なんか競馬の「三大始祖」って言葉を見かけたけど、どういう3頭のことを指すの?
こんな疑問に、ウィキペディアを通じてざっくり解説していきます。どんな馬なのかを把握するだけでも、きっと競馬の見え方が少し変わってくるかと思います。
ウィキペディアに学ぶ「三大始祖」
ウィキペディアの冒頭文にこんな風に非常に端的に纏められていました。ここを抑えておくだけでも、キホンがしっかりと抑えられるかと思いますので、どうぞ参考になさってください。(↓)
三大始祖(さんだいしそ 英:Three Foundation Sires)とは、
三大始祖
現在のサラブレッドの直系父系祖先を可能な限り遡った場合に辿り着く、
ダーレーアラビアン、
バイアリーターク、
ゴドルフィンアラビアン
の3頭の種牡馬のことである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )
ちなみに個人的に気になったのは、英語として書かれている『Three Foundation Sires』の語ですね。サイアーといえば、種牡馬ランキング1位を『リーディングサイアー』という様に父馬(種牡馬)のことを指す英単語です。そして、『Foundation』はお化粧のファンデーションではないですが、『基礎』とか『土台』とかいった日本語訳が出てくる単語なので、確かに意味としてはシンプルに伝わります。
むしろ『始祖』などというと神々しくなってしまって本意を掴みそこねてしまいます。2行目に書かれている『父系の祖先を可能な限り辿った場合に辿り着く3頭の種牡馬』という意味では、この英語の方が端的に表現できているのかなと感じました。
一方で、軽く英語のウィキペディアの方を見てみましたが、『Three Foundation Sires』といった成句として使っている記載はあまり見られなかったので、日本人が『三大始祖』と纏めていっている表現は世界的にみると固有名詞化まではされていないのかなとも感じました。詳しい方ぜひ教えてください。
概要
現存のサラブレッドの血統を記録の残る限り、「父の父そのまた父」というふうに遡っていくと必ずたどり着く3頭の種牡馬を、三大始祖と称する。3頭の中では、ダーレーアラビアンの直系子孫がほとんどを占める。
この3頭が生きていた時代は、サラブレッドと言う概念が成立する前であり、いずれもサラブレッドではない。後世に「サラブレッド」として品種が確立されたウマの父系先祖をたどった場合に、個体の記録が公式に残っているものとして行きつく最古のウマ、ということである。
( 同上 )
注意点として、これは「現存のサラブレッド」に限ったものであって他の種類の馬には当てはまらないこと、そして血統がわかっている馬の中でという意味であって、当然これら3頭の前にも永い時間を掛けて父親は繋がっていることは抑えておいて下さい。日本神話の『三貴人』(アマテラスほか)みたく伝説上の存在では決して無く、たかだか数百年前に実在した存在だという点はひょっとするとイメージと違うって方が中にはいらっしゃるかも知れません。少しでもご存知ならばそんな誤解はしないでしょうが
現在のサラブレッドの定義の基礎となっている『ジェネラルスタッドブック』には、この3頭を含めて100頭以上の種牡馬が記録されているが、三大始祖以外の種牡馬の父系子孫はいずれも絶えており、現存していない。
( 同上 )
ただし、「絶えた」というのは父系に限った場合に言えることで、他の牡馬も「父の母の父」というような母経由をも含めると現存サラブレッドの先祖に現れる。それも含めた遺伝的貢献度を計算すると、1位はゴドルフィンアラビアン(14.5%)、2位はダーレーアラビアン(7.5%)、3位はカーウェンズベイバルブ(5.6%)、4位はバイアリーターク(4.8%)、となる。
以下は徐々に専門性が高い(それでも血統好きのレベルには至らない初歩ではあるものの)内容になっていくので、ざっくり読み流して頂ければと思います。
歴史
歴史の項が立っていますが、「成立」としか見出しが作られていないので、ウィキペディアの記載を参考にしながら、勝手に「タイムライン」の形で整理してみようと思います。(↓)
- 17世紀後半
~
18世紀前半上記「三大始祖」が誕生し、種牡馬として活躍三大始祖で最も早いバイアリータークは17世紀後半の生まれで、18世紀の前半には3頭が誕生し、種牡馬となって産駒が活躍を始めます。
- 18世紀初頭「三大始祖」を含めた十数頭が父系を伸ばす
実際に父系を伸ばせたのは10数頭であったが、それでも18世紀初頭には必ずしも現在の三大始祖が特別な地位を占めていたわけではなかった。
- 18世紀中頃「三大始祖」とオルコックアラビアン以外の血統は衰退
三大始祖以外の父系は衰退し相次いで絶えていった。その中で唯一クラブを経由したオルコックアラビアンの系統がなおも残り、スペクテイターなどはマッチェムを破る活躍を見せた。
- 1785年「三大始祖」以外のエイムウェルが唯一のクラシック制覇
エイムウェルが、イギリスダービーを制した。サラブレッド史上、三大父系に属さない馬として唯一のイギリスクラシックを勝利。
- 18世紀後半
- 1791年『ジェネラルスタッドブック』が初刊行
1791年版に「三大始祖を含めた102頭の基礎種牡馬」が掲載。
- 19世紀初頭事実上の「三大始祖」が成立
エイムウェルは供用された記録も残らず、エイムウェルの父・マークアンソニーからも父系は残らなかった。こうして19世紀初頭、事実上三大始祖が成立。
『サピエンス全史』ではないですが、サラブレッドの父系という観点では、「三大始祖」が他の父系を駆逐していった約100年間だったという見方ができます。そして21世紀にかけては、「三大始祖」をも更に狭めようとすらされている点に恐怖を覚えます。最悪の場合、21世紀のうちに「三大始祖」という概念も見直す必要が出てくるような父系の断絶が起こりうるかも知れません。
ではここから「三大始祖」とその直系の子孫について振り返っていきます。表記は「三大始祖(+中興の祖となった馬の名前)」として見出しを作っていきます。詳しめに知りたい方はお読み下さい。
