向灘地震」についてアップデート
2022年には四半世紀ぶりにM6後半の大きめな地震が発生しましたが、それでも昭和以前に起きていたものより一回り小さい地震だった訳です。今一度、2022年の地震を振り返りましょう。
現行の10段階における予想震度について
まず、震度に関しては、今の10段階になって初めて『震度5強』を震度計で観測しています。きっと嘗ても今と同じ観測網だったら『震度6弱』以上を観測した地点があった地震も多かったことでしょう。
また、熊本地震などでも西日本を襲った『長周期地震動』も、Mj6.6で「階級2」を表しており、より大きな地震(M7クラス)ともなれば、階級3~4で被害が出ていてもおかしくないと見られます。
気象庁が発表した推計震度分布図によれば、一部地域では震度6弱の揺れがあったと推計されている。また、熊本県、大分県、宮崎県では長周期地震動階級2を観測している。
日向灘地震 (2022年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実際の推定震度については、各省庁や自治体が発表しているハザードマップなどをご参照ください。
かつてはなかった「緊急地震速報」について
そして、かつてはなかった「緊急地震速報」についてもおさらいしておきましょう。2022年1月の地震では、かなり健闘をしていて、周辺県への注意喚起という意味では効果を発揮していました。(↓)
報 | 提供時刻等 | 秒 | 北緯 | 東経 | 深さ | M | 予測震度 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 01時08分48.8秒 | 4.0 | 32.7 | 132.1 | 10km | 7.2 | ※1 6弱程度:大分県南部 |
2 | 01時08分49.7秒 | 4.9 | 32.8 | 132.1 | 10km | 6.3 | ※2 5強程度:大分県南部 |
最初の揺れを検知してから4.0秒後に「第1報」として警報を出しました。結果的にはやや上ブレしていたものの、初報で『想定・日向灘地震』の可能性があると注意を呼びかけ、範囲としてはほぼ網羅をしていた点で評価すべきだと個人的には感じています。やや広域だったことは否めませんが。
ほぼ陸地に近い海域で起きた地震ですが、大分・宮崎県境の震度5クラスの領域にも間に合っていますから、緊急地震速報の役目は100点に近く果たしているといった印象を受けます。
むしろ対策という観点でいくと、第1報で示された「日向灘(北部)」を震源とする深さ10km、M7.2という予想範囲は、まさに想定されている「日向灘地震」で警報が発表されるエリアと重なります。
実際にM7クラスの地震が日向灘の北端で起き始めた場合は、上の黄色いエリアぐらいは震度4以上の揺れに備えると共に「緊急地震速報」が発表されうると心積もりをしていただく必要があると思います。
『南海トラフ地震に関連する情報』について
今後発生すると想定されている南海トラフ地震の想定震源域内で発生した地震であったが、M6.6であったため気象庁による臨時情報は発表されなかった(想定震源域内でM6.8以上の地震が起きた場合は、専門家らによる検討会が開かれ、気象庁が臨時情報を発表する)。
日向灘地震 (2022年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九州の方々はあまり馴染みがなかったためか、各地のローカルニュースで繰り返し報じられたのが『南海トラフ地震に関連する情報』についてです。ウィキペディアで該当部分を画像引用しておきます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2022年の地震はM6.6だったため、「M6.8以上」という基準に該当せず、臨時の会合も行われませんでした。一方で、当時の気象庁記者会見にもあったとおり、『M6.8以上』という基準に合致さえすれば、実際に法律などに従って「検討会を開催して何らかの情報が発表される」可能性があります。
これは、決して巨大地震が起こることとはリンクしないはずなのですが、仮に臨時会合が行われたり何らかの情報が発信されれば、現代のSNS時代においてはデマも含めて、憶測を含んだ“情報”が大量拡散される可能性があります。
逆に、『M6.7以下ならば前兆にならない』ことも意味していませんので、これはあくまでも法律等をベースに行われるものであって、科学的な強い根拠があって催されるものとは限らない点は抑えておきましょう。
いずれにしても、M7前後の地震が日向灘で起きる状況であれば、数十年間起きていなかったものが起きるという時点で、普段よりも警戒の度合いをしばらく上げておくことが賢明でしょうからね。
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