旧震度「浜田」(浜田市大辻町) ~今から150年前に起きた「浜田地震」を振り返る~

【はじめに】
皆さんは、今から約150年前に起きた「浜田地震」をご存知でしょうか? この記事を書いているのが2022年3月14日なのですが、太陽暦でちょうど今から150年前の1872年3月14日(旧暦明治5年2月6日)に起きた大地震です。

非常に大きな被害があったと伝わるにも関わらず、現代において顧みられることが殆どなかったので、今回はその地震を(ウィキペディアの記載などを引用しつつ)振り返り、また現在は「浜田特別地域気象観測所」となっている気象官署「浜田(浜田市大辻町)」の震度データについても纏めていきます。

日本語版ウィキペディア「浜田地震」を読む

まず、その150年前に起きた「浜田地震」についての概要を、日本語版ウィキペディアで理解します。

浜田地震(はまだじしん)は、1872年3月14日(明治5年2月6日)に2011年現在の島根県浜田市(当時は浜田県浜田町)沖で発生した地震である。マグニチュードは7.1。気象庁は最大震度は不明としているが、宇佐美(2003)は被害状況から浜田、邑智および大田で震度7と推定している。

日本語版ウィキペディア > 「浜田地震」

マグニチュード7以上の地震を「大地震」と呼ぶことが多いことからしても、この「浜田地震」は実際に大地震だったと言えましょう。最大震度は、被害状況から震度7相当と推定されているとの事です。

概要
家屋全壊は4,506棟で起こり、230棟の家屋が焼失した。死者は浜田県内で536人、出雲県内では15人。山崩れは6,567か所で起き、邇摩郡では33戸が埋没した。地震発生の1週間前から鳴り動き、当日も大小の前震があった。発震時は16時40分頃とされ、当日の11時頃から微震があり、本震の約1時間前にはかなり大きな前震があった。

この地震によって国分海岸一帯が隆起し、石見畳ヶ浦ができた。浜田浦では本震の数十分前から潮が引き、沖合い140mのところにある鶴島まで海底が露出し、徒歩で渡ってアワビを取って帰って来たところに地震が起こったという。また、小規模な津波も発生したが、被害は無かった。

( 同上 )

冒頭、全壊家屋数が4,506棟とあります。単純比較は出来ないでしょうが、あの大被害となった2016年の「熊本地震」での全壊家屋数が8,600棟余りだそうでして、人口が今よりも遥かに少なかった当時にこれだけの家屋被害が出ていたことは見過ごせません。

ちなみに、浜田県や出雲県といった見慣れない県名が出ていますが、地震の起きた明治5年というのは府県廃合によってようやく「3府72県」まで減少したばかりという頃でした。ですので、当時被害が最も大きかったのは「浜田県」だということを申し添えておきます。(→ 1876年に廃止)

また、過去の地震には時々見かけるのですが、ウィキペディアに書かれている通り「地震前駆現象」の記録が残されています。ということだけ触れておきたいと思います。

石見畳ヶ浦(いわみたたみがうら)は、島根県浜田市にある海岸景勝地。単純に畳ヶ浦ともいう。名の由来は千畳敷が畳を敷き詰めたように見えることに因む。
広義では、一帯は唐鐘海岸と呼ばれており、その中にある景勝地として扱われる。浜田海岸県立自然公園に指定されている。

概要
一帯は古くから「床浦」と呼ばれた景勝地だが、1872年に発生した浜田地震によって海底が約30cm隆起、今にみられるような千畳敷と断崖が融合した景観となった。地質学的に大変貴重であり、1932年に国の天然記念物に指定されている。なお、隆起量が1m程度とする説もあるが地震後40年余り後の調査であるため信憑性が低い。

( 参考 ) 日本語版ウィキペディア > 「石見畳ヶ浦」より引用

気象官署「浜田」浜田市大辻町の観測データについて

現在は「浜田特別地域気象観測所」となっている気象官署「浜田」での震度観測の開始は非常に古く、1893年(明治26年)から130年近い歴史があります。(個人的には、この「浜田地震」があったから、浜田での観測が島根県内で最も古く始まったのではないかと(根拠はないですが)感じています。)

年に数回、人間が揺れを観測する程度

期間震度1震度2震度3震度4合計
1910年代50005
1920年代4321046
1930年代23100033
1940年代17115134
1950年代16122030
1960年代12125029
1970年代2464034
1980年代1450019
1990年代1751023
2000年代722011
2010年代1541020
合計19369211284
(出典)気象庁 > 「震度データベース
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 浜田市大辻町(旧) もしくは 浜田市大辻町 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数

上の図は、気象庁の「震度データベース」を加工して、10年代ごとに「浜田」で観測した震度を纏めたものです。時代によって観測システムも大きく異なりますし、震度の基準も変わっていますので、参考程度に見ていただければと思いますが、年に2~3回程度、震度3以下の地震が起きるというのが、「浜田」における基本パターンといえるでしょう。

過去100年で最も大きかったのは「震度4(中震)」

そしてこの「浜田」では、全国的にも珍しいのですが、過去100年で一度も「震度5(強震)」を観測しておらず、「震度4(中震)」も1回しか記録していないのです。

( 同上 )

ここ100年で最も震度階級が強かったのが、1946年に起きた「昭和南海地震」です。この頃は、気象台などの職員が体感や被害状況などを元に「震度」を決定していたため、自動計測の現代とはかなり印象が異なります。増して震度計も密になかった時代ですので、単純に現代に良くみかける「震度4」と同列に扱うべきかは意見が分かれるところでもあります。

( 同上 )

上に示したのが「昭和南海地震」での気象官署などの震度分布です。「震度データベース」に登録されるデータには「震度6(烈震)」は無いですが、被害状況からして現代であればかなり広い範囲で強烈な揺れが観測されていたことが想像できます。

実際、「最大震度4」という扱いになる島根県内でも「9名の犠牲者」と「全壊273棟」といった記録が残されています。現代の「震度4」とは破壊力という点でやはり少し違う気がしますね。

【まとめ】だからこそ「浜田地震」が際立つ

ここまで説明をして、本題の「浜田地震」に戻ります。この地震の被害状況ならびに推定震度を改めてみると、「震度7」相当と推定されるものであり、激烈な揺れだったと思われます。

大正時代以降の約100年では「震度4」相当(現代の階級で言えば震度5弱以上とは思いますが)しか観測されていない「浜田」において、突出して大きく、特記すべきような大地震だったことが、気象庁の観測データからも垣間見えますね。

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