【はじめに】
この記事では、気象官署「三宅島(神着74:三宅島特別地域気象観測所)」で観測された過去の強烈な揺れをまとめていきます。
気象官署「三宅島」について
気象官署「三宅島」は、「三宅村神着74(現・三宅島特別地域気象観測所)」にあたります。気象庁のホームページより「震度観測点一覧表」によれば、1942年(昭和17年)から約70年の観測歴があるとのことです。
三宅村 神着(旧) | 三宅村神着74 (三宅島特別地域気象観測所) | 34 | 7.4 | 139 | 31.3 | 1942 | 201502191200 |
三宅村 阿古(旧) | 三宅村雄山221 | 34 | 4.3 | 139 | 30.7 | 199407151200 | 201301071200 |
三宅村 神着 | 三宅村神着74 (三宅島特別地域気象観測所) | 34 | 7.4 | 139 | 31.3 | 201502191200 | |
三宅村 坪田 | 三宅村坪田3007 (三宅村坪田福祉会館) | 34 | 3.6 | 139 | 32.9 | 201607281200 | |
三宅村 坪田(旧) | 三宅村坪田1378 | 34 | 4.6 | 139 | 33.5 | 200006281200 | 200811041200 |
三宅村 阿古2 | 三宅村阿古548-10 | 34 | 4.6 | 139 | 28.8 | 200006291200 | 200503011200 |
三宅村 役場 臨時庁舎 | 三宅村阿古497 (村役場臨時庁舎) | 34 | 4.4 | 139 | 28.7 | 200811041200 | 201610131200 |
三宅島の位置などは、ウィキペディアを参照して頂ければと思います(↓)
地点としては、「神着」は島の北北西、「坪田」が南南東、「阿古」が西南西にあたります。本州から離れていますが、面積が55.44km2あるので、代表的な地点1つだけでは難しいところでしょう。特に後述するとおり、地震活動による群発地震が歴史上認められてきた地点であり、同じ島内でも震度に差があることが良くありました。
今回取り上げる気象官署「三宅島」は、原則、旧・神着村にあたる「神着」の震度観測点のことを指しますので、そこの点をご理解いただいた上で過去の歴史を見ていきましょう。
震度5(強震)は全部で20回(5事例)
「三宅島神着」の観測点では、震度6(烈震)を観測したことがなく、震度5(現行では震度5弱)が最大震度となります。気象庁の「震度データベース検索」の年度別回数の出力結果をご覧ください。
期間 | 5弱 |
---|---|
1940年代 | |
1950年代 | 1 |
1960年代 | 14 |
1970年代 | |
1980年代 | 1 |
1990年代 | |
2000年代 | 3 |
2010年代 | 1 |
合計 | 20 |
・地震の発生日時 : 1940/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 三宅村神着(旧) もしくは 三宅村神着 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数
1940・1970・1990年代には観測歴がなく、1950・1980・2010年代には1回、そして、1960・2000年代には複数回の強震が観測されています。
地震の発生日時 | 震央地名 | 深さ | M | 最大震度 | 「三宅島」 |
---|---|---|---|---|---|
1953/11/26 02:48:58.7 | 関東東方沖 | 39 km | 7.4 | 震度5 | 震度5 |
1962/08/26 15:48:55.8 | 三宅島近海 | 33 km | 5.9 | 震度5 | 震度5 |
1962/08/30 22:46:09.2 | 三宅島近海 | 20 km | 5.2 | 震度5 | 震度5 |
1983/10/03 22:33:35.9 | 三宅島近海 | 15 km | 6.2 | 震度5 | 震度5 |
2000/07/30 09:18:02.2 | 三宅島近海 | 11 km | 6.0 | 震度5強 | 震度5弱 |
2000/07/30 21:25:46.6 | 三宅島近海 | 17 km | 6.5 | 震度6弱 | 震度5弱 |