①バイアリーターク(→ ヘロド系)
バイアリーターク(Byerley TurkまたはByely Turk、1679年ごろ – 1705年)は、イギリスの軍馬・種牡馬。後世にサラブレッド三大始祖の一頭として記録される。父方直系子孫はその玄孫ヘロド (Herod) を通じて一時大繁栄したが現在は衰退している。
バイアリーターク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いわゆる「三大始祖」の中で最も古く、その活躍時期は17世紀となります。一方で、参考文献や資料は極めて少なく伝説的な逸話ばかりがウィキペディアに記載されています。興味ある方はぜひそちらを。
そして、三大始祖の中で最も古いバイアリータークの子孫が最も活躍したのは18世紀後半とされ、その時代を牽引したのが【ヘロド】とその子のハイフライヤーです。
ヘロドまたはキングヘロド(Herod、King Herod、1758年 – 1780年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。サラブレッド種の成立に極めて大きな役割を負い、残した血量はあらゆる時代のいかなる種牡馬・繁殖牝馬をも凌駕している。馬名はヘロデ大王に由来、かつてはキングヘロドと呼ばれていた。
ヘロド (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勢力が極めて小さい中で、日本ではあの2頭の名馬の存在が伝説を語り継いでいます。20世紀後半に、ダービーを親子制覇している【シンボリルドルフ】→【トウカイテイオー】の父子です。実はこれらの馬は世界的に見ても珍しい「ヘロド系」の最晩期の活躍馬という扱いになるのです。
ちなみに……20世紀に大きな影響を及ぼした【セントサイモン】が実は「ヘロド系」だったという説については私の記事も大きく注目していただいていますので、興味のある方はぜひご参照ください。いずれにしても、ヘロド系の父系は風前の灯という扱いになってしまっています。
②ダーレーアラビアン(→エクリプス系)
ダーレーアラビアンあるいはダーレイアラビアン(欧字名:Darley Arabian、1700年ごろ – 1730年)は、サラブレッド三大始祖の一頭(ただし4代孫のエクリプスを三大始祖とすることもある)。玄孫のエクリプス (Eclipse) を通じて主流血統を築いた。名前はダーレー所有のアラブ馬の意。
ダーレーアラビアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1704年イギリスのヨークシャーに渡ったダーレーアラビアンは、その後ダーレー家の所有となった。1706–1719年に種牡馬として供用され、この間交配された牝馬の数は数十頭。……そしてこの中から6戦不敗の歴史的名馬フライングチルダーズと、その全弟で不出走のバートレットチルダーズを生み出した。
両馬はともに種牡馬として成功したが、現在より勢力が大きいのは、曽孫にエクリプスを出したバートレットチルダーズの血統である。エクリプスは18世紀最強馬として名高い馬で、直系子孫は19世紀に入ってからというもの他系統を凌駕し、結果的に全サラブレッドの90%以上を占めるまでに拡大した。影響力はサラブレッドにとどまらず、それ以外の馬種についてもクォーターホースやセルフランセで主流血統としての地位を確立している。
対してフライングチルダーズの血統は、エクリプスと同時期に13戦不敗のゴールドファインダーと、その娘でセントレジャーステークス勝ち馬のセリナを送り出すものの、最終的に血筋は絶えてしまった。現在、アメリカ合衆国に渡ったメッセンジャーの末裔がスタンダードブレッド(アメリカントロッター)の父系として繁栄している。
それぞれの子孫についての詳細はエクリプス系(バートレットチルダーズの子孫)、およびフライングチルダーズ系を参照のこと。
( 同上 )
これについて「三大始祖」のエクリプス系の説明を画像で引用しておきましょう。(↓)
ただし、近年の新発見で注意を要するのが以下の点です。「ゲノミクス」によって数百年単位での競馬の血統の歴史の根底が覆される発見がなされています。(↓)
③ゴドルフィンアラビアン(→マッチェム系)
ゴドルフィンアラビアンまたはゴドルフィンバルブ(Godolphin Arabian, Godolphin Barb、1724年ごろ – 1753年)は、サラブレッド三大始祖の一頭、遺伝的にはサラブレッド最大の創始者。伝説的な生涯が伝えられており、その馬生は小説にもなった。
サラブレッド三大始祖の一頭とされるように、現在でも父系子孫が残っている。サラブレッドに占める割合は1850年以降常に10パーセントを下回っているが、かつて18世紀中ごろは50パーセントを上回っていた時期もあった。父系に限定しない総合的な影響は、サラブレッド始祖の中でも抜けて高く、サラブレッドの遺伝子プールの13.8パーセントはゴドルフィンアラビアンに由来する。これは2-4位のダーレーアラビアン、ルビーメア、カーウェンズベイバルブの3頭の合計に匹敵する。
ゴドルフィンアラビアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴドルフィンアラビアンという馬の遺伝子が多くプールされているのは、ダーレーアラビアンのところに登場した【エクリプス】という馬の血統表からも明らかです。(↓)
エクリプスからみて父系の祖であるダーレーアラビアンは4代親ですが、母の父系であるゴドルフィンアラビアンは3代親(ひいおじいちゃん)であり、血統に占める割合(血量)は倍違うからです。この血統を持つエクリプスが全サラブレッドの9割以上の父系の祖となっていることを思えば、父系に限定しない形での遺伝情報の多さで、ゴドルフィンアラビアンは注目に値すると思います。
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