2000/07/30 21:48:57.1 | 三宅島近海 | 17 km | 5.9 | 震度5強 | 震度5弱 |
2013/04/17 17:57:34.3 | 三宅島近海 | 9 km | 6.2 | 震度5強 | 震度5弱 |
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 2022/07/15 23:59
・地震の規模 : M 0.1 以上、M 9.9 以下
・観測された震度 : 三宅村神着(旧) もしくは 三宅村神着 で 震度5弱以上 を観測
・検索結果地震数 : 8 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)
上記は、全体の流れを把握するために、規模「不明」なデータを除外して抽出したリストになります。実際には、1962年に「M不明:最大震度5」というデータが12例ある点にご注意ください。
1例目:1953年「房総沖地震」
最初に「三宅島」で強震を観測したのは、上の地図の右端にある大きな丸です。一般に「房総沖地震」と呼ばれてきたM7.4の大地震です。揺れもさることながら、初めて「大津波の津波警報」が発表されたことで地震の歴史に名を残している地震です。
この地震では、北海道から四国まで有感となり、房総半島の富崎と三宅島神着で震度5(強震)を観測しました。宮城から長野まで震度4(中震)を観測したところからもその規模が窺えます。
2例目:1962年「三宅島噴火」に伴う地震(14回)
5月5日、三宅島の西北西約15kmでマグニチュード5.8の地震が発生、三宅島で震度4を記録したこの地震以後、新島、神津島、御蔵島と三宅島を囲む海域で、群発地震活動が7月23日頃まで約2か月半続きました。
8月24日22時20分、雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で噴火が起こり(1940年の噴火場所に近い)、割れ目状に出来た多数の火口から溶岩を海中にまで流出しました。噴火活動は30時間で終了しました。
1962年の活動の最大の特徴は、激しい地震活動を伴った点です。噴火中から有感地震が頻発し、8月30日には伊豆集落で2000回以上に達しました。島民は極度の不安に落ち入りましたが、地震も年末にかけて次第に収まりました。地震の震源域は噴火地域でなく、島の北西域でした。噴火活動終了後の8月26日15時48分にマグニチュード5.9の地震が発生しました(群発地震中の最大地震)。9月1日から14日まで、小中学校の学童および関係者など千数百人が、主として千葉県の館山方面へ集団疎開しました。
(出典)気象庁 ホーム > 知識・解説 > 火山 > 火山防災連絡事務所 > 三宅島火山防災連絡事務所 > 1962(昭和37)年8月24日噴火
後述の噴火活動ばかりが話題になりますが、このときの群発地震も極めて活発だったとこの記述だけで分かります。
地震の発生日時 | 震央地名 | 深さ | M | 最大震度 | 「三宅島」 |
---|---|---|---|---|---|
1962/08/26 15:48:55.8 | 三宅島近海 | 33 km | 5.9 | 震度5 | 震度5 |
1962/08/30 22:46:09.2 | 三宅島近海 | 20 km | 5.2 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
1962年08月 | 日時分不明データ | 不明 | 不明 | 震度5 | 震度5 |
・地震の発生日時 : 1962/01/01 00:00 ~ 1962/08/31 23:59
・観測された震度 : 三宅村神着(旧) もしくは 三宅村神着 で 震度5弱以上 を観測
1962年8月においては上記のような観測記録が気象庁「震度データベース検索」に登録されています。2度の中規模地震を筆頭に、震度5(強震)を2桁回数は観測していたということで、地震活動の活発さが恐ろしくなります。(特に神着が震央に近かったとも推定)
3例目:1983年「三宅島噴火」に伴う地震
10月3日13時59分頃より三宅島測候所の地震計に噴火の前駆的微動が記録され始め、15時23分頃、雄山南西山腹二男山付近に生じた割れ目から噴火(溶岩噴泉)が始まりました。微動記録開始より噴火が始まるまでに三宅島測候所で5回の有感地震(体に感じる地震)が記録されています。
雄山南西山腹二男山付近より始まった噴火は、上下に成長し割れ目火口となりました。火口より谷筋を流下した溶岩流は主に3方向に流れ、南南西に流れたものは粟辺地区の都道を横切り海中に達しました。西方に流れたものは阿古地区の400棟を超える住家を埋没・焼き尽くし、海岸近くで止まりました。
……噴火前後に発生した101回の有感地震の中で最大のものは3日のマグニチュード6.2、震度5でした。
気象庁 ホーム > 知識・解説 > 火山 > 火山防災連絡事務所 > 三宅島火山防災連絡事務所 > 1983(昭和58)年10月3日噴火
こちらは1962年ほど地震活動は活発でなかったものの、1983年の三宅島の噴火活動では溶岩が流れ下り、阿古地区の一部を飲み込むなど建物被害が目立ちました。
4例目:2000年「伊豆諸島北部群発地震」(3回)
当時の噴火・地震活動については、多くのメディアが記録を残しています。手頃なところで、NHKアーカイブスより「2000年 三宅島の噴火 (平成12年)6月26日~9月」のリンクを貼っておきます。
(参考)気象庁 ホーム > 知識・解説 > 火山 > 火山防災連絡事務所 > 三宅島火山防災連絡事務所 > 2000(平成12)年6月〜噴火 ← 文章ではこちらもご参照ください。
M5クラスだと本州の沿岸ぐらいまでしか有感にならないことも多いのですが、上記の2000年7月30日の地震は、M6.5とかなり大きめであり、首都圏でも震度2~3、淡路島まで有感となりました。
最大震度6弱を観測したのは、震源に最も近い「阿古」の観測点で、島の反対側にあたる「神着」でも5弱を観測しています。この2000年の一連の地震活動では神着で3度「震度5弱」を観測しています。
5例目:2013年「三宅島近海群発地震」
そして2013年には火山活動とは関係なく、M6.2の地震が発生し、三宅村役場臨時庁舎(阿古)で最大震度5強、神着で震度5弱を観測しました。
数センチではあるものの津波も観測されたこの地震。4月17日の10時15分に震度3(M4.4)の有感地震を観測したのを皮切りに、17時57分の震度5強(M6.2)を最大として、半日あまりで「47回」もの有感地震を観測する『群発化』の傾向がみられました。
震度4以下を年代別回数で振り返る
期間 | 震度1 | 震度2 | 震度3 | 震度4 | 震度5弱 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
1940年代 | 73 | 34 | 14 | 0 | 0 | 121 |
1950年代 | 88 | 37 | 8 | 2 | 1 | 136 |
1960年代 | 554 | 371 | 134 | 47 | 14 | 1,120 |
1970年代 | 79 | 31 | 9 | 3 | 0 | 122 |
1980年代 | 239 | 114 | 31 | 6 | 1 | 391 |
1990年代 | 169 | 57 | 17 | 2 | 0 | 245 |
2000年代 | 5,333 | 906 | 164 | 17 | 3 | 6,423 |
2010年代 | 152 | 38 | 11 | 0 | 1 | 202 |
合計 | 6,687 | 1,588 | 388 | 77 | 20 | 8,760 |
・地震の発生日時 : 1920/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 三宅村神着(旧) もしくは 三宅村神着 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数
噴火活動などに伴って回数の多い時期はありますが、概ね100~200回で10年平均が推移している時期が多いことがこの表から分かります。
どちらかというと三宅島の西側で中規模地震が起きることが多かったため、阿古に比べて神着の震度は小さく、今のところ「震度5強」以上に分類される地震は観測されていませんが、必ずしも今後もこの傾向が続くとは限りません。そして地震のみならず「火山活動」も、2000年から既に20年以上が経過をしており、油断はしないよう務める必要があります。どうぞ引き続き、お気をつけ下さい。
コメント